老春時代の満足生活情報発信局(お金と暮らしと占いと人生物語)

還暦を迎え、人生を心地よく過ごし、もっと魅力的人間になる「楽しく楽しく生きる」ヒント探しブログです

終活の事。こうであるべきを、捨てることが一番の終活のような気がする。

終活の事。

 

人生100年といっても、健康でボケずに歳を重ねられるかというと、そうではないことのほうが多いのではと思う。

 

と言っても、今後医学進み、病気で亡くなるリスクがもっと減るかもしれない。

 

老いると言うことはもろくなることでもある。

 

病気よりも怪我のほうで、体が動かなくなることのほうが、考えられる。

 

体が思うように、動かなくなったら、片付けができなくなる。

 

と言うことで、以前より、終活に少しは取り組んできたのだけど、もう少し、日々の暮らし方を考えてみようと思う。

 

私自身だけなら、もうこれはいいやとかあるのだけど、旦那がまだ若いので、まだ、終活の仲間に入れるのは問題があるなと思う。

 

先日、「60歳すぎたら辞めて幸せになれる100のこと」という雑誌を見た。

 

物のしがらみも見栄も手放して明日の自分を楽にしましょうとコンセプト。

人とのおつきあいについて、腐れ縁は切るべし

 

お付き合いについては旦那が人嫌いのおかげで、冠婚葬祭に至るまで、何も、ない。どっちかというと私からすれば、旦那が腐れ縁だと思ってしまう。

 

私も必要な交際は、子育ての時代だけで、今はない。

 

友人、知人の付き合いはほとんどない。

 

他人との関わりは、若い頃から必要としていないので、人間関係でやめたらと言うことはないからこれはいい。

 

それよりもやっぱり物だ。洋服や本。

 

旦那は、凄くものが少ない人で、管理ができている。

 

私は、お洒落が好きで、服をたくさん持っている。先日も、古着屋さんに売りに行った。

 

だけど、多すぎて、もういいやと最近思っている。

 

片づけるほうがしんどいから。

 

凄くシンプルに、洋服を着ている人を見ていると黒や白、グレーなどが多い。

 

私はきれいな色が好きで、黒とかグレーとかを持っていなくて、色を楽しんで着るという感じなので、若い頃に着た服も、このと年の着方をするので、似合わないとかがない。

 

着物は、帯一つで、若い人でも、年配でも着ることができるのと同じで、その年齢に合わせて、着れるように洋服をしてしまうので。

 

20代に着ていた服を今も着ていたりする。体系が変わらないことも、大きな要因だ。

 

洋服を捨てることはぼちぼちにしようと。

 

それで、暮らしの見直しをしていくことに頑張ってみようと。

 

いまの旦那と結婚して、子供が社会人になり、仕事をやめて思うことは。

 

それなりに、お洒落はするけど、旦那が、Tシャツにジャージのズボンなので、チャラチャラした、洋服だとバランスが取れないので、お洒落ができなくなった。

 

でも、ある程度の年齢だと、奇麗目な洋服でないと老けて見えるし、婆に見えるのは、嫌だ。

 

だから、旦那と一緒に歩くのは、本当は嫌。

 

だって、買い物に行って、老人と同じカッコしているのだもの。

 

最近の老人もまるで、スーツのように、ジャージの上下を着て歩いている。

 

私の中では、ジャージはやっぱり運動するときに着たいし、部屋着までならいいけど。

 

外出着に、するのはどうしても抵抗がある。

 

だけど、旦那は気にせず、ジャージだ。

 

そのくせ私にはスカートをはいてほしいらしい。

 

いつも思う、スカートはいてあなたの横に立つ気が失せるから。お洒落をさせたいなら自分もそれなりがあるだろうがと。

 

まぁ、そんなこともあるので、洋服に関しては、旦那と合わないので、気にしないでおこう。

 

雑誌を読んでいるとかなり、私の家は、辞めていることが多いなと思った。

 

それでも、参考になることがあるので、少しづつ、終活を勧めていくといい気がする。

 

終活というけれど。子育てが終わると、シンプルになっていく気がする。

 

人間関係も、PTAの付き合いがなくなるし、ママ友も仕事を持っていたから、子供が大きくなれば付き合わない。

 

私の場合、看護師という職業時代に、同僚とはプライベートでつきあわないと決めていたので、仕事をやめた時点で、それらの人間関係は切れる

 

終活を考えた時に、自分が死ぬときに連絡したい人がいないと思った。自分の子供たちが、お別れをしてくれたらいいと。

 

私が死んだからと言って、友人や知人の人生に何の影響もないし、時間は流れていく。

 

今、還暦を過ぎて、思うことは、身辺を整理して、好きなことをして、その日一日を楽しんで生きれたらと。

 

物に対する執着は、きっと、私の人生のストレスの発散だったと思う。

 

こうであるべきが多い人生だったのだろうな。

 

母親はこうであるべき。

 

妻はこうであるべき。

 

看護師はこうであるべき。

 

こうであるべきを、捨てることが一番の終活のような気がする。