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宗教、宗教団体、献金、寄付、信仰の自由について。①

宗教、宗教団体、献金、寄付、信仰の自由について。

まず、私は、宗教は、神仏などを信じて、神仏の教えを、聞かせてくれ、安らぎを得ようとするものだと思っていた。

だから、何で霊感商法がほこびってしまうのかわからなかった

統一教会霊感商法のニュースが、世間をにぎわせていた頃は、子育てに奮闘していて、興味がなかった。

この歳のなっても、霊感商法などというものは、自分には無縁の物。

私にとっての宗教は、八百万の神々であり、自然のエネルギーだから。形の必要する人間が作り上げている神々に対しては、そうなんだという程度にしか反応しない。

そして、何で、霊感商法なるものがはこびったのだろうと考えてみた。

宗教とはで調べたら、「経験的、合理的に理解し制御することのできない現象や存在に対して、積極的な意味と価値を当てようとする信念、行動、制度の体系。

アニミズム、トーテミズム、シャーマニズムからの民族宗教更にキリスト、仏教、イスラエル教などの世界宗教にいたる種々がある」と。

なるほど、「経験的、合理的に理解し制御することのできない現象や存在に対して、積極的な意味と価値を当てようとする」これかと思った

この部分が、霊とか見えないもの、感じないもの、現在の人間では、第六感なるものが、発動しなくなっているから。

人は、自分の知らないもの、わからないものに、恐怖感を抱く。なぜと考えるから、特に不幸なことが起こると、答えを求めるから。

私は、キリスト教エクソシストとかいう映画は見ない。何というか信じないと言うことではなく、ドラマとして見てしまうことと、自然エネルギーを信じているので、恐怖をあおるものは、やはり負のエネルギーを呼ぶと思っているから。

自分が、その負のエネルギーに勝てるほど生体エレルギーが、強いと思っていないことがあるから。

霊というものの説明はできない。

だけど、パンドラの箱が空いたときの絶望的な沢山の負の感情が、広がった時から、悪しき感情は、負のエレルギーとなりえると思っている。

だから、怖い場所だとか、幽霊屋敷や肝試し等のたぐいには一切かかわらない。

自分が感じないものに対して恐れを感じることも、正確に誰も知らない事に恐れを感じることも、まして自分が死んだ後の事なんて知らないのだから、今生きて生きている自分の人生を大切にすることだ。

友人が、とある宗教団体に、浸透した理由が霊能者になりたいと言うことだったと聞いたときに、何で、宗教団体に入ったら、霊能者になれるのと不思議だった。

宗教とはを調べて初めて理解できた。

占い師を目指したほうが、霊感というか第六感を鍛えるることができるのではと思った。

人は、自分を含めての家族の幸せを望むものだ。しかし、本末転倒のようなことになってはいけない。

考えてみて、自分も死んだら祖先になる。死んだ後自分の家族が不幸になるように祟りになったりするのか。自分の犯した人生の責任を子孫に、押し付けるのか。

過去の償いというが、それをしなければ、家族が幸せにならないというのか。

自分が死ぬときに、家族に自分の人生の責任を、家族に残すのか。

ちょっと考えたらわかると思うのだけど。

宗教に関わって、心に安らぎをもらえないならその教えは間違っている。