老春時代の満足生活情報発信局(お金と暮らしと占いと人生物語)

還暦を迎え、人生を心地よく過ごし、もっと魅力的人間になる「楽しく楽しく生きる」ヒント探しブログです

自分に誇りを持て.人生において、かかわった人たちに誠実に付き合ってきた人間は、ある程度の歳に人とかかわりたくない

インターネットで、検索をして、ある人のコメントを見て、感じた事。

自分に誇りを持てと。

ずるいことをしてはいけない、誰も見ていないとごまかしたりしてはいけない。

おてんとうさまが見ている、一番見ているのは自分だというよなお話の記事を見た。

私も「自分に誇りを持つ」と言うことは大切にしている。

それは、自分に正直であること、自信を持つことだとも思っている。

幼少期の環境で、嘘をつくことは、人としての信頼を裏切ることだと思っている。

この「誇りを持つこと」「自信を持つこと」もしくは今風に言えば、「かっこよく生きること」だ。

案外この「かっこよく生きること」は疲れる。

誇りをもって、自信をもって、生きると、依存されやすく、楽をしたい人や、利用しようとする人が集まる。

その中で、かっこよく生きるのはかなりしんどい。

自分に誇りを持つことは、社会のルールを守り、人間関係を大切にしと、他人への気遣いの多い事。

でも、人間関係において、誇りをもって、他人に接していると相手の思惑が見えたりする。

かっこよく生きようと思ったら、他人と関わるときは、ある程度の距離感を持つほうが、楽だと思う。

私の周囲の人たちは、特に、弱い人間(自分は弱いと思っている人)、仕事ができない人、何らかの劣等感を抱えている人が多い。

彼らは、自分達が弱いと言うことで、他人を傷つけ利用してもいいと勘違いしているのではと思うほどだ。

彼らは自分は努力せずに、「あなたはできる人だから」という。

「できる人」は、努力して、自分をそこまで成長させている人だ。

誇りとか自信は、やってみて、できない所を放って置かずに、自分で努力をしてできるようになった人が、身につけられる事だ。

自信を持つこと、誇りを持つことは、泣き言を言わない、弱音を吐かない、失敗しても、やり直す。

明るく言えばポジティブな人間である。

誇りを持つことはポジティブな人間になることだ。

誇りをもっている私なのだが、もう、いいんじゃないと思っていることがある。

何がと言えば、誇りと自信を持った人生を送ってくると、他人と距離を置きたくなる。

ようするにめんどくさくなるのである。

もう、自分のために、生きてもいいかなと。

「強い人」「できる人」「嘘がない人」「真面目な人」これらを私に言う人は、中には、なんていうのだろうか、被害者意識というのか弱いと言うことを武器に、攻撃をしてきている気がする。

人間強い人なんていない。最初からできる人なんていない。

自分が努力しても頑張っても、天才には追いつかないことだってある。

できる人の半分しかできない人だっている。

だけど、自分がさぼるわけでなく頑張ってやってみることで自信ができ誇りも持てる。

ずるい人は、やらずに、努力してできるようになった人を、攻撃する。

色々なことがある。人間なんだから、できないことはたくさんある。

その中で、自分に正直にやってみて、自分の限界を知り、頑張ったと自分を認めて褒めることができる人間が、人としての誇りと自信をもつことではないか?

なのに、何も努力くせずに、自分のプライドの感情だけで、開き直りともいえる言動をする人がいる。

世の中に弱いできないことを言い訳に、努力してる人に対して攻撃する人の多い事。

ある程度人生を送ってくれば、関わる人間も多くなる。

人生において、かかわった人たちに誠実に付き合ってきた人間は、人とかかわりたくないと思う気がする。

そして、誇りあり、自信のある人は、孤独でも何の問題もない。1人であることで孤独を感じることはない。生きてきたことへの誇りと自信があるから、おひとり様を楽しむことができるようだ。