老春時代の満足生活情報発信局(お金と暮らしと占いと人生物語)

還暦を迎え、人生を心地よく過ごし、もっと魅力的人間になる「楽しく楽しく生きる」ヒント探しブログです

神様は信じているけど、宗教団体は嫌い。神様はいらいらしゃると思うけど、感じるかは人それぞれかな。普通がいい。当たり前がいい。生きると言うことが幸せ

神様は信じているけど、宗教団体は嫌い。

 

昔、ママ友で、創価学会の信者がいた。実のところ、私も子供の頃に、祖母が入信していたので、入っていたように思う。母も入っていた。

 

祖母は熱心な信者で、毎日仏壇に、手を合わせていた。

 

母は、精神状態が悪くなったときに、何だか取りつかれたようになっていた。

 

もう、鬱だったのだろう。

 

その当時、母の勧めで、集会に付き合わされていた。まあ、親孝行だと思っていたので、付き合っていたが、幹部の人たちの、「娘さんは、入信してら、凄く、人を導く人になれる」「あなたは、人を幸せにすることができる」だとか、歯の浮いたようなことを言ってきていた。

 

でも、私は、宗教団体という組織が嫌い。

 

「母が、一緒に言ってと言っているから、付き添いのつもりなので、入信するつもりはない」

 

幹部の方たちは、私が若いので、若い方で熱心な信者の家に連れていったりと、したが、頑固に、断っていた。

 

まあ、母たちの地区の集会。なんなのと思っていた。あの人は、どうたら、あそこの集会の集まりはどうたら、他人の悪口と足の引っ張り合い。

 

ある日、「あなたは不幸になる」

 

「ふ~ん、じゃあ。あなたは幸せなんだ。他人に対して脅しをかけるようなこと言わせる信仰って何?」

 

それ以来、母とのおつきあいもいかなくなった。といっても、その時の私の剣幕の様子を見ていた母なので。わかってくれたようだ。

 

信仰しているのに、他人に対して上から目線。人が人を助けることなんてできると思うほうがおかしい。

人生は、学びだ。自分で答えを見つけるために、生きることなのだ。

 

そんな日常を、まじめに生きて、自分の生を全う出来たら最高。

 

普通がいい。当たり前がいい。生きると言うことが幸せ。

 

何というのか人を入信させることが、上に上がれることらしく、私にすれば、上の幹部になることで人間が浄化されるわけでもなく、幸せになることではないと考えていた。

 

日蓮だって、神さまの中の一部であって,他の宗教をけなしたりしていいものではないだろう。

 

キリストだって、お釈迦だってもとは人だ。

 

神様ではないだろう。

 

伝道師ではないか。

 

なのに、同じように人救いをしているはずなのに、争いになるようなことを平気で行っている。

 

自分達の宗教が、正しいとかなんとか。

 

意味が分からない。

 

兄弟喧嘩をしているようなものだ。

 

だから私は、神さまは信じているけど、宗教団体は嫌いだ。

 

それによくわからない、懺悔をしたら許されたり、徳度を積んだら過去の償いができるとか。

 

それなら、宗教団体に入って、人殺しや他人を裏切っても、懺悔をして、許されたからまた、やってしまった。

 

でも大丈夫。私は、神に愛されているから信仰をしているから、許されるのだと言うことか。

 

ある宗教団体に入信している友人がいた。

 

その人、川上が汚れていたら、川下がきれいにならないと教えを受けているのに、何故か、旦那を裏切って、浮気をする。

 

その浮気の日は私と一緒にいたことにしていた。

 

もう、信じられない。

 

仮にも、自分がつらいときにその宗教で救われたと言っている人が、親友であると言っている私に、嘘をつかせるなんて、利用するなんて。

 

それも事後承諾。旦那に、一緒にいると言ってると。

 

もう、長い年数の付き合いの信頼が、いっぺんになくなった。

 

よくあるじゃないですか、善人の皮をかぶっているみたいな。

 

信仰をしているのに、十年以上。それも、お世話役。

 

もう、もう、彼女が信仰するのは気にならなかったし、友人として付き合っていたけれど、ある日を境に、付き合いをしなくなった。

 

と言っても次男ののママ友から始まった友人だったけど。

 

私は、親友だ思っていたけど、彼女は、私を、自分の宗教団体に入信させたかったようだ。

 

私、入信したのだけど、う~ん、キリストも、お釈迦も、仏法もすべての元は一つという考え方が私の、神さまって元は一つと同じだったから。

 

だけど、人間が集まると入信者を集めるために、競争している。

 

私は、人を集めるつもりがないのだけど、何となく、人が集まってきて、入信してしまう。

 

私は、全然、集会にも参加しないしお布施も出さない。

 

階級を上げようと言われても、信仰するのに、お金が必要なのがわからない。

 

階級が上がったからと言って、神さまとの縁が濃くなるわけでもない。

 

上に上がりたいとも思っていない、信仰をするなら今の状態で満足している

 

この、宗教団体については、自然に抜けた。ここは、霊線を繋ぐと言うことで毎月お金を納める。まあ、団体として活動するなら仕方がないだろう。会費ということだと認識していた。

 

この会費を、彼女が立て替えるのだ。凄くそれが嫌だった。

 

後でお金を払うのだが、頼んでもないし、感情は私のお世話役なので、そういうことをしていたのかもしれないけれど。

 

今の夫と結婚して、この団体の付き合いはやめた。

 

霊線保持を納めなければ自然脱退になると知っていたので。

 

ある日彼女が訪ねてきて、団体に集積しないのかと言われたので、もう、会費を払っていないのだから、席はないでしょ。

 

困った顔をして帰っていったというより怒っていたかな。

 

多分、聞かなかったけれどお金を払っていたのではないかと思う。

 

一番の原因は、彼女の親しき中にも礼儀ありが、なっていないから。

 

彼女、私の知り合いから車を購入するときに、そこの社長から「○○さんの車庫証明、奥さんのところで取らさせてもらってもいいですか?」

 

「はぁ、どいうことですか?」

 

「○○さんが、奥さんのところでと言っているので確認してます」

 

なんで?事前の承諾もなく、車屋さんから電話で。

 

車屋さんと私はもう、30年の付き合い。

 

でもである、この家の名義は夫である。いくら私が、妻でも夫の名義の物を、どうぞと気持ちよく貸せるわけがない。

 

夫は私が言えば、聞いてはくれるだろうでも、夫のいない時に、勝手に承諾なしで。

 

結局は、車屋さんも彼女の親友が私であるから、知っているのだろうと確認している様子だったので、承諾することにした。

 

夫には、誤り、ちょっと嫌な気持ちであることも言った。

 

夫も、「君の友人だから事前に言ってくれれば、相談に乗ったけれど、ちょっと常識を疑う」と。

 

こんな、ちょっとしたことが、重なり、だんだんと疎遠になった。

 

まぁ、付き合いだしたころから私は「自分から連絡を取ることがない人間なので、あなたから連絡がなくなったら、疎遠になると思うよ」と言っていた。

 

私は、自分から、他人とつながることをしないのである。

 

何故かというと、何も、面白みのある人間だと思っていないのだ。

 

1人の時間が好きだし、悩むこともないし。

 

生活をするが一生懸命で、生活が趣味、生きていることが楽しいという感じなので、あまり、話すことがない。

 

共感はするし、他人の言うことはそうかと思うけど、他人は他人という気持ちが大いにあるから。その人の人生とも思っている。

 

職場では、職場だけ。学校関係は学校の中だけ。その場その場の人間関係。

自分のプライベートとしっかり分けているので、自分の時間は、他人に合わせるのは嫌。

 

誰かとランチもしたいと思わない。ランチをするなら夫や家族でよいから。

 

買い物も、1人か、家族のほうがいい。

 

ただ、ただ、他人と一緒は、気を使うから、嫌。

 

他人と話をしていると、うわさ話やが多い。興味がない。

 

井戸端会議は大切だと思うけど、他人の悪口はごめんこうむりたいから。

 

それに私が占い師であることから、相談ごとになってしまい、今はプロとしてお金をいただいているので、気軽に占いを強要されるのが本当に困る。

 

そんなこともあり、友人を作らない。

 

夫がいればよいかな。1人でもよいかな。

 

不思議なことなんだけど、神様を感じられるためか、寂しいくないのだ。

 

いつも穏やかな気持ちでいられる。

 

本当によくわからないけど、「私って幸せだわ」と思えている

 

お金があるわけでもないけど、こうして、満足な生活をしている。

 

振り返ってみると、ほしいものが何もない為かな。

 

子育ての時には、子供たちを自立できる人間にと、後ろ指のさされる人間いならないように、母親として頑張ってきた。

 

子供も自立してこの歳になると、何もない。

 

寂しくもないし、それよりも、本当に神様は、見てくれていたからこそ、こんなにゆったりとした時間を、与えてくれているのだと思える。

 

感謝でしかない。

 

頑張ってきた人間は、神様からのご褒美が必ず、あるのだと思う。

 

神様はいらいらしゃると思うけど、感じるかは人それぞれかな。