意味のない虫の知らせ。
子供の頃から、不思議と虫の知らせと言うことを感じることがある。
前に同じことがあったなとか、あれ、これはちょっとやばいことになるかもしれないからと思ったりして、きちんとしないといけないとか、気をつけようとか。
それから時々だけど、子供の頃は、他人が、亡くなるのを、感じたり、嫌だったので、無視することにした。
安倍元総理野ことについては、最近の写真を見て、大丈夫かなとでもそれは、病気を持っているからという風に解釈していたけれども、心のどこかで、不謹慎だけど、亡くなるのかなと。
そんな中での、安倍晋三元総理の、狙撃。
何だか、こんなことを書いてはいけないのだけど、ハッキリと、「死」を意識したわけではないのだけど、ニュースを聞いて、あっ、そういうことかと。
もっと、しっかりしたものを感じれるとよいのだけど、と言っても、感じたり見えたとしても、何もできない。
もし、そんなことがはっきり見えたら、話をしたとしても、誰も信じられないだろう。
それにしても、以勤務していた時の同僚の時にも、廊下ですれ違う時に、「調子が悪くない?」と言ったことがあり、その彼女は、一か月後に亡くなった。癌だったけど、病院に行くように言えばよかったと後悔がある。
時々だけど、何がどうのこうのとはわからないのだけど、ふっと何の脈略もなく、ファンでもないのに、タレントや、俳優達が気になることがある。
それで、何日後に、訃報が入り。あ~あ。そうかと、納得することが多い。
今回は、はぁ~という感じだ。
安倍元総理は、大好きだっただけに、ショック。
それにしても、他人の亡くなることがはっきり分かったことで、いいことはないだろうな。
でも、時々、ゆかりも何もない人の亡くなることを感じる私は、何のだろう。
感じたからと言っても、はっきりしたものではなく、あとから、そういうことかとわかるなんて意味がない。
それにしても、修行でもすれば、もっと強くなるのかな。
今回の様なまだまだ、日本に必要な政治家がなくなることが、私が、強い霊感を持っていたら、知らせることができただろうか。
かと言って、何だか、「死」が近づいてきているから、何て言えるわけがない。
頭がおかしいと思われるだけだ。
まして、占い師を名乗っている私が、「死」を予言するようなことを言うわけにはいかないよね。
友人の時にも、ショックで、何の意味もないじゃないか。
声はかけたけれど、癌の再発だったし、でも、あの時にもっと、病院にいったらと言えばよかったと後悔をしている。
そうすればあんなに早くにいかないで、もっと時間が取れたのではないかと。
彼女の「助けて」のメールを今でも忘れられない。
今回の元総理の件も、安倍総理大丈夫なのかなとは、思ったけど、狙撃されるなんて思いもしなかった。
亡くなるのかなと明確に、感じたわけではなく、大丈夫かなと。
おぼろげに、感じたものが、事が起こって、そうかなんて思うのは嫌だ。
占い師をしてきたから、こんな事を感じるのだろうか。
霊能者としての力があるのならいいけど、そんな、明確なものではないのだから。
俗にいう、「虫の知らせ」だ。
安倍元総理の件でわかったことは、他人に対して、「大丈夫かな」と感じた時は、近い将来、訃報が届くと言うことだ。
考えないようにしていたけれど、人の、覇気を感じることができるのかもしれない。それは、自分の意思でどうなるものでもない。
だからといって、誰かに私の死期が見えますかと言われて感じるものでもない。
今回のことに関してだけは、もっと強く感じていれば自分がそいうものを感じると認識していれば、ただ大丈夫なんて、軽く流さなかったのではないだろうか。
友人がなくなってから、もう12年たつけれど、何でもっと明確に感じられなかったのかと後悔している。何で、あの時にもっと、強く言えなかったのかと。
安倍元総理のことは、きっと私が死ぬまで、何でこんな役にも立たない「虫の知らせ」を感じるのだろうと、後悔し続けるのだろう。
強く感じたとして、見えたとして、何の役に立つのだろうか。
霊感を売り物にしている占い師がいるけれど、本当に見えているのなら、安倍元総理を助けることができたのではないのだろうか。
霊感タロットや未来が見えるとかいうのであれば、安倍元総理を助けてくれればよかったのに。
わたしのような「虫の知らせ」出なく、本当に見える人もいるだろうから。
わからないけれども、それでも、未来を変えることはできないのだろうか。
変えてはいけない未来なら、何で、虫の知らせなんてあるのだろうか。
自分に対してはらただしい、もっと強い霊感があれば。
頭がおかしいといわれても、感じた時に行動していれば今の様な後悔はないのだろうか。
安倍元総理の写真には覇気がなかったでもそれは病気で無理をしているからと思いこもうとした。
だけど、明確ではなく、其れこそ狙撃場面が浮かんだのではなく、その人の活きる力が弱いと言うことを感じるだけなのかもしれない。
だからしょうもない感だ。
日本の国民が、安倍元総理の「死」を悲しんでいる。
私もその一人だけど、私の場合は、自分の力のなさに、情けなさを感じて、もっと力があればと、涙が止まらない。
見えたからと言っても助けることができなかったかもしれない。
でも、未来は、たくさんの可能性があるはずだから、私が霊能者だったら、安倍元総理は助かった未来もあるのではないだろうか。
占い師をしていると、時々不思議な感じで、喋っている時がある。自分でそれは妄想ではないのかと否定をする。
感じたからと言って、未来はわからないし、確かめることができるのはその時になってからだ。
ただ思うことは、物事は、いくつもの答えがあって、どの答えを取るかで、未来が変わる。
安倍元総理のもっとSPがついていて、安倍元総理が現総理だったらもっと、SPがたくさんついていて、後ろに見人がいて、暗殺されなかったかもしれない。
でも、だったらは嫌いだけれども、今回は、だったら、でも、だけどがあふれてくる。
話をしたこともないけれど、政治家で一番好きな人だった。
神様にお願いしたい、しょうもない「虫の知らせ」はいらないですと。
安倍元総理の遺志を継ぎ、安倍元総理がやろうとしていた事を継ぐ政治家がいますようにと願わずにはいられない。