老春時代の満足生活情報発信局(お金と暮らしと占いと人生物語)

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私が看護師生活で心に残っていること

ある痴呆のおばあちゃんのこと

 

もう何十年前の話。

 

看護学生だった頃、被害妄想のひどい認知症のおばあちゃんが入院してきた。

 

このおばあちゃん、凄く頭の良い上品な人だったのではないかとおもわれる。

 

丸亀市長がお見舞いにくるくらいの人だから、きっとそこそこの方だったのだろう。

 

入院した時から、お孫さん夫婦に対して、非常に警戒心と暴言がひどかった。

 

あいつらは、盗人だ。来るなと、ひどく興奮する。

 

うろ覚えだけれど、お手伝いさんにも、お金を取られたと訴えた。

 

部屋は、トイレに行かず、床に放尿するし、着物も尿臭がしていた。

 

部屋は個室だったのだけれど、畳をしていたので、畳が尿を吸って、大変だった。

 

今のように、介護施設というものがあまりない頃の話。

 

痴呆患者は、精神病院。

 

おばあちゃんは、きっと著名人だったから、精神病院に入院させずに、整形外科病院のうちに入院させたのではないかと思う

 

お見舞いの電報やお見舞いの品が、たくさんあった。

 

私が心に残っているわけは、このおばあちゃん、何故か私を気に入ってくれて、痴呆だというのに

 

私と話をする時は、普通のおばあちゃん。

 

他の人に対しては、怒ると、物を投げたり、暴言も凄かった。

 

止めると余計興奮、手がつけられなかった。

 

徘徊や幻視もひどかった。

 

私は、寮に住んでいたのだけれど、夜間呼びだされ、病室に行って

 

私を探して、他の病室を叩いて他の患者に迷惑をかける。

 

当直の看護婦がなだめても、部屋に戻らなかった。

 

そのため、朝まで一緒にいたりした。

 

おばあちゃんは、私によくお金をくれた。もちろん受けっとたりはしないけれど。

 

不思議で仕方がなかった、お孫さん夫婦を泥棒扱いをしているのに。

 

痴呆になると、心の綺麗な人の見分けがつくのだろうかと思った事がある。

 

その病院、主任は大変意地の悪い人で、今で言うパワハラ全開の人だった。

 

仕事はしないし、看護学生の白衣の天使像を、見事に裏切ってくれる人だった。

 

さて、この痴呆のおばあちゃん、この主任に対して凄かった。

 

暴言、暴力。

 

あんたは、畜生以下、鬼だ。と洗面器を投げる。

 

まあ、この主任も相手が入院患者である事を、無視して罵詈雑言。

 

とにかくこのおばあちゃん、人を見る目があるのか、難のある人に対しての攻撃が半端じゃなかった

 

私は、このおばあちゃんとの出会いで、痴呆になっても心は、ボケない。

 

痴呆は病気かもしれないけれど、信頼関係ができると痴呆でも看護ができると思った。

 

学生の頃、おあばちゃんにたいして、私たち学生は、臭いとか怒るとか全然しなかった。

 

きっと、おばあちゃんは、痴呆でも時々普通に戻っている時があって

 

そんな時の他人の接し方を覚えているのかもしれない。

 

わからないからとかどうせ痴呆患者だからと、ぞんざいな扱いをすれば、我が身に帰ると思う。

 

看護師のひよこだった私には、とても自分の看護感の一つの指針になった。

 

精神的な病気には、馬鹿にしたり、人間らしさを失った接し方はしないと。

 

看護生活の中で、最後は精神科に勤務したいとこの頃に思った。

 

実際、精神科看護師になった時、この学祭時代に思った事は、大切に看護の柱になった。

 

現在、老人介護に関わっているが、心無い介護、看護を目にする。

 

経営者は、綺麗事ばかり言って、現実を見ない、心なんて無い。

 

自分達だって、いつかは老人になるのにね。

 

老人だからって行っても、若い頃のことを忘れていない。

 

経験しとことを、全て忘れる事はない