老春時代の満足生活情報発信局(お金と暮らしと占いと人生物語)

還暦を迎え、人生を心地よく過ごし、もっと魅力的人間になる「楽しく楽しく生きる」ヒント探しブログです

あたりまえだけど、とても大切なこと

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悲しい、虐待のニュースを見ると、なんとも言えない気になる。

こうして、還暦を迎え、心愛さんの10年の人生を思うと、

生きてこれたことを、あたりまえに思ってはいけないと。

私の小学時代は、受業に、道徳の時間があった。

子供が小学校にあがり、時間割を見ると、道徳の時間がない。

ゆとり受業とかちょっと今でも、理解していない。

現在は、核家族になり、両親だけで、子育てをし、

共稼ぎが多くなり、あまつさえ、女性達がどんどん社会に出る。

地域には、お年寄りは入るけど、若い人がいない。

子供達が帰ってきても、お帰りと言ってくれる人がいない。

バブル期に子供だった人が大人になり、物を大切にすることよりも、

捨てることを教えてもらい、物が溢れるけれど。

子供達は、何が大切で、どうすれば良いかを教えてもらわず、

大人になる。

道徳という言葉、もう、死語なのだろうか。

核家族になり、他人からの関わりを持たず、親も子供も孤独になる。

お隣さんは何する人?

町に人はいるけどいない。

歩いている人の少ないこと。

通勤途中に、朝は子供達だけ。

夕方も、学校から帰る子供だけ。

大人はいない。

両親以外に、関わる大人がいない。

私が子供の頃は、玄関に知らないおじさんが立っていて、声をかけてくれた。

大きな声で「ただいま、さようなら」を言った。

姉と喧嘩してたら、隣の人が来てくれた。

近所のお店のおばさんも、店先から声をかけてくれた。

町の人達がみんなで、私たち子供を見守ってくれていた。

今はどうだろう。

外で遊ぶ子が、いない。

学校が終わったら、家に帰り、公園や、学校に集まり、

ドッチボールや、鉄棒をしたりして、遊んだ。

長く休む子供の家には毎日、給食のパンや連絡帳、宿題を持って行った。

時には、先生と一緒に、みんなと行くこともあった。

ロン・クラークさんのこの本には、50のルールが書いてある。

一見、そんなのあたりまえ!と思うことが書いてある。

でもそのあたりまえのことを、多くの人が、今だれからも

教わらずに、大人になり、子供を育てている。

私の両親も、ネグレストの親だったけれど、暴力を振るったことはない。

両親は、激しい夫婦喧嘩をしていたが。時には、流血沙汰も。

隣近所の人が、仲裁にきていた。

物が増えて、豊かになった分、人は無関心と事なかれ主義になった。

アメリカは、両親が子供を車に一人で、乗せているだけでも、問題になると。

日本は、高齢化社会になっていくのに、大切な子供達の命を、守れない社会なんて。

何をどうしたら良いのかわからないけれど、国がもっと真剣に考えてみるべきだ。

児童福祉法を見直すべき。

虐待をする親は、厳しく罰すべき。

父親は愛されることを知らずに、大人になったか。

押さえつけられる子供時代を過ごし、暴力を振ることが、感情の表現だったのか。

誰にも認められないから、自分に許しをこう子を見て、自分を自分で認められる。

誰も信じず、誰も愛さず、支配することが唯一の、曲がった感情の表現。

他人には、向けることはできず、弱い人間に牙を剥く、最低な人間。

助けることができなかったのは、何故だろうと考える人がいる、その方達の心の中で生きる。

ほとんど食べ物がなかったと報道されていた。

その状態で、たたされ、おこされる。

子供の頃に、食べれなくて学校にいって、給食時間になって、

お腹が空いて、食べたいのに眠気が来て、気づいたら、保健室だった。

小学二年生の時だった。

姉が、先生にご飯を食べていないといってくれて、先生が、ジャムパンを買ってきて食べさせてくれた。

今でも、あの時の眠気とジャムパンの美味しかったことは、忘れない。

ひもじさと、冷水のシャワー。

考えただけで、鳥肌が立つ。

こんなことを、書くべきではないと思うけれど。

人をさばいてはいけないと思うけれど。

同じ苦しみを与えてほしい。

食べさず、寝かさず、だけでも、この犯人に、与えてほしい。

そう、もう親ではない。

国の宝である子供を殺した、犯人。

子供は、天から授かったもの。

虐待されなくなった子の天国での幸せを祈る。

あなたのことは、忘れない。