老春時代の満足生活情報発信局(日々の暮らしと人生物語)

人生100年折り返し点からを心地よく過ごし、もっと魅力的人間になる「楽しく楽しく生きる」事をモットーに頑張るつぶやき日記です。

少年犯罪について.「なぜお金を渡したのか?」その言葉を、私は簡単には言えない

「なぜお金を渡したの?」その言葉を、私は簡単には言えない

最近、インターネットで少年犯罪についての記事を目にしました。

高校生が17歳の少年から暴行を受け、3か月もの重傷を負ったという事件です。

さらに、加害者の少年から10万円を要求され、被害に遭った高校生の母親が、そのお金を支払ったという内容でした。

その記事についたコメントの中に、

「なぜ母親はお金を渡したのか」

というものがありました。

私は、その言葉を見て、少し考えてしまいました。

もし、自分の子どもが暴力を受けていて、「お金を持ってこい」と言われた。

そして、自分が現場へ行った。

その場に、暴力を振るっている17歳の少年がいる。

私だったら……お金を渡すかもしれません。

もちろん、それが正しい対応だったと言っているのではありません。

ただ、その瞬間に母親が考えるのは、まず何より、

「早くこの子を助けたい」

ということではないでしょうか。

40代、50代の女性が、17歳の少年を相手にして、力で立ち向かえるとは限りません。

17歳といっても、身体は大人に近い。

まして、相手がすでに暴力を振るっている状態なら、こちらが刺激することで、さらに子どもが傷つけられる可能性だってあります。

だから私は、外からニュースを見ているだけの人間が、その母親の行動だけを取り上げて、

「なぜお金を渡したの?」

と簡単に責めることはできないと思うのです。

中学生の頃に出会った「不良」

このニュースを見て、私は中学生の頃のことを思い出しました。

当時、学校に「不良」と呼ばれている男の子がいました。

体も大きく、威嚇するような態度を取り、先生たちもどこか見て見ぬふりをしている。

生徒たちも、

「触らぬ神に祟りなし」

という感じでした。

私は転校生だったこともあり、少し離れたところから、その子を冷ややかに観察していました。

そして、当時の私は思っていたのです。

「大人も怖がっているじゃん」

でも、その一方で、

「それにしても、バカな子だな」

とも思っていました。

威張って、威嚇して、みんなを怖がらせている。

でも、私にはまるで三歳児のように見えたのです。

「本当は、構ってほしいだけなんじゃないの?」

「親にも構ってもらえていないのかな」

そんなことまで考えていました。

なぜか、その男の子は私の前ではおとなしかった。

私が特別何かをしたわけではありません。

ただ、私はその子を怖がって避けることもしなかった。

それだけだったのかもしれません。

私は、少し早く「大人の怖さ」を知っていた

今振り返ると、私がそう思えたのには、自分が育ってきた環境も関係していたのだと思います。

私は子どもの頃から、少し普通とは違う大人の世界を見てきました。

暴力的な人間や、威圧する人間。

大人のずるさや、怖さ。

だから、早い段階から、

「暴力を使う人間ほど、本当に強い人間とは限らない」

ということを、どこかで感じていたのかもしれません。

でも、これは私だからそう思えただけなのだと思います。

普通に暮らしている人にとって、目の前で誰かが暴力を振るえば、当然怖い。

まして、自分の子どもが傷つけられている。

そこに大きな身体の少年が立っている。

そんな状況に置かれたら、冷静に判断できなくなるのも当然です。

だからこそ、第三者が安全な場所から、

「なぜそんなことをしたの?」

「そんなお金、渡さなければよかったのに」

と簡単に言うことには、私は少し違和感を覚えます。

「戦う」だけが勇気ではない

子どもを育てるとき、私は、

「自立すること」

「勇気を持つこと」

「自分を大切にすること」

そして、

「戦うこと」

「逃げること」

その両方を教えることが大切だと思っています。

世の中では、「立ち向かうこと」が勇気のように語られることがあります。

でも、本当はそうではないと思うのです。

危険な相手から逃げる。

誰かに助けを求める。

子どもを連れて、その場から離れる。

場合によっては、お金を渡してでも、その場を収める。

それだって、立派な「子どもを守る」という判断です。

そして、安全な場所に戻ってから、警察や学校など、しかるべきところへ相談すればいい。

大切なのは、その場で正義を証明することではなく、まず命と身体を守ることなのではないでしょうか。

知らない事情を、簡単に裁かない

今回の事件で、加害者の行為が許されないことは言うまでもありません。

暴力によって人を傷つけ、金銭まで要求する。

それは決して許されることではありません。

けれど、加害者を批判することと、被害に遭った子どもの母親の行動を批判することは、別の話です。

私たちは、その母親がどんな状況で現場に行ったのか、そのとき何を見て、何を感じ、何を恐れ、どんな気持ちで10万円を差し出したのか、本当のところは分かりません。

分からないものを、結果だけ見て簡単に評価することはできないと思います。

ニュースの向こう側には、画面には映っていない人間の感情があります。

「どうしてそんなことをしたの?」

そう思う前に、

「もし自分がその場にいたら、同じように冷静に判断できただろうか」

と、一度考えてみる。

私は、それが人を批判するときに必要な想像力なのではないかと思います。

暴力に立ち向かうことだけが勇気ではありません。

大切な人を守るために、その場を生き抜くこと。

それもまた、十分に勇気のある行動なのだと思います。