宗教、宗教団体、献金、信仰の自由について②
宗教団体とは、特定の宗教の教義、宣布、儀式執行、信者教化を目的にとし、礼法の施設を備える団体。
なるほど、信者の教化が、問題な宗教団体が、多いと言うことかな。
信者の教化が、マインドコントロールや洗脳になっってしまう。
自分で判断能力がなくなる。団体の上層部の言うことが全てになる。
献金、(お賽銭と思っている)についても、私は、神社仏閣に行くけど、語呂合わせでお賽銭を入れる。
5円(ご縁)11円(いい縁)20円(二重に縁)41円(始終いい縁)115円(いいご縁)486円(四方八方からのご縁)10000円(円満)
お賽銭をすることで穢れを拭い身を清めるといった意味もある。
この穢れを清めることが、多額の献金となるのかもしれないし,そのように、信者を教化するのだろう。
インターネットで「献金といっても神社に行ったらお賽銭いれますでしょう。お寺に寄付したり、寄付したりしますよね。その寄付と今回の統一教会の寄付とどこが違うのでしょうか。自由意思で行っているかどうかってことなんですけれども、自由意思を客観的に判断することができるかってことなんですよね。
寄付をしてはいけないという法律はないんですよ。寄付は自由なんです」と主張している人たちもいる。
団体に所属していなくても、神社仏閣が修理で、寄付を募っていたら、寄付をする。それは、自分の寄付が明確に何に使われるかわかるからだ。
だけど、家庭が崩壊するような寄付をさせるような教化をしている団体は問題ではないだろうか。
そのような団体の信者は自由意志と言えるのだろうかと思う。
信仰の自由はある。
だから私自身、友人、知人が宗教団体に所属していても何の問題なく付き合うことができる。
そう、信仰の自由だから、私と信仰が違ったとしても関係がないから。
そして、その団体信者である友人知人が、団体に入団しようといわれても断ることができる。
何人かの友人たちに、団体の勧めがあったが、入団したことはない。
宗教団体が嫌いと言うことと、人が作る組織化が嫌いだから。
神仏の教えを聞きたかったら団体に入信しなくても教えは受けられる。
私は昔から、祖母が創価学会に入っていたので、その信仰を見てきた。幼少だったので、団体活動をしていたかは、わkらないけれど、いつも家にいたので活動はしていないかもしれないけれど、かなり熱心な信者だった記憶がある。小学校に入る前に、核家族になったので、祖母がどれほどの信者だったことはわからない。母も、創価学会信者だった。
私の家はもともと貧乏だったし、母はご仏壇は置いてあったけれど、祖母のように毎朝お題目を唱えている姿は見たことがない。お供えもしない。
そんな、創価学会三世なのだけれど、私は、母がそのような信者だったので、団体活動は一切していないし、影響もない。
創価学会の他の宗教をけなすのが大っ嫌いだった。元は、同じでそれぞれの宗教の教えの違いだと思っていたから。
神様の教えを伝える人が違うだけだと思っていたので、まるで兄弟喧嘩をしているような感じだと。
だから、宗教団体は嫌い。
そのことがあるので、神社仏閣にお参りはするけど、特定の宗教団体に入ろうと思わない。
それにしても愚かな人間は、物質欲や権力を手に入れるために団体を作る。
正しいことをするのであれば、宗教団体でも、何も問題がないけど、宗教戦争が起こることや、遠い昔のキリスト教の十字軍の様な戦争を正当化するような行為はすべて、宗教団体が権力を握ろうとすることから起きることだ。
宗教は、神さまの教えを伝達することであって、お金を集めることとは違う。
日本の信仰の自由は素晴らしいと思うけど、団体の規制は必要だ。
心の安らぎを与える宗教の教えを、曲がったものにするのは醜い感情のある人間が上に立った時だ。
宗教団体に入って、生活に潤いがなくなったり、家族に対して迷惑をかけていると罪悪感が生まれて時は立ち止まってよく考えるべきだ。
心の安らぎを得ることなく、献金や寄付をしないと、自分が不安になるようでは、本末転倒だ。