老春時代の満足生活情報発信局(お金と暮らしと占いと人生物語)

還暦を迎え、人生を心地よく過ごし、もっと魅力的人間になる「楽しく楽しく生きる」ヒント探しブログです

私は、1人になりたいとよく思う。歳なのだから生きやすい人生を歩きたいから。今まで頑張ってきたからもう、自分のことだけを考えたっていいのでは。

私は、1人になりたいとよく思う。

特に、この歳になってからだ。

今の旦那との離婚したいという言葉を毎月口にしてしまう。

時分の事を考えたい、他人の事に気を使いたくないというのが本音。

旦那は、めんどくさい。

日常的なこと自分ルールはできるけど、他のことがからっきしダメ。

一番いやなことは、他人に対しての考え方が嫌いだ。

まず、とにかくケチ。

私に、何かすることも買うこともない。

世の奥さんは、買い物に行っても何かを買うときも、まず、家族の物で、自分の物は買いに行ったとしても、時分の物を買わずに、家族の物を買う。

私も、そうだ。

家計費をもらっていないから、自分のお金だ。

それでも、あっ、これ旦那にいいかも、これ、食べさせたあげたいとか。

いい奥さんでいたいとかないし、いいよに見られたいと言うこともない。

ただ、できる人ができることをやって、補い合うことで、上手くいくと思ってきた。

二度目の時に、何でもかんでも、自分でやって体をを壊してしまった。

だから、無理せずにと思っていることもある。

人がいると、性格なのだろう気を使うのだ。

美味しものを食べさせてあげようとか、喜んでくれるものとか考えて家事をする。

三度目の結婚で、言いたいことを言おう、我慢せずに自分で何もかもやろうとしないと決めていたのだけど。

これが、相手によるのだと痛感している。

今の旦那は子供なのだ。時分がしたい事だけを自分のルールの中でする。

他人い大してこんなことをしたら喜ぶと考えないのだ。

手伝うにしても、自分がしたくないことはしない。

看護師なのに、段取りとかできないことはやれるように努力する事。

わからないことは自分で調べる。

教えてもらったことは忘れない。

してもらったことは感謝する。

兎に角、自分ができない事を、私がしてあげることが多いのだが、できないくせに偉そうで、「ありがとう」という感謝の気持ちもない。

そう、子供が母親にしてもらうのが当たり前のように、感謝をしないのと同じだ。

子供なら仕方がないかもだけど(私の子供は母親にでもありがとうをいうけど)私は赤の他人だし、母親でもない。

怒ると、二階に上がりものを言わず無視だ。

時々、この人の親はちゃんと躾をしていないのか、感謝をすることを教えていないのかと思う。

あいさつもできない。

夫婦であっても、おはようとか日常のあいさつはするべきだと何度も言ってきて、やっと少しは言えるようになったが、其れも普通のあいさつではない。「おはよう」と言えない、ふざけた言葉だ。まあ、起きてきたら、声をかけるのがあいさつだと認識できたと言うことで、許している。

夜寝るときもなのだが、私は先に寝るときは、「先に寝るね。お休み」というのだが、すーっといつの間にかいなくなっている。あれっ、トイレかなと思ったりして、リビングでいるけれど、二階に上がったら、寝ている。

万事がこの調子だ。

私は家族間でもあいさつをしないと、社会に出たら、あいさつができないと思っているから、ちゃんと子供たちに、教えてきた。(不登校で父親のところのいた子供はいつの間にか、あいさつがでいない子になっていたけど)

常識的なことが、できない人なのだ。

できないことを、私がするのはいい、だけど、こうだからしなさい、していないとダメだというのに、あーだ―こうだと言い返してきてしない。結果、後で、私が時間を割いてしなければいけない。

めんどくさいのだ。

子供ならわかるけど、もう50歳になった半世紀生きてきた人間なの、自分のできないこと苦手なことを人任せにして、偉そうに言うこの旦那が嫌で嫌で仕方がない。

そんな気持ちを、落ち着かせ、人間だれしもいいところはある。

っこの人は言えばわかるのだからと、今まで来たけど、さすがに学習しないのはどうなのだろうと思う。

と言っても、落ち着いて思うことは、この人は学習できないのだろうと思う。なんて言うのか学習障害があるのだろう。

まあ、病気と言うことののだろう。

だけど、仕事をちゃんとやって、自分のこともできるので、(掃除、洗濯)家事はできるのだ。

だから、私が居なくても、生活ができるのだから、離婚してくれても良いと思うのだけど。

離婚したいと言ったら、鬼のようになる。まるで、気違いだ。

以前は、床にたたきつけられた理、首を絞められたりしたが、学習したのか、それを続けると本当に離婚されると思ったのだろう最近は、物を壊す。

物を壊すのは、相手を怖がらせるためなら、あるかもしれないけれど私には無駄だ。

興奮すると手が付けられない状態になるが、まだ、最後の一線は、守っているようだ。

こうして、文字にして自分の気持ちを見る。

ストレスにならないように吐き出して、自分の気持ちを切り替えるようにするのだけど、結局のところ、相手が変わらなくいつも同じパターンになるので、どうしたものかと考えている。

時間をかけて、もう歳なのだから生きやすい人生を歩くことだと思う。