老春時代の満足生活情報発信局(お金と暮らしと占いと人生物語)

還暦を迎え、人生を心地よく過ごし、もっと魅力的人間になる「楽しく楽しく生きる」ヒント探しブログです

私の癒し、自分を幸せにするために。

私の癒し。

 

私は、子供たちの写真や結婚写真などを、持ち歩いている

 

渋滞でイライラした時や、嫌なことがあった時、夫と喧嘩をしたときなど、ネガティブになった時に見るためと。

 

親バカなのですが、子供を見せびらかすために。子供自慢って、他人にはどうでもよいかもしれないけれど、そこはお構いなく、気にせず。

 

子供の写真って、成人すると一緒にとること非常にに少なくなる。

 

私の家では、次男が、末っ子に対して、非常に冷たいので、4人がそろうことは、ほぼ皆無。

 

最近そろったのは、私の還暦の時。次男坊が、私が喜ぶだろうと声をかけ、プレゼントと色紙を届けてくれた時。その時も、次男は「母さんが喜ぶと思って、だからといって、これからも仲良く一緒はないよ」と、くぎを刺された。

 

過去をやたらに振り返る必要はないけれど、「幸せな気持ち」を呼び起こすものは大切だと思う。

 

私が子供たちへの愛情が、強いのも写真から子供の愛情を感じることができるからかも知れない。子供たちの無邪気な笑顔を、見ていると、この子たちの母親になれてよかったと心から思うのである。

 

人は、辛いときに幸せだった時のことを思い出すと、辛いときも頑張ることができるのではないかと思う。

 

自分を幸せだと思うのは、幸せにできるものを持つことが必要ではないかと思う。

 

自己暗示ということがあるが、嫌なことやネガティブなことを、考えるよりも、自分が幸せになるものに囲まれているほうが、楽しいと自分は幸せだと、暗示に掛けることは大切な生きる力だと思う。

 

虐待されている子供が、耐えられるのは、時折みせてくれる親の笑顔だったり、やさしかった時の思い出だったりする。

 

幸せだったことの記憶は、人を強くすると思う。

 

私の母は、今でいう「毒親」だったが、母はきれいな人だったし、他人からは、とてもやさしい人に写っていたので、自慢でもあった。髪を振り乱し、怒鳴り散らし暴力をふるうような親ではなかった。ただ、母親らしいことはせず、自分の、楽しみにしか興味のない人だった。いつも「女」であることが優先の人だった。

 

それでも、子供の頃は優しくてきれいで自慢の母であった。これはいまでも、子供たちから「いつも母はきれい」と思ってもらえるようにと、努力を怠らないようにする私の目標である。

 

さて、話がそれたが、写真を持っているというと、子供たちの写真で、夫や妻の写真を持っていない人がいるが、それは違うと思う。

 

子供の写真を持つなら、家族写真のほうが良いと思う。子供を見て妻や夫の写真を見ると必然的に、感謝の気持ちがわくから。

 

これこそが写真を持っていることの、意味である。

 

幸せな気持ちは、感謝につながるから。

 

子供たちの写真を見るにつけて、思わず「神様に感謝」と思う。夫との結婚写真は、夫が、とても私を思っている気持ちを感じて幸せな気持ちになる。

 

私の家には、外国の人がデスクや棚などに写真コーナーを、置いているように、部屋すべてに、写真がある。

 

後輩の子供の写真やその両親の写真もあったりする。この、写真は、健やかにいつまでも幸せな家族でいてほしいという気持ちで眺めている。

 

昔の人は、写真に魂を取られると恐れたと言うことがあるらしいが、それはあながち嘘でもないかなと思うこともある。人の「念」は。強いとエネルギーに変わり、不思議な現象を起こすこともあるから。

 

だから、家族の写真は幸せな思いを、家族の幸せを願って、持ち歩こう。

自宅にもいっぱい飾ろう。