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嘉風の虐待妻のニュースを見て。人として生きることは、パンドラの箱から出てしまった「悪の心」と戦うことではないだろうか。

嘉風の虐待妻のニュースを見て。

 

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毒親についての町の人の、コメントを放送していた。

 

心理カウンセラーの人が、虐待になることを、三つほど話していた。

 

その内容を聞きながら、親の愛情を、教え伝える方法を、間違わないことじゃないかと思った。

 

私の親は間違いなく毒親だった。両親は、暴力はしなかった。

 

母の場合は、自分中心の人なので、子供たちのことに無関心だったから。

 

父は、外面の良い人だったので、子供に暴力をするような人ではなかったし、一緒にいるときは優しい人だった。

 

まあ、暴力を振るわれるほど、同じ時間を過ごすことがなかった。

 

両親ともに、夜家にいることがなかったから。姉弟と三人でいることがほとんどだった。

 

母はホステスなので、夜は仕事に行っていたのだが、父が、何をしていたのかわからない。

 

父とは、中学に上がってすぐぐらいに、家に帰らなくなった。

 

その当時、家には、ちょっと強面の人が訪ねてきていた。

 

そのため、父と暮らした時間は、あまりないので、父を毒親と認定するほどの認識はない。

 

子供の頃の記憶は、けっこう、大人になるまでに、親からの扱いは、しっかりと残る。

トラウマとなる。

 

そうして、成長するにつれ、色々なことがわかるようになると、「あ~、うちの親は、普通じゃないな」と。

 

この、嘉風の奥さんは、子供に、暴力をする虐待をしているが、殴る、蹴る

虐待は、憎しみにつながると思う。

 

これは、親になり子供を育てるときに、障害になるし、かなりの影響があると思う。

 

私は、暴力を受けることがなかったので、両親を半面教師として、冷静に判断できる状態だったので、自身の子供に、暴力をふるうことはなかった。

 

ただ、四人の子どもを育てる中で、一人の子供に、非常にあたりがきつい時期があった。

 

その子は、私に嫌われていると、感じて、それでも、怒られるのがわかるのに、いたずらや悪いことをしていた。

 

まぁ、この子の話は、またの機会に話すけれど。

 

毒親の両親のもとで育って、言えることは、どんな状態でも、子供が親の愛情がわかれば、子どもは、親のためにどんなことでも耐えるということ。

 

子育てが一段落して、それぞれが自立して思うことは、愛情を伝えることで、解決することができると言うこと。

 

よく怒ることがダメのように、言う人がいるが、子供が間違っていることをすれば、叱るのは親として、あたりまえ。

 

ただ、感情的になるのは、ダメだと思う。

 

子どもは、親に嫌われたくないので、自分のどこが悪いかと考えるので、ころころとその場の感情で、怒ってしまっては、良い親子関係は築けない。

 

毒親にならないために必要なことは、愛情をもって、叱れるかと言うことだと思う。

 

そして、傾聴することである。

 

親であることで、毒親かもと嘆く事なかれ。

 

子どもは、馬鹿ではない。

 

一人の人間として、対等に付き合うことで、親を愛し、成長してくれる。

 

自分が生んでも、その子供は自分のものではない。

 

神様からの預かり物だ。

 

自分の物だから、親だからと何をしてもいいと、勘違いをしてはいけない。

 

自分が人として、人として生きていくための、親としての経験を、神さまから与えてもらっているだけだ。

 

心理カウンセラーの人が、両親が仲良くし、干渉しすぎないと話をしていた。

 

両親が仲が良いと言うことは、子供にとっては本当に、大切だと思う。

 

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家族愛が強いことは、子供の成長に欠かせないと思う。

 

干渉しすぎないと言うことも、必要だと思う。

 

私は、離婚はしたけれども、子供たちは、「自分の両親は、とても仲が良い」と言うことが自慢だったと話をしてくれた。

 

私は、忙しい主婦だったけれど、子供たちの話はよく聞いていた。

 

そう、聞くだけ、相槌をうつだけ。

 

これは、子どもにとって、大人になると、自然に人の話をきちんと、聞ける人間になる。

 

虐待をする人は、結局、幸せではないのだろう。いつも、心の闇を持っている。

 

「欲」にとらわれている人ではないだろうか。

 

 

誰かのためにではなく、すべてが自分のためで、自分の評価を自分でできなくて、劣等感が強い人。

 

他人をほめることができず、感謝もできず、強いものにあこがれて、自分より弱いものに暴力をふるうことで、満足感を得る。

 

夫の連れ後の次男坊が、私の長男を虐めていたことがある。再婚して間がないときに。

 

それは、彼の兄が、命令ばかりして、いたので、弟(義)には、命令をして使うものと認識していたのだろう。このことが、わかったときには、再婚を後悔した。

 

負の連鎖だと思う。兄からされたことを年下の者にする。

 

暴力は暴力を生むは否定できない。虐待の連鎖。

 

虐待をなくす方法がないかと考える。

 

愛情があれば何をしてもいいわけではないし、愛情の名のもとに、人を傷つける言動につながることがある。

 

だから、愛情という言葉に、頼っていけない。

 

  • どんなに小さき者でも、人として尊厳をもって対等に、接することではないかと考える。
  •  
  • 親は、その尊厳と愛情をもって、接することが大切。
  •  
  • そして、自分自身が、自信をもって、人として、生きることであると考える。

 

毒親ではないかと、コメントをしていたが、毒親かなんて、子供が決めること。

 

毒親ではないかと思うことがあるなら、自分の心をしっかりと、見つめて、原因を考えてみよう。

 

毒親になる何かが、自分の中にあるはず、それでも、子供を愛している自分がいるなら、接し方を変えればいい。

 

人は、やり直しができるのだから、時間がかかるのは、それだけ、多くの経験をして、自分の人生を後悔のないように、するためだ。

 

人として生きることは、パンドラの箱から出てしまった「悪の心」と戦うことではないだろうか。

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