子どもを守ることと、子どもの罪を守ることは違う――少年犯罪を考えて思い出した、ある日のこと
今日は「少年犯罪」や「暴力」について考えていて、昔のことを思い出しました。
私の姉の息子、つまり私の甥っ子が中学生だった頃の話です。
甥っ子は体の大きな子でした。でも、とても気の優しい子でした。
ある日、甥っ子は友達から「他の子と揉めているから、一緒に来てほしい」と頼まれました。
甥っ子は、友達を助けるつもりでついて行ったのでしょう。
ところが、そこで起きたのは喧嘩ではありませんでした。
相手の子たちは、
「一番体の大きい子をやろう」
ということになったそうです。
いわば、相手の中で一番強そうな子を先に倒そうとしたのでしょう。
そして、甥っ子は集団で暴力を受け、入院することになりました。
顔は腫れ上がり、点滴をして、おしっこの管まで入っていました。
姉から電話で話を聞いたとき、
「うちの子は、友達に頼まれてついて行っただけなのに……」
と泣いていました。
しかも、甥っ子はおしっこが出なくなっていました。
一方、喧嘩の当事者だった子は、軽い怪我だったそうです。
加害者の子は一人だけ分かっていました。
けれど、他の子たちは誰なのか分かりませんでした。
そこで私は、病院から分かっている子の家に電話をしました。
電話に出たのは、その子のお母さんでした。
話をしていると、そのお母さんは、
「うちの子は嘘ばっかりつくんです」
「言うことも聞かないんです」
と話しました。
その言葉を聞いて、私は思わず、
「お母さん、嘘をついていたとしてもいいんです」
と言いました。
もちろん、嘘をついていいという意味ではありません。
私は続けました。
「あなたはお母さんなんですから。必ず、その話の中でお子さんは真実を話します。諦めないでください」
「あなたが育てたお子さんなんですよ。まずは、話を聞いてあげてください」
「まだ10代ですよ。今回のことで、本人もどうしたらいいのか分からなくなっているんじゃないでしょうか」
私は、自分もシングルマザーでした。
姉もシングルマザーです。
だから、そのお母さんの苦労も少しは分かるつもりでした。
子どもが怪我をさせた。
相手が入院している。
そんな現実を目の前にしたら、母親だって怖くなると思います。
「どうしてうちの子が……」
「何をしたの?」
「本当のことを言っているの?」
いろいろな感情が押し寄せるでしょう。
でも、そこで親が子どもの話を聞かなくなったら、その子はどこに行けばいいのでしょう。
私は、
「あなたのお子さんは、友達を庇っているのかもしれません。人のことを言う、いわゆる『チクる』ことができないのかもしれません」
「それは、見方を変えれば、とても友達思いで優しいところでもあります」
「でも、だからといって、責任を取らなくていいわけではありません」
と話しました。
そして、
「今回のことは、甥っ子も友達に頼まれてついて行っただけなんです」
「あなたのお子さんも、こんなことになるとは思っていなかったのではないでしょうか」
「だからこそ、今、手を差し伸べてあげてください」
と伝えました。
そして一番伝えたかったのは、
逃げないで、現実を見せてあげてほしい
ということでした。
私はそのお母さんに、
「病院に来てください」
「実際に甥っ子の姿を見てください」
と伝えました。
顔がぱんぱんに腫れている。
点滴をしている。
おしっこの管が入っている。
ベッドに横になっている。
その現実を、子ども自身に見せてあげてほしいと思ったのです。
責めるためではありません。
怖がらせるためでもありません。
自分がしたことによって、一人の人間がどうなったのかを知るためです。
そして私は、
「何が悪いのかという話は、もちろんしなくてはいけません。でも、まず今は現実に人を傷つけてしまったのだから、一緒に謝りに行こう、と言ってあげてください」
「友達を庇う気持ちは大切です。でも、責任を取らないのは違います」
と話しました。
電話の向こうで、そのお母さんは泣いていました。
そして、
「分かりました。ありがとうございます」
と言ってくれました。
翌日、そのお母さんは息子さんを連れて、甥っ子の入院している病院に来ました。
私は、今でもこの出来事を思い出すことがあります。
そして、少年犯罪や子どもの暴力について考えるとき、いつも思うのです。
子どもを守ることと、子どものしたことを守ることは違う。
親は、子どもが間違ったときこそ、そばにいてあげなければならないと思います。
「あなたは悪くない」
と何でも庇うことが、子どもを守ることではありません。
「あなたがしたことは間違っている。でも、私はあなたを見捨てない。一緒に向き合おう」
と伝えることも、親の役割ではないでしょうか。
子どもが悪いことをしたとき、親まで一緒になって現実から逃げてしまったら、子どもは自分のしたことを考える機会を失ってしまいます。
逆に、
「あなたがしたことは間違っている。でも、あなたは私の子どもだから、一緒に謝ろう」
と言ってくれる親がいれば、子どもは自分の間違いと向き合うことができるかもしれません。
もちろん、親だけですべてを解決できるわけではありません。
学校や警察、周囲の大人など、必要な支援もあります。
でも、その中で一番大切なのは、子どもが「自分には帰る場所がある」と思えることなのではないかと思います。
「こうだから、母さんはこうするね」
私は、自分の子どもたちにも、いつもそう話してきました。
子どもがまだ小さくて、私の考えを全部理解できなくても、
「こういう理由があるから、母さんはこうするね」
と伝えていました。
親が何を考えているのか。
なぜ、そういう行動をするのか。
子どもに全部理解できなくても、伝えることは大切だと思っていたからです。
子どもを一人の人間として扱うというのは、何でも自由にさせることではありません。
親が考えていることを伝え、一緒に考え、間違ったときには一緒に現実に向き合う。
それが親子なのではないでしょうか。
今回、昔の出来事を思い出して、改めて思いました。
子どもを守るとは、子どもの前に立ってすべての責任を引き受けることではない。
時には、子ども自身に現実を見せること。
謝るべきときには、一緒に謝ること。
間違いから逃げそうになったときには、手を握って一緒に戻ってくること。
そして、
「あなたが何をしても、私はあなたを見捨てない。でも、間違ったことまで正しいとは言わない」
と伝えること。
それもまた、親が子どもにできる大切な「守る」なのだと思います。
あのとき病院に来た親子が、その後どんな人生を歩んだのか、私は知りません。
でも、あの日、そのお母さんが息子さんの手を引いて病院に来たこと。
私は、それだけでも大きな一歩だったと思っています。