老春時代の満足生活情報発信局(お金と暮らしと占いと人生物語)

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恵まれている人間ほど、褒められないと言うこと。当たり前を持続することは忍耐.自分との闘いだから。誘惑に負けずに、毎日を生きる。

今日は、鑑定相談者の話から、思うこと。

 

とても、よく利用してくれる相談者の方。

 

先日、母親と喧嘩をしたと、自分はダメな人間だと。

 

50歳を超えている方。

 

この方は、占いをしてもらうためではなく話を聞いてほしい。というスタンス。

 

お金持ちの娘さんで、大学院もでて、とても、人から見れば、羨ましい生活をしてきたと思われる。

 

かれこれ、10年ほどのお付き合い。

 

彼女と話を今回して思ったことは、恵まれている人間ほど、褒められないと言うこと。

 

どんなに頑張っても、当たり前、できて当たり前。

 

恵まれているから、あの家の子だから。お父さんも立派、お母さんも、すてき。

 

医者の娘さん。

 

仕事をしていないほうが多いのか、私と知り合ったときも、仕事をしているように感じなかった。

 

私も相手が言わないことは聞かない。

 

どうも、一人暮らしをしているのに、お金に困っている様子がない。

 

電話鑑定に何十万も使っている様子だった。

 

恋愛相談だったけれど、無理だと思っていた。

 

何というか、周りから、さすが、選ぶ人が違うみたいなことで、人を好きになっている。

 

本人は、気づいていないようだが。

 

最近、好きな人がまたできた。その人の相談を受けている。

 

彼女は、自分の時給は、2000円以上と何かの話で言っていたことがある。

 

これは、十年以上前の話だけど。都会にいるからと言っても、スキルもないし、経験もないのに、何をもって、そのように言っているのかわからなかった。

 

まあ、田舎と都会では違うのかもしれないけど。

 

話がそれたけれど、倒れないで頑張っている人が私は好きだ。

 

当たり前に会社に行って、他人からうらやましいと言われることなく、注目されるわけでもなく、毎日を頑張っている人が好きだ。

 

当たり前を持続することは忍耐が必要だ。

 

倒れるのは簡単。そして、そこから起き上がればすごいように言う人がいるが、倒れないで頑張っている人のほうがすごいと思う。

 

当たり前は、誰にもすごいと言われない。

 

誰も、褒めてくれない、だって、当たり前だから。

 

自分との闘いだから。誘惑に負けずに、毎日を生きる。

 

毎日の生活の中で、できることを頑張る。

 

私は貧乏な生活をしてきたので、彼女のように、親に50歳を過ぎて、いまだに、親に養ってもらっているとは、本当に、親がすごいのねと思う。

 

環境の違いってあるのだなと。

 

占い師でなければ絶対に関わっていない人だと。

 

彼女と話をしていていつも思うことは、こんなに恵まれた生活を送ってきて、何でもしたいようにしているのに、満たされなくって、劣等感があって、自信がない人っているのだなと。

 

彼女の子供の頃からの生活は、できて当たり前の世界で、勉強ができて当たり前、褒められることはなく、できなければ攻められるような生活環境だったのが、自分に自信がないことにつながっているようだ。

頑張っているのにとよく言われる。

 

そう、誰かが彼女を、褒めてあげていれば、きっと、もっと違った人生観を持っていただろう。

 

何をしたかったのか。

 

成人するにつけて、親に反感を持ち、親を見返すために、自分でできると言いつつ親からの援助がないと生活もままならない。

 

私が電話占い師をやめる頃に、彼女には、ある教室を開くことを勧めた。

 

親が亡くなったらどうするのだろうと思ったから。

 

他人に雇ってもらっての仕事ができる人ではなかったから。

 

言い方が悪いが、他人を優劣で見るところがあるから。

 

そんな彼女も、教室を開いて、自分のできることが見つかったようだ。

 

しかし、親との関係が、悪いとは言わないけれど、自分ができることを自慢するなと教えてもらっているのか、自慢するようなことは恥だと思っているのか。

 

謙虚と言えば謙虚なのだが、「私はできる」と言わないからという心の中が、他人を見下しているところがある。

 

感謝の気持ちがなく自分が正しいという気持ちがあるようだ。

 

母親に対しても、感謝でなく、負い目。自立できていない事のコンプレックス。

 

母親からは何で、大学院までであたのにその技術を生かさないのかと責められることがあるようだ。

 

自分のしたいようにやっているのに、なんで病気になるのともいわれる。

 

そのことに対して、言い返して喧嘩になると。

 

私からすれば、血のつながりの甘えでしかない。

 

母親は、心配という感情が怒りを呼び、高齢者の自分がいなくなったらと。

 

彼女は、わかっているから言わないでほしいと。

 

子供だと思う。

 

中学生や高校生の反抗期のようだ。

 

生活を面倒見てもらっての負い目があるなら、感謝すれば腹も立たないし、言われても仕方がない。

 

自分が頑張っているのなら、自分が認めればいいだけだ。

 

自分以外の人からの評価を気にしていたら、自分のしたいことはできない。

 

失敗することや結果を出すことに、執着してしまう。

 

失敗したことからは何も学ばない、失敗したことにこだわり自分にダメだしをする。

 

そして自分は、ダメな人間だと。

 

彼女には、何をやっても当たり前で、褒められることはなくできなかったことを責められることが多かったのだから、でも自分が頑張っていたことは、自分が一番知っているはずだから、自信をもってと。

 

そして、親には感謝する事で、嫌な気持ちもなくなるし、親の気持ちもわかるようになるよ。

 

自分が生きているのは、親がいたからだから。その親には、また親がいる。

 

凄くたくさんの人が頑張って生きてくれたから自分がいるわけだから、自分を含めて、肉親にも、他人にも感謝しないといけない。

 

生きると言うことは、ルーツがあって、そのルーツの中には、かかわってきた人の思いが入っていて、その人たちがでできなかった事ややり残したことを受け継いでもいる。

 

自分に価値をつけるのは自分だから。

 

決して、他人ではない。

 

心穏やかに、するのなら、今生きていることに感謝しないといけない。

 

戦争があるわけでもなく、食べられない事もなく、生活できているわけだから。

ある程度の歳になったのだから、血のつながりに甘えることをやめないといけない。

 

虐待が起こるのは、血がつながっているという甘えだ。

 

子供は、幼少時代は、親が絶対だから。嫌われるのが嫌だから何をされても、耐えるし、親を嫌いと言えない。だから何をされても、親を求める。

 

親が亡くなった人は、その時点で、自分で生きる。生きなければならない。

 

そんなことがない限り、幼少期の生きる過程では、親が絶対だ。

 

私は、毒親感謝することで、親の人生を認めることができた。

 

この人たちはそれなりに好きなことをしているのだと。

 

自分の人生を生きているのだから、私も私の人生を生きようと。

 

親に、依存していることの幸せを感じるべきだと思う。

 

依存させてくれている親はすごいと思うべき。感謝が足りない。

 

そう、感謝できれば仕事もするし自分が、このような状態ではだめだとわかる

はず。

 

人の思いは簡単には変わらないけれど、自信がない人に言いたい。

 

感謝の気持ちがないから、自分の世界に閉じこもる、他人と比べ、自分のできないことを探し出し、負の思いを作り上げる。

 

大きな声で、生きていることにありがとうと言えば、気持ちがすっきりする。

 

直接本人に、言えなくても、言葉に出して、いってみよう。

 

自分のルーツの親に、「ありがとう」と。