三回の結婚生活で、変わったこと。
一番変わったことは、家計簿をしないこと。
再々婚にあったって、夫になる人に、子供が学校を卒業してから考えたいと言ったが、夫の精神状態(私以外の人に対して人間不信)が悪く、そばにいないと、ダメだと、思った。
それで、私は結婚というか籍を入れるのは、子供がたちが学校を卒業してからという条件と私の給料は、子供の生活費に充てるので、家にいれないと言うことで、同居を開始した。
子供たちのマンションから、目と鼻の先に、中古の家を買った。
私は二重生活をすることになった。
占いの仕事やパワーブレスの製作もあり、夫の家で、副業ができたのでよかったと思っている。
私は、夫の気がすむまで、一緒にいようと思っていたので、子供が学校を卒業するまでは5年はかかる。その間に、夫が年上の人間と、無理に結婚する必要はないと考えてくれればと思っていた。
そのため、私の中では別れることが前提だったので、自分の給料で、自分の生活をしようと思っていた。
結局、夫は子供が学校を卒業しても、気持ちが変わらず、結婚を望んだので、籍を入れることになった。
生活費は、そのまま私は、一切お金を入れることはなかった。
母子家庭であるし、学校を卒業したといっても、マンションの管理費や税金などすべて自分持ちだったので、家に入れることはできなかった。(子供たちの生活にお金がかかっていたから)
わたしの治療費も自分達親子にかかる諸々は、すべて私の給料だった。
夫は、私の言う食材を買ってきてくれ、私はその食材で料理をする。
生活にかかる光熱費も夫の家のものはすべて夫が、管理する。
私は、自分の食べるものも自分で買っていたので、夫の負担はない。
時々、結婚をしているのかこれはと思うこともあったが、家計簿をしないと言うことは、とても楽だなと思っている。
共稼ぎの夫婦が多く、妻も仕事を持っており、家事をすべて妻がするのは、身体を壊すと思う。
私は、性格のせいで、以前の結婚していた時は、夫の給料で自分の物が、購入することができなかった。
自営業をしていた時も、同じで、自分のお金という感覚がなく、人のお金という感じだった。
いまは、自分のお金は自分管理、夫のお金は夫管理が、とても楽だと思っている。
結婚生活をするのに、家計を妻任せにするのは、どうかと思う。私は、家計簿をつけていたが、夫たちは、毎月の家計簿に対して、私がやっているのだからというスタンス。何がいって、何をどうするというようなことは、一切なく。毎月、家計を回すのが大変だった。
結婚生活をするのにあたって、すべてのことが、共同責任という気持ちがないと、ダメだと思う。
結婚生活で、お金に関することは、しっかりと計画を立てて、話し合うべきだと思う。
それと、私の経験から、お互いが働いているのであれば、生活費は、出しあい、自分の働いたお金は自分で管理するべきだと思う。
- 結婚をして、絶対に別れないという保証はない。
女性も、社会進出が、言われているし現に、国も、女性も働くように、もっていっている。けれども、子供を持つシングルマザーにはまだ、まだ厳しい状態だと思う。
自分に何があっても対応できるように、働いたお金をすべて、家計にいれるべからず。
自分のために、自分が使えれる分は家計に入れない。
日本の男性は、養育費を払わない人が、ほとんどである。
結婚を考えるときに、自分は何ができ、相手が何ができるかを話をするべき。
私の夫は、14歳も年下で、洗濯や洗い物も手伝ってくれるし掃除もしてくれる。
家事を手伝ってくれることには、本当にびっくり。
前の夫たちは、仕事から帰ってきたら、何もしない。
二番目の夫は、17歳年上だったこともあり、自営業で同じ時間帯一緒に仕事をしていたが、乳飲み子を抱えて、商売と家のことをするのは、本当に大変だった。睡眠時間が毎日、3時間。おかげで、腎臓を壊してしまった。
経験から思うのは、私のように、夫に尽くすタイプは、しんどいのでやめたほうが良い。(今でも、時々一人になりたいと思う私)
何が大変って、お金の算段をすべて、妻任せは言語道断。
お金があって、専業主婦で、左うちわならいいかもしれないが、現代の生活は、お金がかかる。
どちらかに、負担がかかるマネーライフは、絶対にするべきではないと思う。
世の女性たち、マネーライフを妻任せの男とは結婚するべからず。
自分のこともできない人とも、一緒になるべからず。
結婚しても、別れることはある。
世の男性たち、自分のできることは自分でやろう。妻は、母親ではない。
共稼ぎをさせるなら、五分と五分。
女が家事をするのが当たり前ではない。
生活をするのは、どちらかに負担があってはいけない。
女性だからできること、男性だからできること、人としてできることを協力して、幸せになろう。
考え方としては、賛否両論があるだろうけど、結婚しても自由でいることは大切だと思う。