最近、割とこまめに、ブログ記事を書けるようになった。
自分の生きてきたことや、今感じていることを、素直に書いている。
本当は、あまり自分の思ったことを書くのは嫌だったけれど、
子供たちに、何か残したい、伝えたいと思う気持ちがあったので。
よく自分は、人の考え方、見方は、多種多様。だから、自分の意見や考え方も
誰かと同じである必要はないと思っているのだけれだ、やっぱり批判されるのは嫌かなという、思いがあった。
よくあるのが、そんなつもりじゃなかったのにという状況。
言葉の大切さ、言葉の威力、
これは、見えない分、他人も本人も傷つくことがある。
強い自分ではあるけれど、やっぱり、他人に傷つけられたくないと思う。
最近は、少しだけ傷つける人もいるけれど、共感してくれたり、誰かのために
なることもあるのではと思って、ブログ更新に頑張れています。
還暦すぎても、怖いものは怖い。
ツイッターなどで、炎上ということをきくと、すごいなぁと。
顔が見えないという、知られていないということは、何を言ってもよいというのかな?
私は、自分の言動に責任をもって、行こうと思っている。
だから、心ない人の、他人を傷つけていることに気づかず、行動している人のことは、他人を受け入れることができないのだろうと思うことにしている。
占い師をしていることもあり、自分の考えやプライベートのことはあまり
話さないようにしてきたこともある。
悩みがある人が、前向きになってもらうためには、私生活を知られないほうがよいかなと思う気持ちもあったから。
ものを一つ見ても、十人が見れば、十人の考えや思いがあると思うから、
自分だけの考えではなく、あぁ、そんな考え方もあるなと、受け止めることが大切かなと思っている。
他人のことも、自分が苦労と思っていなかったり、気にしないことでも、他の誰かには、死ぬほどつらいことだったりすることだってあると思う。
だから、他人の生きていることを受け止める。
これは、人の相談を受けてきたから、思えるようになったことかもしれない。
受け止めるということは、その人を否定しないということ。
自分は、こう思うけれど、あなたの考えは、違うのねと受け止めること。
受け止めるからと言って、その意見に同調することでも、賛成することでもない。
相手を責めたり、自分の思い通りにすることでもはない。
片腕がない人に、両腕でできることをさせようとしても無理。
だったら、片腕であるということを受け止めて、片腕でもできるように
考えるみたいな。
状況を、他人の思いを、考えを、広い意味で受け止めて考えることで
解決することがたくさんある気がする。
性格のせいかもしれないけれど、まずは、自分が思ったこと考えたことをやって、見るのが一番かと思う。
人をだますわけではなく、良いと思うことは、実行するべし。
やってみれば、失敗したことやできなかった部分がわかって、直すこともやり直しをすることもできる。
この年になっても、何かを始めるときは、勇気がいる。
だけれど、自分に線引きをしないようにしている。
それは、歳だから、女だから、時間がないから、どうせとか、ダメ出しをしないでやってみると言こと。
しかし、還暦を過ぎて思うことは、子供が大人になって、自分の時間がもてるようになったけれど、身体が、壊れているのは、時々、私っておバカと思うこともある。
子育てや商売などその時一生懸命だった自分を、褒めるけれど、もう少しだけ
自分のことを考えればよかったと、反省している。
今、色々なことで頑張っている人たちに、頑張るのは大切だけれど、
立ち止まったり、休むことも大切にしてほしいと思う。