老春時代の満足生活情報発信局(お金と暮らしと占いと人生物語)

還暦を迎え、人生を心地よく過ごし、もっと魅力的人間になる「楽しく楽しく生きる」ヒント探しブログです

開き直って、生きてることを楽しもう

人生60年を超えて思うこと。

 

どうしようもないことで、悩まないと言うか、気にしないほうが、人生は楽しい。

 

元気ハツラツというか、生きることに対して、前向きだったのか。

 

悩みが、子供の頃はなかった気がする。

 

親に勉強をしなさいと言われたこともないし、怒られることもなかった。

 

貧乏だったから、嫌だなと思うことはあったけれど、それは自分が大人になったら、働いてと考える子供だったから、気にならなかった。

 

自分でどうしようもないことってあるよね。

 

背が低い、家が貧乏、女であるとか、変えることができないことって。

 

背があったらなとか、お金持ちの子供だったらなとか。

 

不可抗力で悩んで、劣等感を作るほうが大問題だと思う。

 

私は、身長が148㎝のちび。幼稚園の時から、いつも前から1番か2番めにならんでいた。体が小さいので、うちの父は、映画によく連れて行ってくれたけれど、4年生くらいまで、幼稚園児として、ただで映画館に行っていた。(

これはちょっと嫌だった)

 

でも、小さいことが劣等感になったことはない。背が高い人をうらやましいと思ったこともない。

 

私は、周囲の大人たちに、褒められることが多かったためだと思う。何を褒められるかというと、近所の子供たちの子守だったり、家のことをしっかりするので、褒められて大人になったから、背が低いと勉強ができないとか、女の子なのに、真っ黒で貧弱だったとかが全然気にならなかった。

 

今思えば嫌だったことは、たくさんあったけれど、大人になってそれらは、解決した。不可抗力の内容だったから、子供の私では解決のしようがなかった。

 

大人になったらといつも思っていた。

 

姉は大変きれいな人で、父も母も特別にかわいがっていた、特に、母は姉に対しての期待があった気がする。私には、何も期待していなかったみたい。

弟がいたのだけれど、こちらは父が、大変かわいがっていた。

 

その弟の世話をするので、私は褒められたのだけれど。

 

私はなぜか、大人になったら好きなことをしようと考えていたのか、自分の今の環境だとか、容姿だとかは全然気にならなかった。

 

「生きる」ことに、アクティブだったのだろう。「生きる」と言うことは、悩んでいるひまなんてなかった。

 

どうしたら、早く大人になれるか、働くことができるかを考える子供だった。

 

還暦を超えて、言われることは、「いつも元気ですね」「パワーがありますね」「若いですね」と見た目のせいかもしれないが、とても自信満々の人間に見られる。

 

嫌だと思うことがないからじゃないかと思う。

 

お金がなかったら働けばいいじゃないか。

 

嫌なことはしなければいいじゃないか。

 

自分が納得すればいいのだから、他人にとやかく言われることはない。

 

誰にも迷惑をかけていないのだから、りっぱなもんだ。

 

私は、ちょっと、自分の性格で困ったところがある。根が、お節介。

 

悩み事や相談事があるとすごく考えてしまう、何とかしてあげないとと。

 

若いころは、結構この性格で、損をしていた。

 

人生も、老年になると、人間は、相談したり、悩みを言ってくるけれど、結局解決するのは、本人だと。私が真剣に心配しても当人は、話をしたことで、ちょっと、楽になって、また同じことを繰り返している。

 

お節介なので何とかしてあげないと、思っても話をした人は、それで終わっている。そのひとのために、色々調べたり、お金も使ったり、親身になるけれど、いつも、「ああ、対したことはないのだ」と思い知らされることが多い。

 

今も変わらずお節介なところは変わらないけれど、人は私が思うよりも、自分を悲劇の主人公にしたいものであると、心に思うことで、きょりをおくことができるようになった。

これは、電話占い師をしていたおかげで、学んだことだ。

 

私は、見た目からだと、友人が多く社交的に見えるが、友人はいるけれど、自分からはコンタクトを取らない。

 

会えばとても、社交的なので、一年あっていなくても、10年あっていなくても、昨日まで会っていたかのようにフレンドリーである。

 

要するに話は好きだけれど、自分は悩みがないので、友人と井戸端会議をするのがめんどくさい。

 

仕事仲間とも、プライベートでは付き合わない。自分が、けっこう弱い人間であることも知っているので、仕事仲間とプライベートで付き合うと、仕事中に、言いたいことが言えなくなるから。何といっても、看護師の世界は、女性ばかりだから、めんどくさい。

 

他人といる人は、案外強い人間ではないかと思う。

 

私は、一人が好きだ。

 

気楽だし、気を使わなくていいから。

 

生きることは、こだわりを持つことと、自分は世界中でたった一人の人間であると思うことではないかと思う。

 

誰かに変われるわけでもない。

 

自分に変わる人はいない、無二のブランド。

 

悩みなんて自分が作り出すもの。心が、痛むのは、自分で傷つけているから。

 

何も、比べなければ、しんどくないし、他人の目を気にするから、悩みになる。

 

お金があればあるように、なければないなりに。

 

健康が一番だと思う。

 

頑張りすぎて腎臓病になっているけれど、これは神様からのプレゼントだと思っている。そんな頑張らなくていいよと、少しゆっくり人生を楽しみなさいと。

 

そんな私だから、言うのだけれど。

 

身体を壊しては、元も子もないよ。

 

悩みがある人は、一度、人間から離れるといいよ。

 

人は、生まれた時から、「死」に向かって、カウントダウンが始まっている。

 

もったいないよ、時間が。自分が楽しいと思うことや、やさしくなることをしよう。

 

自分の顔が気に入らないなら、治せばいい、誰になにを言われても関係がない。自分の人生だもん。

 

女同士で好きだったり、男同士好きだったり、人種を超えての恋愛だったりすることで、悩む人にも言いたい。

 

人間だからだよ。人を好きになるのに、条件はいらないと思う。

 

おかしいと考える人は自分が普通だと思っているから、でも普通って何?

 

誰が決めたのかな。

 

人間社会には、ルールがある。それは、集団で生活に必要なことだから。

 

生きていくのに、必要なことは、自分がこの世でたった一人の人間だと言うことを大切にすること、だから、誰かの言葉や、他人に自分の生きていることの評価をしてもらう必要はない。

 

生きていることは素晴らしく、楽しいこと。

 

もったいないよ、人と違う素敵な個性を、嘆くなんて。

 

傷つけるのは、他人ではない、自分だと言うこと。

 

人に言えないことも私もある、でも、それは、自分との戦いであって、自分をの人生を受け止めて、大切に生きることである。

 

少数だから、理解してもらえないとか、どうしようもないことで自分を、否定しないでと思う。

 

開き直って、生きることを楽しんでほしいと思う。

 

還暦になったころ、残りの人生は、ゆっくりと、生きていけるよ。