老春時代の満足生活情報発信局(お金と暮らしと占いと人生物語)

還暦を迎え、人生を心地よく過ごし、もっと魅力的人間になる「楽しく楽しく生きる」ヒント探しブログです

夏の終わりになると、悔しいと思うこと。何もできなったけれど、余命に関すること、病気に関することはその人の人生だから、伝えるべきだと、思っている。

この季節、夏の終わりになると、悔しいと思うこと。

天気の良い日に、車を運転していると、青い空の向こうにいるであろう亡くなった友人に、つい思いをはせる。

癌の転移が発覚して僅か一カ月ほどで亡くなった。

職場の同僚。プライベートでは、絶対に職場の人とかかわりを持たない私が、唯一、親しくしたいと思った人だ。

彼女には、先の長い話だけど、私が定年退職をしたら、二人で、仲よくしようと話をしていた。

とても楽しみにしていた。一緒に旅行に行ったり、ランチをしたりと考えていた。

その夢は、叶うことがなく、彼女は、いなくなった。

彼女が、体調を崩したころ、階段ですれ違ったときに、「最近どう?大丈夫?」と声をかけたことがある。それからしばらくして、部署が同じになったのだが、それからすぐだった。

彼女の体調が悪くなり、検査結果を持ってきて、入院をすることになったと。

その検査を見た時に衝撃を受けた。明らかに尋常な数値。

声には出さなかったけれど、「えっ、何で、こんなになるまで」と。

彼女は我慢強い人だった。頑張り屋さんでいつもニコニコしていた。

彼女は、5年前に、入院して休んでいたことがある。私はそのころは、彼女のことは知ってはいたけれども他の部署の人、一緒に仕事をしたことがなかった。廊下などで会えばあいさつする程度。

ただ、入院して復帰したころの彼女を見て、この人、癌だったのかなと。手術をしたと聞いていたからと言うこともある。入院する前と随分体型が変わっていたから…。

その後、私が、彼女の部署に異動になり、しばらく一緒に働いた。その時に、この人とずっと親友になりたいと。

うちの病院は、上司の思惑でよく移動がある。彼女は、私が移動になって、すぐに他の部署に変わった。

それからは、休み時間や仕事が終わった少しの時間に話をするだけになった。

私は、相手が話さないことは根掘り葉掘りと、聞かない。

本当は、入院していた病名など聞きたいことはあったけれど、噂で聞いたことは、子宮の手術だったようなことだった。彼女も、今は順調と話をしていたから。

だけど、自分の他人に対して(特に職場の人間)、深入りしない、相手が話さない事。話したくないと思うことには触れないという自分ルールを、破らなかったことを後悔している。

彼女が、入院して、メッセージで「助けて」と。

このメッセを見た時の私は、自分を呪った。何であの時もっとはっきりと、感じなかったの。もしあの時に病院に行くことを勧めていれば。なんで、前回の手術の時の話を聞かなかったのか。何で、プライベートでは付き合わないと決めていたのか。

自分の何気ない一言。何であの時に声をかけたのか。感じるものがあったからだろう。もっと、強く、感じなかったのだろうか。何の役にも立たないこんなしょうもない半端な感なんていらない。

あの時の気づいていたからと言って、どうにかなったわけでないかもだけど、もっと私が、彼女の近くにいたら、体調が悪いと早くに気づいたかもしれない。

彼女をお見舞いに行っている時にご主人から、手術の話は聞いた。彼女に、癌であることを言っていなかったと。妻は我慢強い人だったと。

私は、そうだよ、強い人だからこそ癌にかかった手術をしたことを知っていれば、きっと、彼女は、体調が悪かったら、我慢せずに病院に行ったはず。何で、彼女に言わなかったのか?悔しくて悔しくて。

彼女は、黙って、しんどくても頑張っていたのだろう。だから、あの時に、私は違和感を感じたのだろう。なんか、おかしいと、大丈夫なのかと。

強くて、我慢強い彼女。亡くなる前に、お盆に家に帰れると喜んでいた。

「良かったね、じゃあ、お盆が終わったら、また来るね」と。

お盆が終わってお見舞いに行ったら、家に帰れなかったと。

あんなに楽しみにしていたのに。そんなと。思った。

それから、体調が悪化していき、亡くなった。

なくなる日、私は、面会時間が終わる時間まで、彼女といた。もう話すこともできず、手を握っているだけ。家族と、彼女の仕事場での様子を話をした。

後ろ髪を引かれる思いで、「明日、また来るね」とお別れを言って病室を後にした。

朝方、ご主人から、亡くなったと。

どうしようもできなかったことはわかっているだけども、私の持っているものがもっと強かったら、彼女の転移をもっと早く、気づけたのではという思い。

彼女とプライベートでも付き合っていれば、違っていたのではないだろうか。

私はお節介だ。だから、きっと彼女に対して、彼女以上に、気をつけただろう。

なんで、もっと、深く付き合えばよかったのに。

彼女は、心残りが一杯だろう。

普通の人より感がいいのだから、もっと、何でこんなことを、私は言ってんだというときは、何かあると認識するべきだと自分に対して思う。

私は、あれっと、思うようなことを言う。だけど、確証もなく言うべきではないと思っている。

良いことならまだしも、あまり良いことではない話を、言えるわけではない。

だけど、後で思うことが多い。あのときに言ってあげれば違っていたのかなと。

彼女のことは、私にとって今も、悔しい、なんて自分は馬鹿なのだろうと思っている。だけど、声をかけたよ「大丈夫?」と。

だけど、彼女のメッセージは「助けて」

これは彼女の家族にも言っていない。言ってはいけない気がしているし、私と彼女だけの秘密だ。

何もできなった。それでも、彼女が、私を頼ってくれたこと、どうしようもないことだとわかってっても、言ってくれたことを、今は、いないけれども、私の心の中では、彼女は生きている。

悔しいことに、現実では、会えないけれども、青い空を見ていると彼女の優しい笑顔が見える気がする。

看護師として思うけれども、余命に関すること、病気に関することはその人の人生だから、伝えるべきだと、思っている。

彼女のように、医療現場にいる人なら余計に、知らせてあげるべきだったと思っている。

彼女のことだから、しっかりと受け止めて後悔のない人生の締めくくりをしたと思うから。

強くてちょっぴり弱虫なところがあった、可愛い人だった。