老春時代の満足生活情報発信局(お金と暮らしと占いと人生物語)

還暦を迎え、人生を心地よく過ごし、もっと魅力的人間になる「楽しく楽しく生きる」ヒント探しブログです

ビーグル犬アリス①

ビーグル犬のアリスの自己紹介

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6才になるアリスは、ペットショップで売れ残っていた。

夫と結婚し仕事を辞めていたので、犬を飼おうと話しをしていた。

ペットショップには、連れて行ってくれても、

買おうといわない。

夫は、ビーグル犬がいいと、あの長い耳をさわりたいと言う。

飼おうと言ってから、一年以上。さすがに、しびれをきらしたわたし。

もう、わたしが買おう。

わたしは、ミニチュアダックスフントが良いなぁと思っていた。

ペットショップに行くと売れ残っている。ダックスフント

買おうと夫に話そうと思ったら、他の家族に先をこされた。

あー、飼いたかったのに。

横をみると、ビーグル犬がわたしを見てる。

つぶらな瞳、愛嬌のある顔。

夫が欲しいと言ってた、犬種。

生体価格、1万円。おーう、安い。生後8ヶ月。

予防接種など他の費用を計算しても、5万弱。

ダックスフントが買えなかった悔しさもあり、

夫を説得。

実を言うと夫は、少しケチ。

犬を飼うとペットショップに行っても、買えないのは、以外とペットって高いことが、買ってもらえない原因。

わたしは、今日は絶対と考えていた。

アルスは、大変人馴れしており、夫も気にいる。

ビーグル犬でこの安さはない。私達が買わないと

もしかしたら、殺傷処分か、子供製造扱いになるかも。などと話し夫を説得。

アリスは家族になりました。😁

室内で飼う事にしたのですが、8ヶ月になっていたので、夜泣き等はなかった。

普段は、一階で過ごし、寝るときは、私達の寝室の隅のゲージで寝さす。

夫は、可愛いから時々、ベッドで一緒に寝ようとする。

始めが肝心だから、同じベッドに寝させるのは、駄目。飼い主の言う事を聞かなくなるから。

夫は、不満だったようであるが、諦めた。

犬は、群れで生活するため、上下関係がははっきりしている。

私達とアリスの関係

夫は、仲間。私は、群れのボス。と認識している

私の駄目には、絶対。私には甘噛みもしない。

夫とは、甘噛みあり、仔犬同士がじゃれ合っているようである。

甘噛みは、しばらくして、夫にやめさせるように、話す。他の人にも、甘噛みをしたりするから。

お客が来た時に困る。

子育てをしてる感だけど、夫にも飼い主の責任を教えないといけない。

アリスは、糞食の悪癖があった。

本で読むと、ストレスや食事量が足りていないためらしいと。

成犬ではないので、三回の食事にする。

糞をした時は、素早く片付ける。

ドッグランに連れて行き、思い切り走らせる。

しばらくすると、糞食はしなくなった。

アリスを飼うようになって、夫婦喧嘩が少なくなった。

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全ては自分しだいである

主治医との会話

唐突に、思った事を書いているのですが、

パソコンで、写真の投稿ができた✌️

チョット、いや、いや、すごく嬉しい😃

写真は昨年ものだったりするけど

今年は、まだどこにも出かけていない。

今月24日には、讃岐に行く予定。

さて、さて、前置きはこのくらいにして。

今日は、腎臓の検査結果を聞きに行く。

3ヶ月ごとに定期受診をして、経過観察と内服薬。

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最近はクレアチニンの値が1、92前後。

以前は、もう少し低かったけど、歳と共に上昇してる。。

そのため、チョット小走りしたりすると息が上がる。

早口で、喋っても。

でもね、見た目はいたって普通。

言わなければわからない。

主治医からは、緩やかな上昇、これが急激に上昇したらいけないけど。

これが「老い」の影響。

病気のことは、現状維持ができていると、主治医から太鼓判。

診察室で雑談。

退職した事の話。

 残り人生「おしゃれにいきよう」と思う、先生もどうですか?

いや、僕はおしゃれは。

先生、違いますよ、男も女も、おしゃれを忘れると、色気がなくなりますから。

先生は、歌も歌っているのだから、見られてる事を意識して、おしゃれしてください。

自分が勤めている先生がかっこいい方が良いですよね、職員の方も。

私が言うおしゃれは、生き生きしている事、自分を楽しむことです。

そうすれば、自然に、自分磨きするじゃないですか。

私は今日は上下黒ですが、スカイブルーのジャケットで色を。

真っ黒って、自分を隠したい人や自信のない人が、無難に着ますよね。

歳をとったら、綺麗に見せる色を、意識したいですよね。

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主治医は私が、占い師であることも看護師であることも、知っておられる。

先生が生き生きしていることが、皆さんが楽しく働ける。

だから、先生はおしゃれじゃないと。

全ては、自分しだい。おしゃれであることが、先生に関わってくれる人たちを、幸せにして、結局は自分に帰ってくる。

全ては、自分しだいであるということですよ。

私も、しょぼくれた先生にみてもらっていたのでは、頑張る甲斐がないですから。

私達患者のためにも、おしゃれでいてください。

おしゃれな人は、笑顔も素敵ですから。

診察に行って、主治医からお礼を言われました。

悩みのある人が、占いをしてもらうと、元気になるはずですね。

嬉しいお言葉をいただきました。

 

「全ては自分しだいである」

自分の言動は、結局のところ自分のした事。

誰でもない、自分が考えて行動する、だから誰のせいでもないし

もし誰かの責任という人は、何も考えず他人に依存するから。

逃げてはいけないのです。

答えは自分の中にあるのです。

すべては自分次第。

難しく考える必要はない、他人への依存というか甘えを捨てる事。😃

 

 

占いと私の人生

私の「compass-life]は、コンパスライフの意味

これは、私の占いのやり方。

私は、数秘術が得意。

その中で、数秘方位術を使って占う。

道に迷ったら、コンパスを使いますよね。

人生も、羅針盤

道しるべ、指し示す方向がわかったら、間違いも修正できるし、

行動も起こせる。

生活の中に、コンパスがあれば、人間関係も、悩みも

少し楽になる。

コンパスライフ。

十年以上電話占い師をしていたけど、私の場合カウンセラーとして

占っていた。

リピーターのほとんどが、自分で解決できるように

手助けをしていた。

だから、先生と話すと元気になる。頑張って自分を変えてみる。

と言ってもらえた。

占いは、色々な種類があり。

基本三種「命、ト、相」

命は、生年月日から占う方法。その人の一生の運命を見る。

トはある瞬間の偶然を利用する占い。

相は、目に見える形で占う。

あと、命、ト、相に含まれないものとして、姓名判断、血液型占い、夢占い

などがある。

私は、おもしろそうな占いがあったら、専門書で、学ぶ。

しかし、不思議なもので、同じ「ト」のうらないでも

易はにがてというか、直観が働かない、シンプルなサイコロの目の方が

ずっと、読むことができる。

これは、子供の頃からサイコロで占っていたからかも知れない。

数字の不思議なパワーに、惹かれている。

手相、姓名判断、タロットもするけれど、

やっぱり、数字をみて、占うのが得意。

数秘術はたくさんの本もあるけれど、

数字の意味を把握し、数字を「北」「南」「西」「東」「中央」と

分けることで、悩みの解決ができる。

今の私の占いのやり方で一番、しっくりしている占術。

私は、誕生日を見ていると、この人はどの方向の力で生きている

という事が見れる。

そこで、強すぎる方位を、指摘しバランスをとる方向の方位の力を

伝える。

私の事だが、子供の頃からなぜか年を取るほど幸せになると

信じていた。

それから、なんというか私は、なぜ生まれたのかと哲学的なことを考える

子供だった。

子供の頃に、周りの大人達から「頑固な子」「蛾の強い子」といわれたりした。

間違ったことを言われると、どんなに叱られても謝らない子だった。

祖母達に、押し入れに閉じ込められた。

お灸をされたこともある。

そんな事もあり、自分は何故「私が」という思いが強いのだろう。

自分が嫌いだった。

自分を知りたくて、占いの世界に入っていった。

自分の性格を知ることで、ここはこんな風に考えるのかと。

占いですべてを考えはしないけれど、自分探しをして欠点や長点が

わかることで、前向きになった。

かなり感受性は高いのだけど、鈍いところもあり、

貧乏でいじめにあっていても、感じないことがあった。

これは幸せだった。

いじめとはとらず、意地が悪い子だなぁと思うくらい。

体が弱かったのだけど、本人に自覚がないということは

ある意味良いことだと思う。

かなり元気な子供で好奇心が強く、おてんばだった。

話がそれたけれど、私の人生と占いは、切っても切れない関係。

占いに関連して、パワーストーンセラピストの資格を持っている。

趣味で手芸をする中に、パワーストーンを使って、アクセサリーを作る。

その際に、生年月日を聞いて占って、その悩みや今必要な石を

ブレスレットにするから。

占い師になったのも、このパワーブレスレット作成がきっかけだ。

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老春時代になっての楽しみ

私の趣味は、ものを作る事。

洋服のリフォーム

編み物

アクセサリー作り

人形作り

料理

あと読書。これは母親の影響。

母親がよく推理小説などよく読んでいたのを、見て育ったから。

作ることが大好き

下手の横好きというか、オリジナルが好きなのかも。

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バッグの中を、整理する小物入れ、スマホケースのセット。

下の写真は、姉の誕生日のプレゼント。

洋服のリフォームは、小柄な為サイズ直しをしないといけない事が多い。

母親が結構編み物が好きだったから、おしえてもらった。

姉妹だけど、姉と私では、体格が違って姉のお下がりは、

直さないときれない。

制服も全部お下がり、新しい物は全て姉から。

私は、色が黒くてチビ。

姉は色が白くて、天然パーマでチョット西洋っぽい、華やかな雰囲気。

自慢の姉。

そんんな姉に似合う服が、まっるきり反対のチビクロサンボに、似合うわけがない。

必然的に、ブサイク。

今は自分に合ったサイズを着ているし、おしゃれを楽しんでいる。

でも、子供の頃はおしゃれなんて全然だったなぁ。

まぁ、そんんな感じです。

物つくりは、貧乏で何も買ってもらえないために、自分で作るようになった。

自分でつくると、世界で一つだけいうことと、完成した時の達成感は、気持ちが良い。

料理は、創作。だってお金がないからあるもので工夫しないといけないから、

頭の体操になる。

手芸は、根気を養える。

自分で作ることは、出来上がった時に、自分の自信になる。

私の趣味は、生活の中でないから作るから生まれた。

ある意味、貧乏というものも、良い結果を子供にもたらすのかも。

歳をとったら、趣味を持つことと言われるけど

私の場合はあり過ぎかも。

でも、子育てや生活に忙しくて、人形作りは、長い時間ご無沙汰なので

人形作り再開といきこんでいる。

ものを作るということは、ものを大切にすることにつながる

わたしの初めての手芸は、穴の空いた靴下を直すことだった。

幼稚園の頃、祖母が教えてくれた。

高度成長期の頃だったけど、祖母はなんでも捨てて買う事を良しとしない人だった。

祖母から「物は直して、大切に使うもの」と教えてもらった。

昔の人は、鍋でも何でも修理して使って、物を大切にしていた。

だから日本人は、工夫したり、再生する段階で

それ以上のものを作る事ができるのかも。

日本人の技術の進歩は、そういう祖先のDNAからきているのかな。

感謝、感謝!昔の人は偉かった。

現在の旦那のおかげというか、趣味や嗜好が似ていることで

花の追っかけができる事が楽しみ。

春、夏、秋と城めぐりをかねて、色々連れて行ってくれる。

仕事を持っている時は、休みが合わず、花の時期を逃し

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ショボンとなっている私に、退職したらと慰めてくれた。

一番の楽しみだ。

春爛漫、梅の花から毎年毎年、花巡りがスタート。

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自分らしく生きること

わたしは、子供の頃は大変親孝行な子供だった。

親の事情などは、子供の頃はわかりません。二人の妹が養女に出された事も、

家が貧乏なことも。私達姉妹がしばらく、戸籍がなかったことも。

ただ、大人になって働き出して、結婚して、子供ができて、わかったことは、両親は、

自分達のことしか考えていなかったのだと。

わたしは、身体が弱かったらしい(本人に自覚なし)、そのせいかよくわからないが

祖母や母と、一緒にいて、洗濯や料理を手伝っていた。

幼稚園に入る前まで、大阪に住んでいた。

その当時、母親が若い男性と駆け落ちして、父親が捜していたことがある。

両親がいないので、姉と妹と私の三人。食べるものがなくて。

この頃の八百屋さんは、人情があったのか、私は捨ててしまう野菜を貰って、

何を作ったのかは覚えていないんだけど、多分たいただけだと思う。

4歳で、初めて料理をした。

このような状態が、どのくらいあったかはわからないけど、この時期に、

姉と私が、養護施設に入れられたのだと思う

幼かったけれど、親から離れて暮らすことは、悲しいことだった気がする。

養護施設から引き取られて、しばらくして、四国に引っ越しをした。

多分、お金がなく母方の家に厄介になるためだったからだと思う。

祖父がなくなるまで、大所帯の中で育った。

祖父が亡くなって、両親と私達子供三人の生活になる。

四国に戻って、長男が産まれている。

わたしは、天然だったのか馬鹿だったのか、

貧乏であることも、そのために、たまにご飯がたべれなくても。

弟の世話を、家の事もしていた。

母親は、夜の仕事をしていた。

父親は、働いていたが、どこの職場も長続きしなかった。

母がホステスをしていたので、たまにひものような生活をしていたように思う。

両親は、どっちもどっちという夫婦。

母親は、とにかく自分のことだけで、母親らしいことはしなかった。

午前様で帰ってきて、夕方まで寝ている。

当然、食事や洗濯など一切の家事をしない。

必然的に、わたしが家事をしていた。

姉は、両親に可愛がって育っているためか今もわからないけど、

わがままだった。弟の世話も家の事もしないひとだった。

わたしは、家事をするのは全然苦にならず、母親が喜んでくれるのが嬉しかった。

子供の頃のことなので、時系列や若干不明瞭なところがあるが、

両親は、呼べばすぐ返事をして、動く私に何かと用事をさせた。

とにかく、姉は貧乏なんて関係ない、自分の思い通りにしていた。

家の手伝いなんて、絶対にしない人だった。

人は、嫌な顔をせず動く相手は、便利よく使うものである。

父親が出稼ぎに出ている頃、母親は夫がいない間に好き勝手していた。

私に、千円渡し、何日間帰ってこない。

私は、姉と弟の食事を作り、いつ帰ってくるかわからないから、

できるだけお金を使わないで、食事を作っていた。

ネグレストな母親である。

仕方がないと言えば仕方がない人なのかもしれない。

母親は、子供の頃のからお嬢様だったようで、なんの苦労もしていないひとで、

夜の仕事も毎夜社交界に、出ているような感覚。

綺麗なカッコをして、男にちやほやされ、楽しく飲んで、踊って、おいしものを食べて、お金をもらえる。

母親には、天職だったと思う。

そんな両親なんだけど、二人とも、子供に暴力を振るうことがなかったから

私は、貧乏であっても苦にならなかった。

母親は、一緒にいるときは、不思議な人で、怒ることがない人で、私はいつも褒めてもらっていた。

夕方仕事に出る準備をしている時でも、化粧をしながらトランプをしてくれる人だった。

私達子供にとって、ご飯を作ってくれなくても、いつも優しく笑ってくれている母親は

最高だったのかもしれない。

綺麗な人だったから、自慢だった。それで怒ることがない人なのだから。

母はある意味放任主義の人だったけれど、子供の話を嫌がらず聞いてくれる人だった。

そんな母のおかげだと思うのだけど、勉強をしなさいとかうるさく言われず、

育ったためか、自分らしく生活する事を学んでいたように思う。

お金がないから、大人になって働いて、母を楽にしてあげようとか、早くから

将来のことを考える子供だった。

母親が、自分らしくいきていること、ホステスの仕事を楽しんでいたことは

私にとって、仕事は楽しんでするものだと、嫌々働くものではない思っていた。

このことは、看護師の仕事や、子育ての時に、「楽しむ」という事で、頑張れた。

私の後悔しない人生とは、人生を楽しむということ。

子供の頃の母親の影響だと思う。

大人になって、少し自分らしく生きる事は、

他人に迷惑をかけない。後ろ指を刺されないということが、加わった。

自分らしく生きることは、案外簡単で難しい

自分のらしく生きるということは、それを貫く強い意志が必要だから。

人は、自分にのことがわかっているようでわかっていない。

だから、他人から見える自分を気にする。

そうなると自分らしくなんて、思うことさえなくなる。

人に支配され、一人が怖い。

自分の中で、癒すことも、楽しむ事も見つけることができなくなる。

他人に甘えて、人に頼って生きて、自分らしさをなくしてしまう。

私は、家族特に子供の為に、楽しく頑張って生きてきた。

それなりに自分らしく生きてきたけど、

老春時代になって、自分の事だけ考えて生きるチャンス。

自分らしく生きる本番。

誰にも縛れず、自分のペースで生活。

これが、私のライフ(life)である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

わからない事だらけですが、兎に角記事を書いてます

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プロフィールに、写真アップしたけど、逆さ。

直し方がわからないから、わかったら直そうと、放置。

星マークつくてくれた方ありがとうございます。

大変嬉しいです。

でも、お礼の仕方がわからない、ごめんなさい🙏

はてなブログは、簡単で初心者でも大丈夫と。

私は、初心者にも到達してないレベルなんだな、きっと。

60歳の手習いだい!

頑張る💪

ても、でも、記事見てくれる方、呆れないでください。

気長に、気長に、お付き合いお願いします。

 

ペットの猫の茶々丸やビーグル犬のアリスの写真も投稿したいけど、わかんないから、ぼちぼち頑張ります

猫ばか、犬ばかのわたしなので、みんなにも紹介したい。

ちなみ、猫の茶々丸は、迷い猫で、家族になってまだひと月です。

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ビーグル犬のアリスは、もう6年。8月で6歳になります。

我が家の家族の事も、記事にします。

それから、一回り以上違う旦那のなりそめなんかも。

とにかく、人生ライフを楽しんでいる、老春時代をみなさんも一緒に、楽しんでください。

私のブログを見てくださる方が、げんきづけられ、明るい未来が見えるように、勇気を持ってすごせますように。

とにかく、今はまとまりなく、唐突に、記事をアップします。

パソコンから、わんこの写真アップできた‼

老いとの賢い付き合い方

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55歳過ぎた頃よりより「かだが若い頃よりいうことをきかない」と感じだした。

60歳になると、内臓の老化を実感する。慢性腎不全の検査のクレアチニンの数値が、上昇。食事療法は、変わらない。担当医より、「加齢によるもの」といわれる。そうかと納得。

しかし、透析だけは嫌だと思っている。

仕事をしている時、階段の登り降りで、息切れ

をしたり、長時間の立位がしんどかったりと、病気が悪化してるのかと不安になった。

定年退職をして、主婦になり、少し楽になった。

 

身体のハンディはあるが、見た目だけは、若い。老いとの付き合いは、無理をせず、ストレスを抱えない。毎日を「後悔しないように自分らしく生きればいい」と思う

 

 

自己紹介

初めまして。還暦を迎え、人生も終盤。

60歳というのは、人生の一つの区切りのような、ちょっと立ち止まって見ても良いかな。

振り返ってみると、子供のの頃は、貧乏で給食費もキチンと持っていけなかった。大人になってわかったことだけど、私と姉、妹は、4人目の妹ができて、養子にだすことがなかったら、戸籍がなかった。両親は、私が4歳になるまで、入籍していなかった。私達姉妹は、幽霊。この世では、存在をしていなかった。両親はもう死んでいないのだけど、もし、三女と四女が養子にだされなかったら、学校にもいっていなかったかも。姉は、住民票がなかったから、小学校入学が、1学年遅い子供達と入学している。いい加減な両親だった、今現在も、戸籍のない人がいる。私達姉妹は運が良かった。

二度の離婚、現在の夫は一回り以上歳下、腎臓硬化症を40代で発症、その為に、慢性腎不全ステージC4。現状維持のために、食事制限に頑張ってる。なさぬ仲の子供2人を含め、6人の男の子の母親。

二度目の結婚のときは、ラーメン店の女将もした。一度目の離婚の時は、一人息子を育てるために、保険の外交員、夜はホステス、週に3日看護師のパート。もう、若さだけで働くことだけ考えてた。

今は、子供達が成人して、自立。

還暦のお祝いを子供達から、もらった。嬉しかったのは、自分のために、残りの人生を生きてといわれたこと。

何をしようて考えて、持病はあるけど、とても今の自分に満足してる。

看護師をしながら占い師をしてる時、いつも元気で、明るいと言われた。なぜ、いつも生き生きしているのかと。

考えてみると、私の人生を支えてきたのは、真実一路、後悔をする人生を送らない。

だから、かも知れない。

人生は楽しい方が良い、そのコツや秘訣を、わたしの人生の物語から、伝えたい、そんな思いでブログを書いてみる気に、なった。