犯人は、十代。亡くなった犯人は51歳。30年以上前の残虐な事件。
色々な事件はあるけれど、何故か忘れられない事件。
他人に対しては、その人の人生と思うことで、割と客観的に見ることができるけれど、どうしてもこの高校生の人生を、思い、犯人に対して許せない気持ちが消さなかった。
そんな自分がかかわらなかった人の人生を思い悩み、ふとした時に、生きていたら、結婚して子供いて、人として悩み、経験して生きていたのだろうなあと思ってしまう。
動画とかインターネットのニュースで、まるで忘れないでと、情報がはいってくる。
この小倉加害者のニュースが入ってきたとき、あーやっと死んだんだと。
義兄が、コメントされていたが、まさに、その通りだと思う。何の罪もない彼女を道具かおもちゃのように扱い殺したのだから。
自分も、4人の子供の母親で、再婚した時は、生さぬ仲の子育てもした。
この小倉加害者の母親のコメントを聞いて、批判めいたことを言ってはいけないかもしれないが、あなたのせいだよと言いたい。
離婚して、シングルマザーも経験したからこそわかることだけど、自分の子供に向き合う勇気のない母親。
精神科看護婦の経験からも、親が子供をちゃんと見ていない、受け止めていない、逃げる。この行為で、社会性がこわれてしまい、精神病院の入院を繰り返し、そのうち、退院できなくなる。
有名大学に合格して、社会に出て、順応できずに精神的に追い込まれて、自分はダメな人間と、誰も自分を認めてくれない。そんな時に、親が、手を引いてしまう。
精神患者は、入院することで、看護師から相手をしてもらい、話ができ患者同士では誰も自分のことを責めることはない。安心を病院に求める。社会の自由よりも、隔離された小さな世界で暮らすことに、依存する。
精神患者の親は、子供から攻められることが嫌で、関わりを持たなくなる。
親子関係を、築こうなどと思っていない。子供は親に見放されることを感じて、更に暴力的になり、わかってもらいたいのにわかってもらえない。
20歳を超えても子供なのだ、受け止める親が、支える人がいなくなれば、怖い。自分のやったことが悪いことだと思っているのだが、攻められることばかり。
開き直り、自虐的になり、自分を責めていく。そして、少しでも自分に興味を注ぎ、かかわってくれる人を持てめていく。
小倉加害者も、刑務所を出てから、頑張ろうと考えた時もあっただろう。
犯人としてとても許せない。
しかし、この加害者が、真面目に生きてくれていたら、どうだろう?
ちゃんと生きられなかったのは本人の責任だと思うけれど。
この加害者たちの親のことを思うと、同じ親として思うことは。
なんで守ってあげなかった、一緒に心の闇となってしまった部分を、戦ってあげなかった。
亡くなってくれてほっとしたから、可愛そうな子と言えるのだ。他人に信用されず常に、出来上がってしまった過去に縛られて、逃げられなくなって、死ぬこともできず他者を傷つける選択ばかりしてしまう。
あまりにも残虐な事件の犯人。
国は、司法は、犯人の更生を言うが、少年事件については親の子殿に対する関わり方も指導しないと絶対にその子供は更生などしないと私は思う。
私は子供たちに、母さんは何があっても、母親であることをやめない。あなたたちが、殺人をここしたとしてもそうしなければいけなかったあなたの気持ちと考えを受け止めると言った話をしていた。
騙すな、盗むな、殺すなと伝えてきた。
立派な人になったらいいと思ったこともないし、いい子でいなさいと思ったこともない。自分の人生を後悔しないように生きてほしい。人生人として生きることだから、色々なことを経験していくのが人生だから。
私は思うのだけど、この高校生の女の子の親も、もうよいお年だろう。今も生きておいでなら、何でという思いは捨てられないだろう。だけど、一緒に親子の時間は彼女にとって幸せな人生の時間だったと感じる。彼女が幸せだった時間を与えることができた親なのだ。
親だからこそ、悔しく思う、何でと赤の他人の私ですら思う。でも犯人の親より幸せだ、良い娘さんにそだてていたのだから。
成人していても、精神性が人として育っていない犯罪者は、更生することはないと、私は思う。
国や司法は、本気で更生させる気があるなら、親も一緒に関わらさせて、親子で今後をどうして生きていかなければいけないかを、考えないといかないと思う。
犯人たちと関わるのは結果、家族なのだから、家族が、逃げていたのでは、絶対の更生するわけがない。
育っていないのだから、精神性そして当たり前に、普通に生きること、頑張ることが。
私の親は毒親だったことが、反面教師として私の人生を導いてくれたと思っている。
親のように、他人を裏切ることのないように、そして、嘘をつくことが大っ嫌いな人間にそだった。
占い師の目線から見ると、あ~、この犯人の親がこの人でなければ良かったのにと思ってしまう。
自分に自信を持ち、人と関わっていければこの加害者の人生も違ったものだったろう。犯罪に巻き込まれやすい数字と波乱万丈な人生、そして虚,嘘、拒の人生だからこそ、かかわる人間に左右される人生。
人との縁という物は、怖い。類は類を呼ぶ。似た者同士が集まる。良い集まりなら良いが、負の集まりは悲劇が生まれる。
勇気のある大人がいれば違っていたのだろうか?