老春時代の満足生活情報発信局(日々の暮らしと人生物語)

人生100年折り返し点からを心地よく過ごし、もっと魅力的人間になる「楽しく楽しく生きる」事をモットーに頑張るつぶやき日記です。

「わからない」を、そのままにして生きる


「わからない」を、そのままにして生きる

最近、
「わからない」という言葉を、
前よりも自然に使えるようになりました。

昔は、
わからないことがあると、
どこか落ち着かなくて、
答えを探さずにはいられなかった気がします。

でも今は、
わからないままでも、
それほど困らなくなりました。


無理に言葉にしなくていい

生きていると、
言葉にできない感覚に出会うことがあります。

気持ちなのか、
感覚なのか、
考えなのか、
自分でもはっきりしないもの。

以前なら、
何とか言葉にしようとしていたと思います。

でも今は、
「言葉にしなくてもいいかな」
そう思えるようになりました。


わからないことは、未来にある

死のことも、
人生の終わりのことも、
考えようと思えば、いくらでも考えられます。

でも、
それはまだ来ていない時間のこと。

確実に訪れる未来ではあるけれど、
今、知る必要があるのかと言われると、
少し違う気がします。

いつか知る。
それでいい。


今は、生きている時間

今は、まだ生きている時間。

体が動いて、
ご飯を食べて、
誰かと話して、
猫がいて、
季節が巡っていく。

それだけで、
十分にやることがある。

未来の答えより、
今の感覚を大事にしたい。


「わからない」は、不安ではない

「わからない」というと、
不安や迷いのように聞こえるかもしれません。

でも、今の私にとっては、
不安ではありません。

ただ、
まだその時ではない、
という感じに近い。

焦らなくていい。
急がなくていい。


老春時代の「わからなさ」

若い頃は、
分かることが大事で、
理解することが力でした。

でも老春時代は、
分からないままでいられることが、
少し楽になります。

分からないことを、
分からないまま抱えて、
それでも日常を生きていける。

それは、
生きることに、
少し慣れてきた証なのかもしれません。


そのまま、でいい

答えが出なくてもいい。
結論がなくてもいい。

今、生きていて、
生きていてよかったと思えているなら、
それで十分。

老春時代。
わからないことを減らすより、
わからないことと一緒に、
静かに暮らす時間。

私は、そんな今を生きています。