老春時代の満足生活情報発信局(お金と暮らしと占いと人生物語)

還暦を迎え、人生を心地よく過ごし、もっと魅力的人間になる「楽しく楽しく生きる」ヒント探しブログです

介護の現場で、ちょっと変と抜け道ってあるのねと思ったこと。

先日、ある利用者の方が、検査入院といって、病院に入院した。

 

その方、胃瘻をされていたのですが、口から少しは食べていた。

 

私たち看護師からは、もう口からは無理があると感じていたのだが。

 

奥様の希望で、流動食的なものを、おやつとして食べていた。

 

いよいよ、嚥下ができなくなり、医者からストップがかかった。

 

すると奥様から、胃瘻の流動食のカロリーを減らしてほしいと。

 

食事を、胃瘻からいかないとなると衰弱していくのは目に見えている。

 

結果、お金持ちの家のため、よくはわからないが、介護施設で亡くなるのは

 

ダメだと奥様が、希望されての病院入院だった。

 

2週間後、その利用者の方はなくなった。

 

情報は、伏せられており、闇から闇に葬る(ちょっとオーバーかな)状態。

 

介護職員は、検査入院でなぜと思っている人がほとんどだが、誰も何も言わない。

 

奥様曰く。口から食べれないのであれば、生きている楽しみもない。私も、毎日針治療をしながら、介護をしてきて、疲れた。

 

結局のところ、検査入院ではなく、胃瘻栄養を中止し、亡くなったということ。

 

ここで思うことは、これが家で見ている家族が、胃瘻栄養を中止にしたら、どうだろう。

 

自宅でなくなるということは、ともすれば警察が入り問題になる。

 

しかし、病院で亡くなれば、合法ということだ。

 

以前、務めていた施設でも、嚥下ができなくなったと、食事提供を中止し。二週間で亡くなった利用者がいる。

 

高齢者だと、まず老衰でかたずける。医者がいるので、問題にならない。

 

看護疲れで、家族を殺してしまうニュースが、時々ある。

 

そんな人は、病院に相談すればよいのではと思ってしまう。

 

家族の希望で、胃瘻をして、家族の希望で食べさせないことは、その人にとって

 

命が尽きるということ。

 

食べれなくなったときに、本人の選択はない。自由もない。

 

胃瘻をするということは、延命治療と同じである。

 

もう、意識もなく、これ以上の治療がないといったときに、治療を中止し、数分後に亡くなる。ドラマなどでもよくあるシーンだが。

 

食事を提供しないということは、餓死させるということである。

 

高齢者になると、病院で行われる当たり前の行為。

 

高齢者の介護疲れでの殺人の、ニュースを見ると、抜け道があるのに

可哀想と思ってしまう。

 

病院は、治療をするところであるが、高齢者や家族が必要としていない患者は

 

治療をしてもらえないところでもある。

 

生活保護者もしかり。

 

病院も商売ということ。

 

金の持っている患者の家族の願うことは、叶える。

 

世の中、すべてがお金とは思わないけれど、お金があると殺人も殺人ではないということになる抜け道はあるということかも。

 

日常の当たり前の生活の中の、合法殺人なのかもしれない。

 

ちょっと、やばいかなという話だけど。

 

胃瘻をするときはよく考えてほしいと思う。

 

人は、食べれなくなれば、自然と命が終わるのだから、人為的選択はしないほうが、心が折れないと思う。

 

この奥様とは、胃瘻を中止したら、どのくらい生きれますかと聞かれたことがあるので、人によりますが、二週間くらいでしょうかとこたえた。