自分らしく生きると言うこと。
社会ルールを守り、自分ルールで生きることができれば「自分らしく生きれる」。
ルールというものは、トラブルを避けるために、存在する。
人間関係、他者とのかかわりの中で、起こる問題を、スムーズに解決し、人間として、尊重された生き方ができるために、ルールというものがある。
私の中、ルールは、「殺すな」「盗むな」「騙すな」だ。
これ以外のルールはない。
人間関係のスムーズな関係を築くには。
人間関係の悩みを、解決するには。
信頼されるには。
賢い付き合い方は。
沢山の、悩みや人間関係の解決の方法が、紹介された本がある。
恋愛、家族、職場、学校、自分がかかわる人がいれば、そこで色々な悩みが起きる。
その悩みを解決できず、病気になったり、ひどい場合は、自殺をしたりする人までいる。
病気になるのはまだ、治療すれば、助かることができるけれど、死んでしまっては、だめだ。
自分らしく生きていれば、良いのにと思う。
誰のために、亡くなるのか。
虐めやトラブルから、自らの命をたつ。
自分らしく生きてほしいと思う。
自分らしく生きるには、一人でもいいやと他人とかかわらない事を選ぶ時もあると認識しよう。
自分一人で、生きることを考えないと、自分らしく生きられない。
他人との付き合いは、自分が決めるのだ。
今の居場所に、自分の生きる場所がないのであれば、そこから、出ればいいのだ。
会社で、自分が取り戻せない、自分が壊れそうなら、やめればいい。
自分のことをわかるのは、自分だけだ。
他人が何を言おうと、自分を守るのは、自分だけだ。
親、上司、友人、自分の周りに助けを、求めても、わかったような顔をするか止めるか、自分の気持ちを理解してもらうのは無理。
どうしても耐えなければいけないなら、自分の命だけは、守ろう。
毅然とすればよいと思うが、虐めやパワハラを受けている人が、急にはできないだろう。
だが、目立つことをしないようにする、兎に角我慢して、嵐が去るのを待つなどとは考えてはいけない。
普通に、することだ。
そして、嫌だと言うことだ。
そんなことは、怖い?
そうかもしれない。しかし、地震などの自然破壊の時には、自分ができることをしないだろうか。
人災だと思うべし。
自然災害と同じだ。
壊れたものは直せばいい。
生きているから、できることだ。
自尊心をなくすな。
逆縁の不幸をするな。
痛みを無視するな。
自分がされたら嫌なことをするなというが、やっている人間は、嫌だと思っていないからできるのだ。
他人がどのように思うかなんて考えていない。
やりたいから、面白いから、なんとなく、理不尽な言い分だ。
やられている人間は、自分の周りの人間のことを考える。
それも、どう思われるかをだ。
親に、心配をかけたくない。弱い人間だと思われたくない。
他人からの評価を気にして、一生懸命、いい人や、いい子でいようとする。
痛いものは痛いのだ、嫌なものは嫌なのだ。
気づいてほしい、助けてほしいと思っていても、言わなければわからない。
もし、言っても誰もわかってくれなければ、逃げろ。
そこから離れろ。
一人になることだ。
家に逃げ込んではいけない。
怪我をさせられたり、耐えれないことをされたら、警察に行くのだ。
親に言えない、先生にも言えない、誰にも言えないのであれば、警察に行くのだ。
警察は、事情を聴いてくれる。怪我をしていれば、傷害事件として、記録に残してくれる。
公共の力を利用すればいいのだ。
死んではいけないのだ。
それでは自分らしい人生を、送れない。自分らしく生きることを考えれば、死ぬことはない。
学校が嫌なら、やめればいい。
やりたいことを探せばいいだけだ。
会社が嫌なら、止めればいい。自分に合う仕事やりたいことを、探せばいい。
自分のために我慢をするのはいいが、他人から、やられることに我慢する必要はない。
他人に依存しないことだ。
自分を必要としている人間は必ず要る。
自分らしく生きていけるところを見つけるのだ。
人様に、迷惑をかけないのであれば、食べて寝て暮らせればいいじゃないか。
人として生まれてきたのだから、自分らしく生きて何がいけないのか。
強くなれなんて言わない。弱くたって、人と違う生き方でも、それがあなたらしい生き方なら、それでいいじゃないか。
あなたに代わる人はいないのだから。