老春時代の満足生活情報発信局(日々の暮らしと人生物語)

人生100年折り返し点からを心地よく過ごし、もっと魅力的人間になる「楽しく楽しく生きる」事をモットーに頑張るつぶやき日記です。

老春時代日記 50歳を過ぎたら幸せになると、なぜか知っていた話

50歳を過ぎたら幸せになると、なぜか知っていた話

理由はわからないのですが、
私は子どもの頃から
「50歳を過ぎたら、私は幸せになる」
そんな感覚を、ずっとどこかで持っていました。

願っていた、というより
信じていた、というより
もっと曖昧で、でも確かな感覚です。

いつ頃からそう思っていたのかは、はっきりしません。
でも、小学低学年の頃には、もうあったような気がします。


貧乏でも、辛くなかった理由

子どもの頃、家は決して豊かではありませんでした。
食べられない日があったり、
我慢することも多かったと思います。

でも不思議と、
「不幸だ」とは思いませんでした。

今思うと、
それは強がりでも、諦めでもなくて、
ただ「今は通過点」と思えていたからだと思います。

いつか、ちゃんと幸せになる。
だから今は、ここを通っているだけ。

子どもなのに、
そんなふうに時間を見ていた自分がいた気がします。


未来のほうに、幸せがある感覚

多くの人は、
「今がつらいと、未来もつらい」と感じるのかもしれません。

でも私は逆でした。

今がどうであっても、
未来のどこかに、自分の居場所がある。
そんな感覚が、ぼんやりとありました。

だから、焦らなかったし、
今を何とかやり過ごそうとも思わなかった。

ただ、生きていればいい。
ちゃんと大人になればいい。

そう思えていたのだと思います。


50歳を過ぎて、思うこと

実際に50歳を過ぎてみて、
「ああ、あの頃感じていたことは、こういうことだったのか」
と思う瞬間があります。

大きな成功があったわけでも、
特別な幸運が舞い込んだわけでもありません。

でも、

生きていてよかったな
生かされているな
今は幸せだな

そう感じる時間が、確かに増えました。

静かで、派手ではなくて、
でも、満ちている感覚です。


希望ではなく、確信だった

あの頃の感覚は、
「こうなったらいいな」という希望ではなかったと思います。

むしろ、
「そうなることを知っていた」
そんな感じに近い。

だから、無理に幸せになろうとしなかったし、
焦って掴みに行くこともしなかった。

ただ、生きてきた。
ちゃんと、生きてきた。

それでよかったのだと思います。


老春時代という時間

老春時代。
人生の後半に訪れる、春のような時間。

若い頃の春とは違って、
勢いも、華やかさもないけれど、
ちゃんと温かい。

子どもの頃の自分が、
遠くから知っていたこの時間に、
今、私は立っています。

あの頃の自分に、
「ちゃんと来たよ」と伝えたい気がします。