人生なんて、取り方ひとつ、考え方ひとつ。
何でだろうと、子供の頃思ったこと。
隣の男の子の話。
小学三年生のころ、隣に兄弟が、住んでいた。子供の頃の話なので、お母さんがいたかどうか記憶がない。
その男の子は、私より、2歳くらい上だったと思うのだが、その子のお父さんは、非常に酒飲みで、よく怒って、子供に手を挙げていたと思う。
他人の子供には優しい人だったけれど、いかつい印象で、子供心に、怖い人だなと思っていた。
ある日の夕方、例のごとく、酒を飲んで暴れて、子供たちに暴力をふるって、兄弟は、逃げ出した。
大きな物音で家から、飛び出して見てしまった。泣きながら、保育所の砂場に走っていくのを、私はついって行った。
その時の男の子が、「なんで、こんな生活なんや。死んでしまいたい」と言った。
私は、今でも覚えているのだが、何で死ぬなんて思っているのかわからなかった。何だか、わざとらしいく、白々しく聞こえた。
何でそんな風に感じたのか今でもわからない。
ただ自分の気持ちは、馬鹿みたい、なに悲壮感出しているのだろう。逃げ出したんなら、このまま、どっかに行けばいいじゃないと思った。
まだ、小学生なのに、この少年がいった言葉は、私には、馬鹿らしいものに聞こえたのだ。
私の親も毒親だったが、死ぬなんてことは一度も考えたことがない。
嘘をつかされても、食べさせてもらえなくても、今は仕方がないと思っていた。
あきらめているからではなかった。子供だからだ。大人になったらといつも思っていたから。
人生は、人として生きると書くが、子供の頃は、人として生きるのではなく「生きる」だった。
大げさに言えば、生き延びるである。
生き延びることができれば、自分が大人になれば、と言うことを、そのころから思っていた。
このあと、どうなったかは覚えていない。私の姉が探しに来てくれ気がする。
本当にこの男の子の「死ぬ」と言うことが理解できなかった。
何でそんなことを思うのだろうと、今もわからない。
自分の親も、毒親だったけれど暴力がなったからだろうか。
食べれないことよりも、暴力のほうが心は痛むのかもしれない。
私は、理不尽な暴力を受けると、相手が親であろうと、とても冷ややかな気持ちになり、痛いと感じない。
小さなころから、そんな調子なので、頑固ものと言われた。と言っても、親に叩かれたり、怒られたりするようなことは一度もしたことがない。
あるがままを受け入れていたのかもしれない。
お金がないといっても、お使いの駄賃や鉄くずを、屑屋(鉄くず屋?)売ったり、酒瓶を酒屋に持って行って、お金に換えたりと、小銭を貯めていた。正月のお年玉も使わず(父の知人は気前のいいひとが多かった)持っていた。
そのお金はよく親が貸してくれと言って戻ってきたことはないけど。
自分の学用品やちょっとしたものを買うのに、親に異ってもいつもお金がないと言われたので、自分で何とかするしかなかった。(姉は、いつもちゃんと親から買ってもらっていた)
この違いは何だったのかと今でも思う。私は、駄々をこねない親を困らせない子だったことがあるのだろうと思ってはいる。
ありのままを受け入れ、物の見方は、取り方ひとつ、考え方ひとつが、いつの間にか身について、人生の理不尽を乗り越えるすべを、子供の頃に、身に着けたのかもしれない。
長い物には巻かれよと言うことがあるが、私の場合は、長いものには巻かれた振りをしろが身についているのだろう。
虎視眈々と、時期を待つ子供時代なのかもしれない。
生きると言うことが、私にとって、とても強いものだったのだろう。
おかげで、自分をポジティブとは思ってはいないが、考え方が柔軟だと思う。
もう!と思うこともあるが、落ち込むこともないし、他人から、攻撃を受けても、別にあなたに食べさせてもらっているわけじゃないし、私の人生の責任を取ってくれるわけじゃない
この人の考えであって、私がこの人と同じ考えでなければいけないことはない。
他人が自分を理解することは、難しいと思う。また、自分自身だってどれほどのことがわかっているだろうと思う。
わからなくて当たり前、他人だもの。人の気持ちがわかるわけはない。親だって兄弟だって考えていることや思っていることがわかるわけない。
一緒に、時を過ごし生活をした、血のつながりある者の思いだってわからないのに、他人なんて、もっとわからない。
だから、この人はこのように考えるのだと思うだけだ。
見えているもの起こったことは、すべて、取り方次第、考え方次第。
他人は、自分が思うほど、自分以外の人のことを考えてはいないと思うべし。