物事全てにおいて、裏表があると思え。
人生50年と言われたのは、いつの頃という感じの今日この頃。
昨今は、人生100年と言われる。
そんな中でも人の悩みは変わらず、人間関係だ。
現在情報発信の時代の中で、SMSなどで、見ず知らずの人からの、誹謗中傷で、命を落とす人もいる。
自分自身を守らなければ、家族も巻き込み、不幸の連鎖が訪れる。
では、どうしたらよいか。
これは個人差もあるだろうし、人それぞれの考え方もあるだろうが、正直になることである。
ここでいう正直とは、他人の思惑など気にしないと言うことである。
他人のことを気にすると、いい人でいようとする。これは自分に対して、正直ではないと言うこと。
正直になると言うことは、自分に対してである。
信頼される人間になる。
魅力的になる。
優しい人になる。
仕事のできる人間になる。
思いやりのある人間になる。
これらすべて、他人から見られる自分である。
人間関係において、他人の目を意識しなければ、いけない状態は自分自身が、自分に嘘をつかせることがほとんどである。
私は、仕事をしている時に、「怖いけれど、頼りになる。」「あの人が居るから大丈夫」と結構、頼りにされていた。
しかし、私自身は、定時に帰りたいから、残業をしたくないから、さっさと仕事を終わらせたいだけで、自分のことしか考えていなかった。
ただ、看護師の仕事は、チームですることが多く、組織という考え方なので、チームの仕事が終わらなければ、帰れない。
だから、職場の人すべての人の仕事の進み具合を確認し、仕事のできない人の仕事は手助けし、常に、自分の仕事量プラスの時間配分を心掛けていた。
そのやり方が、他人から見ると、仕事ができ、手伝ってくれる優しい人という評価になっていただけだ。
自分がしたい事を明確にして、自分に嘘をつかないことを、信条にしていたので、トロトロしている人に対しては、結構厳しかった。
できていないのであれば、早くいうこと、自分の仕事がキャパオーバーなら、助けを求めること、でなければチームに迷惑がかかる(私が定時に帰れない、サービス残業が嫌だから。)というスタンスだったのだ。
だから、仕事の遅い人からすれば、私は怖い人だったようである。
看護師の仕事は、サービス業と人とのかかわりが主なので、アクシデントが、よく起きる。
急変だったり、急な入院だったりと。だからこそ、決められたその日の業務プラスの時間を確保することは、必須。
よく笑顔でいつも仕事をしていると言われたり、やさしい人と言われたりしているが、私自身は、それが楽だからであって、自分のためだ。
私が、笑顔を絶やさないのも、裏を返せば、そのほうが、仕事や人とかかわることでは楽だからだ。
決して、他人を不愉快にさせたくないとかいい人に見られたいとかは全然ない。
ハッキリ言えば、不良に見えるような恰好をしていれば、その時点で、損をするレッテルを張られ、したいこともできない。
しかし、優等生であればどうだろう。その時点で信頼され、物事がスムーズに進む。
物事は、すべて裏があると言うことを忘れないことと、いい人を演じる必要はない。
他人に自分を合わせる必要はない。
会社に入れば、会社の規則を守り、自分の権利も守る。勤め人とは、自分の時間を切り売りしているのであるから、売った時間は自分の物ではない。
その時間は、会社のもであるから、搾取しないように、仕事をする。
自分の時間ではないのだから、仕事という関わりでの人間関係で、いい人や良い人間関係を築くなどと、考える必要はない。
その日の仕事を完璧に問題なく終わらせることが、すべてである。
仕事上の人間関係は、仕事ができれば、いらないと言っても過言ではない。
仕事のできる人が強いのである。
能力というものは人それぞれである。昔でいうながら族のように、歌を聞きながら、勉強ができる人もいるだろう。何かをするのに、時間がかかる人もいるだろう。
自分を知ることである。そして、物事はすべて逆のこととつながっていると思うべし。
自分が、仕事が遅いとしよう、ここで言われたからと言って、いい顔をして、引き受けたらどうなるか。
引き受けた時は、いい人だと思われるかもしれない、しかし、できなければ無能扱いだ。ならば、自分はその量はできないと言おう。
その代わり、できる分はやって、残りの時間があれば、プラスですると言ったほうが、楽である。
こんなにできないよ、嫌だな、自分は嫌われているのかな、パワハラかな。もう辞めたいよ。
いいことなど全然ない。
他人のことを考えて、行動すると碌なことはないと肝に銘ずべき。
当たり前のルールを大切にし、会社の規則を守り、自分に嘘をつかないことが自分を守ることができる。
人間関係がめんどくさいのは、良い人間関係を築こうなんて思うからだ。
そんなことを考える暇があったら、自分を大切にすることだ。
私はお洒落をするのが好きだ。しかしだ、誰かにきれいだとかお洒落だとか言ってほしいわけではなく、自分が気持ちが良いから、お洒落をする。
人に、どう思われたいとかがない。
他人に対しても、個性がないグループ(みんな似たり寄ったりの化粧やスタイル)を見ていると、あ~あ、依存している、集団でいることで安心している、自分がないと思ってしまう。
人として、してはいけないことさえしなければ、自分のことだけを考えて生きていけばいいだけだ。
人殺し、詐欺、泥棒はだめである。罪だ。
自分を最大限否定する行為だ。
殺すと言うことには、他人の心を殺すことも入ると私は思っている。虐めなどで、心を壊されて、精神病院に入院してくる若い子がいる。鬱になり、自殺をする会社員もいる。
本当に人とかかわると、碌なことがないと思う。
人として生まれてきたからには、他人とかかわらなければならない。
最小限度でいいじゃないか。
物事には裏表が必ずあるのだから、困った時は、裏から見てみよう、考えてみよう。
見えていることがすべてではない。
人間関係で、嫌になったら、我慢するな。今自分を傷つけてくる人が、自分にとって必要なはずがないと思うべし。
食べることができ、寝ることができているなら、幸せだ。
しんどいと思ったら、止まってみて、裏を考えてみよう。
私は、他人と話すときに、この人は何がしたくて、話をしているのだろうと考えて聞く。その言葉に裏はないのだろうかと考える。
子供や老人が、痛みを訴えたり、症状を伝えるのに、全然想像ができない物言いをする、真逆の訴えだったりする。
だから、その言っていることの裏を考える。そして、問い返してみる。
そうすればすべてではないにしても、近い情報を知ることができる。
他人から「あなたって、優しい人ね」と言われたとしても、裏から見れば「優柔不断」「ハッキリしない人」「愚図」と思っているかもしれない。
悪いことも、良いことも、裏に転換してみる。
これは、人の心や本質を見ることができる。
物事の、裏を見ることで、楽に生きていけることがたくさんある。
自分のことを考えて、自分を幸せな状態にしなければ、余裕もない人生になる。
自分が幸せであれば他人を思いやることもできる。