看護学生時代編。
嫌な主任の話。
全然、仕事をせずに、ナースキャップもつけずに(当時はナースキャップは看護師の必需品)何してる?
総合病院から転職してきた病院で唯一の正看護師。
怖い婦長も、何も言えず、怖い奥さんとは仲が良く、先生も何も言えず。
お局様。この人に睨まれると村八分。
今だと思うのだけど、実際には仕事が全然できなかったと思う。だって、注射だけで、オペにも入らないし、処置もしなかったから。
私は当時、何でも聞くので、この主任は嫌がっていました。父が、院長と知り合いだった縁で、この病院に入ったこともあるうえに、主任も、父を知っているので私には、意地悪をしなかった。
30代だったけど、我が物顔でした。先生に注意をされると、診察室からプイと出ていってしまいます。病棟の主任をしていたのですが、今思い出しても、仕事をしているところを見たことがない。
この人は、嫌いな人を無視する、学生を卒業したばかりの先輩がいみもなく虐められていました。
いじめられた先輩は、学生を虐めるので、止めてほしかったですね。
社会に出れば、こんな人は必ずいますけど。
反面教師というのでしょうか、この主任にかかわって、勉強できたことは、こんな看護師にはならないということでしたね。
ナースキャップをつけず、ナースシューズは、つかっけのようにベルトを踏んで、歩いているし、白衣は、白衣でなくオフホワイト色のよれよれ。
白衣の天使を夢見て、看護師を目指している学生にとっては、もう最悪の看護師のモデルでした。
看護学生は忙しくって、そんなものに構っている暇がなかったことが、救いだったかもです。
寮には、落書きがいっぱいあって、学生たちの不満が書いて残っています。まるで、あとから入ってくる学生たちに伝えるように。
この主任に対する落書きはきっと、いじめられた学生の恨みでしょうか。ひどいものでした。
私たちの前の先輩学生が残っていないのも、この主任のせいかなと思います。気分にむらがあり、感情でものを言うので、理不尽なことで、学生が辞めていったのではないでしょうか。7人いた学生が残っていないことが、その答えではないかと思います。
育てることのできない無能な資格持ちはいらないです。
この嫌な主任は、仕事をさぼって、(夫が入院していた)患者の部屋に入り浸っていることがわかり、しばらく仕事に出てこなかった時期がありました。
だけど、出てきても全然、どこ吹く風だったです。
これは、病院が医院が毛の生えたような、家族経営だったための弊害だと思まいます。