老春時代の満足生活情報発信局(お金と暮らしと占いと人生物語)

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歳をとると、やっぱり気になることは死後の世界でしょうか?死ぬということはどいうことだろうと。 この歳になってもわからない。

歳をとると、やっぱり気になることは死後の世界でしょうか?

天国、地獄、あの世と色々なことが、巷では、話に上がる。

霊はいない。科学的に証明されるという方も。

私もやっぱり色々と考える。

占いカウセラーなどという仕事をしているせいもあるが。

自分の親や親しい人、子供の頃に良く見ていた俳優、タレントの死。

やっぱり死んだらどこに行くのだろうと思う。

私は今は生きているけれど、明日の朝生きているとは限らない。

ついさっきまで、動画を見ていた私、一時間前には、息子の家から帰ってきた私。

時間の流れを、不思議な気持ちで感じる。

説明がつかないのだけど、こんな気持ちの時は、子供の頃の私、父や母がいたころの私の時間はどこに行ったのだろうと思う。

死ぬと言うことがいつか来るのだけど、自分の事なのにわからない。

人が死ぬ場面に、看護師という職業柄、遭遇してきたけれど、さっきまで、生きていた、さっきまで、息をしていたのにと何度思ったことか。

死ぬということはどいうことだろうと。

この歳になってもわからない。

死ぬと言うことが怖いという気持ちはない。何というか、不思議な未知の世界だ。

霊能者が、ひどい死に方をした人を、浄化して、今は大丈夫ですとか言うのを聞いたことがある。

死んだのがわからない人がいるとも。

心霊スポットとか。

幽霊とか、怨念とか。

生きていれば、意識と言うことなのだろうけれど、死ぬと、霊というみたいだけど。

この霊という物を否定する人もいる。

重体だと命に係わる状態で、ほぼ、意識がない状態だ。意識が戻らないと、危ないというようなことを医療の現場でいう。

この意識とは何かといつも考えていた。

霊は、存在しないと言う人は人の意識の説明をしてほしいと思うことがある。

植物人間で、意識がない状態、脳死と言うことで、意識が戻らないから死。

この違いは何と思うことも。

植物人間の方は、脳死ではないから生きている。

脳死の方は、なぜ死んでいるとなるのだろうか。

死とは人間の生命活動ができない事としたら、脳死でも、体は生きていると言うのに、それは死と言うことになるのか。

死後の世界はわからないから、怖がる人もいる。

私は生きているので、「死」は会たくても会えなくなることかなと思うようになった。

関わった時間があり私の中に残っている。でも、死んでしまったら、あえなくなること、話ができなくなること。

私の願いは、自分の子供たちが幸せな人生を送ってくれることだけど、これは死んだら、忘れるのかな、それとも、身体がなくなっても思いが残り、子供たちを見守ることができるのかな。

ウクライナの戦争で、痛い思いや怖い思いをして死んでしまう人がいる。

その人たちは、死んだらどうなるのだろうと思う。

悪いことをしたら、その報いを受けるというけれど、それって死後のことだろうか。

不思議な世界を見たりすることはないけれど、霊能者たちは、本当に死後の世界はある説明できる人がいるのだろうか。

ある霊能者は、亡くなった人が、今も側にいますよと言うことを言われる人がいる。その人たちは、どこに行くのだろうか。

最初の旦那が亡くなった時に、不思議なことに、心霊写真なるものが取れたことがあった。

不思議と、側についているんだと感じた。45日が過ぎてからは感じなくなったので、霊って、本当にいるのだなと思った。

だからと言って、いつもいつも、霊を感じるわけではない。

一緒にいたかったのだなと思った。

成仏というのだろうか、どこに行くのかわからないけれど、死んだら行くところがあるのだなとその時に思った。

そのせいかもあるのだけど、「死」という物は怖くはないけれど、自分の「死」が突然に、ならなければいいなと思っている。

不思議なものだけど、精神病院で勤務している頃に、患者が、「お迎えが来る」と言っていたことがあり、まだ元気なのに、なぜそんなことを言うのだろうと思っていたけれど、その患者は、一カ月しないうちに亡くなった。

医療に携わっていると、本当に自分の死期を悟る人がいる。

特に癌患者さんから、「ありがとうね、お世話になった」と言われるのが一番つらかった。

人は、自分の死期を感じる人もいれば、突然の事故などで亡くなる人もいる。

私はできれば自分の死期がわかるような人生の終わりを迎えられたらいいなと思っている。

できればちゃんと、「幸せな人生だった」と子供たちに伝えてなくなりたいと願っている。