旧統一教会のニュースなどで、霊感商法の献金の問題を、聞くようになって思うこと。霊について。
霊感商法が問題になった頃は、最初の長男が生まれて、生活をすることに一生懸命だった。
看護学生から看護師になったこともあり、寮に住んでいたこと、不規則な勤務で、テレビを見なかったこと。子供の頃はテレビが、時々なくなる(質屋に持っていく)のでテレビを見る習慣がなかった。
そのために世間のニュースに疎かった。
最近は、仕事を定年退職をして、時間があること。
テレビでなく、インターネットから、情報を取るようになった。
占い師として電話占いの会社に所属していたので、「霊的な話」をすることがあった。
霊感商法の話で、多いのは先祖が苦しんでいるから献金、あなたには、悪い霊がついているというようなたぐいの話。
私は、霊を信じてますかと聞かれたら、信じてますと答える。見えるのですかと聞かれたら、見えないです。
霊を信じる根拠はなにかというと、見えないけど感じるから。だけど、この感じることにしても、自分が感じているものが真実かというと私にもわからない。
だって、霊がどんなものか知らないから。
人が死ぬと言うことを考えてみるときに、植物人間、脳死を考えてみる。排泄もあり、臓器は動いているのに意識がない。戻らない。
意識って何と思う。
意識というものが霊というものかなと思っている。
霊は科学的に説明がつくという人もいる。幽霊はいないという人も。
だけど、科学的というのなら、肉体が正常に動いているのに、意識がないから亡くなっていると言うことの説明ができるのだろうか。
人が死ぬときは不思議だ。ほんの何秒か前に、生きていたのに死ぬ。何度も臨終に立ち会ってきたが、この感覚はいまだに、わからない。さっきまで生きていたのにと患者を見てしまう。「死」って何だろうとずっと、思っている。
霊の説明を理解できるように話をしてくれる人が世の中にいるのだろうか。
霊というのはエネルギーだと思っている。電波と同じではないかと。
だから、怨念だとか、地縛霊のように、そこに集まってしまうこともあるのだろうと思っている。
霊が、自分が死んだと言うことがわからなければ、どうだろうか。
気づいてもらえないと人の感情ならさみしいと思うのではないだろうか。
人は霊を見ることはできないけれど感じることはできるのではと思う。
虫の知らせと言うことがある。
母が亡くなった時と、元夫が亡くなった時にあった。
私は、霊を感じることも一種の能力ではと思う。
妹が、霊が見えるという。妹うの霊は結構暗い負のエネルギーっぽい。霊が見れるなら、ついでに話もできればいいのにともうが、妹はできないらしい。
なのに霊感タロットと謳い文句を言って、占い師をしている。
死んだ人と話ができるらしい。なのに、除霊はできないという。
霊能者は、除霊が自然とできるようだ。会ったことがないので審議はわからないが。
そのことを思うと、妹が、見えることを商売にするのはいかがかなと思っている。そのため妹とは考え方が違うので今現在は交流がない。
霊がいるかいないかは、その人の感じ方だと思う。世の中には、不思議な説明できないことが起こることがある。
生きている中で、アクシデントや事故、不幸な出来事はあるだろうけど、それらを、霊のせいにしてはいけないと思う。
そのような考えを持っていると宗教団体やまやかしの霊能者の餌食になってしまう。
自分が見えない感じないのなら、霊に対してというよりも過去にとらわれない人生を送ることが大切だと思う