老春時代の満足生活情報発信局(お金と暮らしと占いと人生物語)

還暦を迎え、人生を心地よく過ごし、もっと魅力的人間になる「楽しく楽しく生きる」ヒント探しブログです

食テロの事件について, 母親として、辛いなと思う。

やったことを援護するつもりもないけれども、自分が親として、同じ立場になったらと考える。

自分の子供は成人しているが、それでもひどい事、言うなら殺人でもすれば責められるだろう。

しかしだ。

未成年の子供が、取り返しのつかないに事をした場合に、「親の躾ができていない」と責めることはいかがかなと思う。

その親御さんが、今の状態を想像して子育てをしてきたと思えないから。

その子供さんが、起こした事件で、何でと思っているのは親だと思うから。

子育てを否定されて、何が間違っていたのだろうと

落ち込み大変なことになったと反省している子供を目の前に、どうしてやることもできない状態。

こんなことを書けば私も叩かれる立場かも知れないが、悪いことは悪い事として、処罰を受けなければいけないと思う。

だけど、他人が、その家族を、傷つけてよいと言うことでない。

この先の人生がなくなるのかというような事態になっているのに、さも当たり前のように、一生苦しめ的なことを言うのはどうかと。

親は子供の将来が幸せに、なることを願い育てる

私自身も、4人の母親だけど、成人している子供たちの事を、心配し幸せな人生を送ってほしいと願っている。

悪いことをしたと怯える子供を直接見ている親の気持ち、自分のせいで、世間から攻められる子供の気持ちはいかほどの物だろう。

こんなに大きくなると思っていなかったのだろう、駄目なことだけど、面白半分悪戯のつもりだったのだろうと思う。

何がダメなのか、善悪の区別がつくだろうというが、人は出来心、その時のちょっとした油断でやらかすことがある。

この食テロ事件は、自分の子供だったらと親の気持ちで、見てしまう。

不登校だったらしいけど、バイトをしているようだし、親としては、見守っていたのではないのだろうか。

私の子供も不登校だった子供がいる。成人して、社会に出ている。

人間トラブルで、学校に行けなくなったけれども、子どもには、集団生活を経験しないことはマイナスになること、それをしっかりと話をした。

学歴は今の日本では必要で、長い人生にの中では、必ず、いるもの。そのため、定時制高校に通った子、通信高校を4年のところを3年で卒業した子。

子育てをしている時に遠回りでもいいじゃないか、人と同じでなくてもいいじゃないかと。不登校なら、不登校で、その子が生きていけるようにしてあげればと思った。

躾は、するものでもない。自分が、親としてきちんと示すものだ。

私は、毒親だったから、しつけなんてしてもらっていないと思う。

だけど、生きていくために必要な当たり前のことは学校や友人周囲の大人たちから学んだ。

今の社会は、昔と違って、子供たちが成長するには難しい環境になったのかなと思っている。

躾をすべき親が、共稼ぎで、家にいなく、核家族で、年長者もいない。

町は、眠らない。便利になった分、何かがなくなっている。

地域には、人がいない。

そんな環境で健全な子供たちが、育つのだろうかと思う。

ヨコのつながりがない世界。隣のことは無関心。

他人のことは、お構いなし。

学校の先生も、モンスターチャイルドや親御さんのうちの子に限ってに対応しなければならない。本当に子供のことを思ってくれている大人は、叩かれる。

躾は親だけがするものではない。

社会で暮らしている大人が示すものだ。

ユウチュブ動画で、炎上サイトを見て、面白がっていまねを、する子供がいるのは当たり前だ。

この事件の後、真似をして、炎上目的で、やらかしている大人がいるではないか。

そんな節操がない大人がいるのだから、そのユウチュブ動画の人たちにも、親の躾がなっていないという人がいるのだろうか。

何で、なんで未成年だとまるで間違った子育てをしたように言うのだろう。

子どもをそだてている親は、子供の幸せを願い頑張っていると思う。

 

 

生きてきたことに後悔はないし、小さなことを幸せに思えることが幸せだ。

この歳になって、思うことは、なにはともあれ幸せなんだな。

食べることも、不自由がない。

食べることは食事療法のために、制限はあるが、制限のある中で食べたいものは食べている。

子どもの頃は、食べれない日があったり、食べれずに倒れたり。お腹がすくから、朝起きて、食べるものがないとわかるからまた、寝ようと寝たり。(空腹感があるときは寝ると食べなくていい、これは冬眠、いらないエネルギーを消費しない生きる知恵だったかも)。

仕事をしなくなったので、洋服を買うこともなくなった。元々、贅沢志向がないから。

最近は、断捨離とかよく耳にするが、歳をとると言うことは必然的に、いらないものが増える。

自分のライフスタイルが変わると、変わっていくものだ。

特に、仕事をやめると、まず、服が要らなくなる。

生きていくうえで必要なものは、その時に必要なものを、持つようになるのだと思う。

私は、子供の頃に貧乏だったので、大人になって、物を、自分で買えるようになったことで、物が増えた。

そして、捨てることができずに、持っている。

これは、トラウマの一つなのだと思っている。

いつも、必要なものも買ってもらえなかったから、捨てられない。

洋服は、裁縫ができるのでリフォームして着てしまうので、捨てることがない。もう一つ、身体のサイズが変わらない事と、顔が若く見えることもあり、20代後半の洋服もいまだに合う。

そして、流行を追いかけるような服は買わずに、持っている服と、流行を取り入れて着ると言うことをするので、服を捨てることができない。

それでも、さすがに、仕事をやめると、さすがに、着ることがなくなった。

そして、猫。猫4匹と生活するようになって、、毛がついていい物、動きやすい物になって、お洒落な福やスカートもはかなくなった。

今は、猫たちのおかげもあって、服の断捨離が進んでいる。

歳をとると断捨離の一つとして、何というか人間関係のこともある。

お付き合いという関係のことだが、冠婚葬祭なども、その一つだ。

人生、社会人にとって、人脈は大切とよく言うが、年齢を重ねる事で、人脈が要らなくなることもあるようだ。

元々、他人に対して、何も期待をしない私なので、友人を持つことはない。

悲しいことかもしれないけれど、親、姉弟妹、親戚を信用しない。

この幼少時に関わった人間関係が、私の中で、他人を信用しないと言うことになっているようだ。

と言っても、人間関係を嫌がることもないし、職場でも問題なく、こなしてきた。

職場では職場のルールを守って、プライベートでは付き合うことはなかった。

仕事仲間として、付き合うだけ。

そのため、転職することで、前職の人たちとはどんなに仲がよくても、付き合うことはなかった。だから私の人脈は、職場関係で、増えることはない。

自分が亡くなった時に、呼ぶ知人は誰もいないなと思う。それが寂しいと言うことではない。

私は、自分の子供たちが、いればそれでいいと。

私が、他人に対して冷たいわけでは決してないです。困っている人がいれば手を差し伸べる、どちらかと言えばお節介な人間だ。

ただ、人は、親切にしても、本当に喜んでいるのはわからないし、大きなお世話と言うこともある。

要するに、他人に対しては、利用して楽に自分が動ければいいだけな人が多いと。

ある意味、軽い人間不信。

だからと言って、人間が嫌いなわけではない。嫌いなら、占い師になっていない。

私自身に、他人が必要ないのだ。悩みがあっても子供の頃から自分で解決してきた。

子供の頃から、大人は助けてくれないと思ってきたから。

弱音を言わない、他人に迷惑をかけないようにしてきたら、他人から頼りにされるばかりで、自分の悩みを相談することはなかった。

強い人間に見られると、距離感が生まれるのかもしれない。

そんな私のため、知人はいるが、友人とかはいない。

そして、私自身が、井戸端会議が嫌いだし、うわさ話も嫌い、自分で言うのもなんだけど、自分は真面目で、面白い人間ではないと自負している。

私の側にいる人は、私を利用する人だけが、集まってきている気がする。

そして、占い師を仕事にするようになってから、友人を切るようになったことも大きい。

何というか、お金をもらっている占い師のだが、友人、知人たちは、相談をしてくるのだが占いをさせようとする。

これは私にとってはとても嫌な事だった。お金を払って、私の占いに来てくれる人たちに申し訳がないと。

姉は、姉妹でも私にお金をくれる、仕事だからと。私の性格を知っているから。

とても、、嫌なだった人が、20年以上、友人だった、ママ友。

自分の職場の人間関係の悩みとその人たちの性格を占わせる。だから、遊びに来られることをドンドン、断るようになった。

彼女の裏の性格がある事件で、わかってからは嫌で嫌で仕方がなった。

このママ友さんは、宗教活動をしているのに何で、こんなことができるのだろう?人としての当たり前のことができないのかと、思ってしまった。

このママ友さんには、私は時分から連絡することはないので、あなたから連絡がなくなったら、私たちの関係は、自然消滅するよと言っていたことがある。そのためかこまめに、連絡をしてきていた。でも、私に、自分でもまずいと思っているのだろう、秘密を知られてから少しづつ離れていった。

正直に言うと、良い友人だったと思っていたので、残念だと思うが、でも、他人を裏切ったり、利用する人だとわかった時点で、私の中では、切りたい友人だったとわかっている。

 

歳をとって、時間ができて今までできなかったことができる事が嬉しい。

生きることに、頑張ってきて、自分が何かをしたいと言うことは後回しで、今若い頃にできなかったことができることが嬉しい。

神様は、公平だと思う。

生きてきたことに後悔はないし、小さなことを幸せに思えることが幸せだ。

 

私は、1人になりたいとよく思う。歳なのだから生きやすい人生を歩きたいから。今まで頑張ってきたからもう、自分のことだけを考えたっていいのでは。

私は、1人になりたいとよく思う。

特に、この歳になってからだ。

今の旦那との離婚したいという言葉を毎月口にしてしまう。

時分の事を考えたい、他人の事に気を使いたくないというのが本音。

旦那は、めんどくさい。

日常的なこと自分ルールはできるけど、他のことがからっきしダメ。

一番いやなことは、他人に対しての考え方が嫌いだ。

まず、とにかくケチ。

私に、何かすることも買うこともない。

世の奥さんは、買い物に行っても何かを買うときも、まず、家族の物で、自分の物は買いに行ったとしても、時分の物を買わずに、家族の物を買う。

私も、そうだ。

家計費をもらっていないから、自分のお金だ。

それでも、あっ、これ旦那にいいかも、これ、食べさせたあげたいとか。

いい奥さんでいたいとかないし、いいよに見られたいと言うこともない。

ただ、できる人ができることをやって、補い合うことで、上手くいくと思ってきた。

二度目の時に、何でもかんでも、自分でやって体をを壊してしまった。

だから、無理せずにと思っていることもある。

人がいると、性格なのだろう気を使うのだ。

美味しものを食べさせてあげようとか、喜んでくれるものとか考えて家事をする。

三度目の結婚で、言いたいことを言おう、我慢せずに自分で何もかもやろうとしないと決めていたのだけど。

これが、相手によるのだと痛感している。

今の旦那は子供なのだ。時分がしたい事だけを自分のルールの中でする。

他人い大してこんなことをしたら喜ぶと考えないのだ。

手伝うにしても、自分がしたくないことはしない。

看護師なのに、段取りとかできないことはやれるように努力する事。

わからないことは自分で調べる。

教えてもらったことは忘れない。

してもらったことは感謝する。

兎に角、自分ができない事を、私がしてあげることが多いのだが、できないくせに偉そうで、「ありがとう」という感謝の気持ちもない。

そう、子供が母親にしてもらうのが当たり前のように、感謝をしないのと同じだ。

子供なら仕方がないかもだけど(私の子供は母親にでもありがとうをいうけど)私は赤の他人だし、母親でもない。

怒ると、二階に上がりものを言わず無視だ。

時々、この人の親はちゃんと躾をしていないのか、感謝をすることを教えていないのかと思う。

あいさつもできない。

夫婦であっても、おはようとか日常のあいさつはするべきだと何度も言ってきて、やっと少しは言えるようになったが、其れも普通のあいさつではない。「おはよう」と言えない、ふざけた言葉だ。まあ、起きてきたら、声をかけるのがあいさつだと認識できたと言うことで、許している。

夜寝るときもなのだが、私は先に寝るときは、「先に寝るね。お休み」というのだが、すーっといつの間にかいなくなっている。あれっ、トイレかなと思ったりして、リビングでいるけれど、二階に上がったら、寝ている。

万事がこの調子だ。

私は家族間でもあいさつをしないと、社会に出たら、あいさつができないと思っているから、ちゃんと子供たちに、教えてきた。(不登校で父親のところのいた子供はいつの間にか、あいさつがでいない子になっていたけど)

常識的なことが、できない人なのだ。

できないことを、私がするのはいい、だけど、こうだからしなさい、していないとダメだというのに、あーだ―こうだと言い返してきてしない。結果、後で、私が時間を割いてしなければいけない。

めんどくさいのだ。

子供ならわかるけど、もう50歳になった半世紀生きてきた人間なの、自分のできないこと苦手なことを人任せにして、偉そうに言うこの旦那が嫌で嫌で仕方がない。

そんな気持ちを、落ち着かせ、人間だれしもいいところはある。

っこの人は言えばわかるのだからと、今まで来たけど、さすがに学習しないのはどうなのだろうと思う。

と言っても、落ち着いて思うことは、この人は学習できないのだろうと思う。なんて言うのか学習障害があるのだろう。

まあ、病気と言うことののだろう。

だけど、仕事をちゃんとやって、自分のこともできるので、(掃除、洗濯)家事はできるのだ。

だから、私が居なくても、生活ができるのだから、離婚してくれても良いと思うのだけど。

離婚したいと言ったら、鬼のようになる。まるで、気違いだ。

以前は、床にたたきつけられた理、首を絞められたりしたが、学習したのか、それを続けると本当に離婚されると思ったのだろう最近は、物を壊す。

物を壊すのは、相手を怖がらせるためなら、あるかもしれないけれど私には無駄だ。

興奮すると手が付けられない状態になるが、まだ、最後の一線は、守っているようだ。

こうして、文字にして自分の気持ちを見る。

ストレスにならないように吐き出して、自分の気持ちを切り替えるようにするのだけど、結局のところ、相手が変わらなくいつも同じパターンになるので、どうしたものかと考えている。

時間をかけて、もう歳なのだから生きやすい人生を歩くことだと思う。

工場勤務から転職活動を始めた息子の問題。元不登校、引きこもりの影響。①

転職活動を開始した、三男坊。

就職は高校卒業後の春休みに中に、先生のおかげで何とか決まった。何故か6ヵ月でやめた。

半年ほどをたって、私の元職場に看護助手とし就職した。一年後に、深夜勤務がしんどいと辞めた。

友人の紹介で、とある工業会社に、行き、今に至っているが、この会社、7年務めているのだが、中小企業の為、コロナ感染などで、業績が悪化。手取り給料が、14万。ボーナスは年二回あるが、合わせて20万ほどだ、もらえないよりはよいだろうが。

7年務めていれば、給料が手取り20万を超えていても良いのではと思う。

3年ほど前から、転職をすればと言っていたのだが、まだ、コロナ感染もなく、のんきなものだった。

友人とシャアハウスしていたのだが、友人がマンションを買い、自分も中古の住宅を買った。

その家で、友人とシャアハウスしているのだが、事情があり、支払いが高い。友人がいなければ、払えなくなるのではという心配がある。

そのようなことがあり、転職を考えて動き出した。

 

三男坊は、頑固だ。ちょっとめんどくさいタイプの子。

扱いにくい子でもある。

身内には、一人前のことを言うのだが、他人に対してはビビりなのだ。

そのため、面接がからっきしダメだ。

中学生時代不登校で集団生活していないため、人とのかかわり方が、できないのだ。

自分に自信がない、どう思われるかわからない。人に質問されると答えられない。

私が居れば、他人と喋れるのだが、1人ではダメだ。

高校の面接が、終わっ時の様子は忘れられない。

暗い、真っ青な顔をしていた。あ~、これはダメだなと。落ちましたね。

結果、一年後に定時制高校に、入学した。高校卒業は、就職するときに必ず、必要な学歴だと、今の日本では最低の学歴だから。

面接時の、注意や答え方などを先生が教えてくれたけれど、自分は大丈夫と、本気で練習をしていない。

全てにおいて考えが甘く、内弁慶とでもいうのか、身内には、いかにもできる感でものを言う。

今回、営業を転職会社から勧められているという話をしたら、兄が冗談で、「俺のところに来れば」に乗ってしまい。先日、課長と兄と会った。

兄は、弟に合うのは4年ぶり。

「母さん、暗い、ダサい。要らんわ。営業なんかできんで。紹介だからはいれると思っているわ。俺、課長に取らんでいいですと言いそうだったわ。課長が席を立った時にあいつに聞いたら、面接してもらいたいというから。言わなかったけど。課長も、弟さんと言うことをプラスしても、面接しても5分5分ですねと言われたよ」

「母さんが、あいつの仕事や生活を心配しているから、仕方がないけど。自分磨きができていないし、生活の乱れが、出ている。」

「課長に、うちの会社に来ようと思ったのはと聞かれたら、兄がうちの来るかと言ったからと。課長が、それを会社に来ることの理由にしたら駄目だよ。と言っていたよ。当たり前だわ。あれは、俺の声がかかっているからはいれると思っているな。あれじゃどこもとってもらえないで」

「仕事辞めたら、次の仕事を見つけるの難しいと思う。自分の価値観もないし、何で、転職をしようとしているのかも話せない。で、緊張しすぎ。わからないこともないけど、見た習慣、落とされるわ。話してさらに駄目だこいつと思われるよ。俺さ、店長しているから、はっきり言うけど、営業の世界は、厳しい。無理だよ。ビジョンがなさすぎ。」

「30歳じゃろ、今年、31歳。無理じゃな。もっと、自分の生活をしっかりと考えないとね。」

結果、昨日、本番のために、自己アピールをする為の原稿を作って、持って行った。

欠点を逆手に、それを武器にして、面接に備えようと。

息子に、自分の長所はなに?と聞いたら、長所と言ったきり答えない。

「あのね、面接で、君の長所や欠点を聞かれたときに、答えがすっと出てこないようならその場でもう、終了だよ。自分がわかっていない人間を会社は必要としないから。」

「自分を使ってください。自分にはこんな良いところがありますと言えないのであれば、戦力にならないと思われるよ。工場なら、流れ作業でもいいので、手があり、工程を理解し、人間性を重視しなくてもいいから、まじめで寡黙で、暗くて喋らなくてもいいわけだから。だって、部品だからねあくまでも、工業では決まったことを決まった時間までに仕上げればよいのだからね。」

終活とは、自分をしっかりと見つめることのできる活動だ。

今回の、就職活動は三男坊に、時分とはを見つめる良い機会になるといいと思う。

三男坊を見つめて思うことは、引きこもりになった時に、学校に行きたくないことで彼が得たもの手に入れられなったものが見える。

不登校も引きこもりも、必要であれば、仕方がないと思うことだ。

だけど人生を、送るのには働かないといけない。特殊技術があったり、特別なスキルがあるなら、引きこもりでも変人でも問題ないかもしれない。

しかし、普通はそのようなこともやっぱり努力した人間が持っているものだろう。

そのことを踏まえると、普通の人間が最も必要なものは、コミにケーション能力ではと思う。

人間関係に対して、臆することがないことが、社会においては、必要不可欠だ。

残念なことに、中学生活を途中から引きこもり、人間関係に対して、臆病というか苦手意識がある息子は、今回の、転職活動は苦しいものになるだろう。

社会という物は、簡単ではに事を学びどうするべきかを学ぶときなのだろう。

時分だけの世界で生きてきて、楽をすることを覚えてしまった三男坊。

次男坊はそんな弟に手厳しい。

 

 

 

 

 

 

昔の息子との会話。三日坊主でいいじゃないの。

ちょっと昔の子供との会話を思い出した。

次男坊なんだけど、高校を卒業してしばらく、バイトでちゃんと就職をしていなかった頃の話。

したい事が見つからないと言うことと、何をしたいかわからないという感じ。

バイト生活をしている時に、友人は大学に行ったり、就職して仕事をしたり、していた頃。

「母さん、俺は、ダメ人間なのかな」

「なんで?」

「大学に行ったり、会社に行ったりちゃんと生活をして、それぞれ、みんなそれなりにやっているじゃない。」

誰かに何かを言われたのかしら?

「別にいいんじゃないの?母さんに依存して、遊んでいるわけじゃなくって、ちゃんとバイトしているし」

「でもさ、俺って三日坊主みたいじゃん。あれがしたいこれがしたいとやっては見るけれど続かないし、バイトもよく変わるし」

「いいんじゃないの。三日坊主でも。やりたいと思ってやっってみることで、なんか違うなとわかるわけだし。三日でも、経験できるのだから、やらない人よりいいと思うよ。」

「それにね、三日坊主というけれど、バスケずっと続けているじゃない。高校を卒業して、社会人チームを作って、頑張っているじゃない。自分に必要なものは続けられるのじゃないの。」

新しいことはやってみないと自分がしたい事かわからない。それに、大学に行っていたら、社会に出るのは22歳だよ。だから、今はバイトをしながら、どんな仕事につくか考える時間だと思っているから。」

「母さんが、一度でもあんたに、就職しなさいと言ったことがないでしょ」

「いつも言っているけれど、35歳までに、やりたいことを見つけることだと。それまでに自分がやりたいことを見つける努力をするなら。何をやってもいいと思っているよ。」

35歳までに、生きることがどんなものかを見つけられたら、あとは頑張れるよ。」

周囲と違う生き方でもいいんじゃないの。今のあなたがまじめにしていないとか思っていないから。」

「だってさ。自分の将来を考えるなんて、高校の三年間で決めれないよ。やりたいことがあったら専門学校にいこうと思うだろし、大学にも行こうと考えるかもしれないでしょ」

今のあんたは、無限の可能性がある時間を過ごしているのだから、しっかりと考えればいいのよ。」

「仕事をしないといけないからと学校の勧めで仕事して何となく生きているより、あんたのように、俺って何がしたいんだ。こんな状態じゃいけないと考えるから、自分の生き方を決める決心がつくのじゃないのかな」

「母さんが、まだちゃんと働いているし、自分のことは自分でしているからいいんじゃない。」

「それに母さんは、あんたを信じているから。今は見ているだけだよ。けっして、ダメな子だとか思ったこともないし、今のあんたを、何してんのと思ったことがないよ」

「それにね、三日坊主の話だけど、今じゃないから続かないこともあるよ。ある日昔これやって、三日坊主だったな、ちょっとまたやってみようかなと、やってそれが自分のチャンスにつながることもあるから、無駄だと思うことはないよ。」

「若い頃は、ちょっとでも興味がありやってみようかと思うことは、三日坊主でもやってみればいいじゃないの。経験することだよ。それにねその三日坊主でも他人とかかわるでしょ。人とかかわることはいい刺激だからね」

「ずっとあんたを育ててきてあんたの性格を知っているから、見ていられるの.母としての自信だよ」

「母さんは、甘いよ」とちょっと涙ぐんでいた次男坊。

現在は、不動産営業所の店長として頑張っている。

次男坊は、独立したいという夢を持っていたから、店をするか会社を作るかはわからないけれども、その夢はずっと今も、持っている。

だから彼には、人脈を作るためにも、色々なことをすればいいと思っている。

あの当時、高校を卒業して大学に行こうと考えていたけれども、大学に行って何がしたいのか決められずに、試験を受けなかった。

高校の面談の時にも、先生に、「現役で受かったらいいと思っていないです。甘いかもしれませんが、したい事がある大学に行ってほしいです。遊ぶためではなく、自分のしたい事を見つけるために行くのも良いと思っていますから。成績やその他のことは、先生と子供が相談して決めてくれればいいです。私がどこの大学が良いとかはないですので。相談するのは、あくまでも現場の教師とこの子だと思っていますのでよろしくお願いします」

最近、息子は、「勉強はいつでもできるって思うようになったよ、大学に行っていたら、俺はきっと、フリーターになって、成人して仕事も決めずに焦ってばかりでくだらない人間になっていたと思う。高校卒業した後に、仕事を決められずに悩んでよかったよ」

次男坊は本人が言うように、三日坊主になりやすい、ちょっとあきっぽいうえに好奇心旺盛という性格の為。

だけど、ちゃんと自分を見つめて自分の悪い所を反省し、頑張ろうとするところがある。

次男坊は、歳をとった時に、好きなことができる環境を作りたい、だからと言って、今の時間を、無駄にしないで忙しく楽しめる生活をしていると充実感があると言っている。

頑張れ、次男坊。

今年の夢。今年からのやるべきこと。子供はずるい。親をしっかり利用する。兎にも角にも、子供に頼らない、頼らせない生活をするぞ。

今年,、私は、65歳になる。年金をもらえる年であるがもらえるのは、一年後。

だって、12月が誕生日なので、昨年、64歳になったばかり。

だから、65歳の年金がもらえるのは、来年だ。

既婚者だから夫がいるのだけど、結婚した時から、家計簿は別。

光熱費、家のローン、食費は、夫だ。結婚した当時子供たちが4人いて、結婚は賛成してくれたけど、子供たちは私の所有するマンションで生活。

成した長男がいたこともあり、中学生、高校生の弟たちも、気を使うのは嫌だからと。

そのため、子供たちの生活費のため、私の稼いだお金は、夫との家計に入れないことで結婚をした。

当然ながら、私は二重生活。朝、5時起き、夫の朝食を準備し、マンションに行き朝食を作り弁当を作り、子供たちを学校に行かせ、自分も出勤。仕事から帰宅はマンションに行き夕ご飯を作り、20時に帰宅。夫の夕食。

夫は三交代の仕事をしていたので、夫がいない夜はマンションに行き、子供たちと過ごした。と言っても、私も、三交代の仕事をしていたので、結構、大変だった。今から思えば、よくやったなと思う。

だけど、自分が再婚することで、影響を与えずにできる限り、今までと変わらない生活をさせたいと思っていたので、苦にはならなかった。

今は、子供が社会人になったので、以前のようにお金が要らなくなったけれど、色々と、世話を焼くために、子供たちが成人しても、結構、応援をしていた部分がある。

 

そして、慢性腎不全が年齢とともに、(老化)少しずつ、緩やかに、血液検査値が上昇。それに伴い、今まで、できていたことがしんどくなったことと、お金が必要になったことで(退職金を当てることにしたため)看護師の仕事をリタイヤ。暫く、占いの仕事だけで、子供たちの生活を支えていた。

その後しばらくして、看護師の仕事は再会した、結果、定年まで働いた。

定年後、一年半は、パートで勤務した。この頃には、階段の上り下りをすると息切れがして、これは、検査に出るほどでなくても、やばいな、無理をしてはいけないと思ってやめた。

 

その後は、占いの仕事も、小遣い稼ぎ。後は、貯金で自分の生活費に充てていた。(夫は、私が仕事をしなくなっても、ガソリン代、車検代、医者代など、私にかかる費用は一切出さない)

これは、さすがに結婚している意味があるのかと。子供たちにかかる費用を夫に言うことはないけれど、私にかかる費用は、夫婦なんだから考えてくれてもいいのではと思うのだが、このままのほうが離婚するときに楽だなと思うので、まあ、いいかと思っている。ちょっと、腹が立つけど。

 

昨年三男が、「車検代を貸して」と言われた一応貸したけれど、11万円。

さすがに、痛い。きっと、返す気はないだろう。

私は、4人の息子たちにひもじい思いをさせたくない事、私のように子供の頃学用品を買ってもらえないような生活をさせたくなく、そして子供がやりたいと言うこと、塾に行きたいとか、他の友達と遊ぶものとか、とにかく、自分が子供の頃にできなかったことをさせてあげたいと、働いた。

慢性腎不全の持病があるけれど、4人とも、不自由思いはさせてこなかった。

今になったて思うことは、少しは、不自由な思いをさせたほうが良かったのかと。

まあ、私が泣き言も言わないこともあるが、さすがに、仕事をやめて、貯金だけでやりくりしているのに、社会に出て働いている息子がお金を貸してとは。

自分がその子供の歳の時には、再婚をして、二人目の子供を産んで、商売をして、働いていたけれど、他人、親含め姉弟達にお金を貸してと言ったことなどない。

 

そして、昨年からの、思いは、私が甘すぎると。

息子は、給料が少ないのに、デリバリーで、ジャンクフードを買って食べており、ゲームに、課金したり、衝動買いをしている。

私は、息子のの給料が少ないからと、食材をもって、食事を作ったりしていた。

 

でも、これは、結果本人には、良くないとわかってしまった。

子供はずるい。親をしっかり利用する。

特に私のように、毒親に育てられた人間は、そんな親にならないように、子供のために、奉仕をする。

 

昨年の8月に体調を崩し、死ぬのかと思ってから、ちょっとづつ考えが変わった。

私は困っても絶対に、助けてくれと子供たちに言わないだろう。

それなら、自分のために、頑張るべきだと。

貯金で生活をしている私が、働いている人間にお金を使う必要はないなと。

 

私には、夢がある。

叶えられないかもしれないけれど、頑張ることはいいことだと思っている。

 

沢山あるのだけど、一つは、旦那の親が、介護が必要になった時に、一緒に住むための家を持ちたいこと。これは、、隣の土地を買うか、今の家を売って、新たに購入するかだ。

今の旦那の家は、私たちだけなら丁度良いのだけど、義両親と一緒と言うことになると、狭い。

何といっても、犬一匹猫4匹が私のい家に入るから。

夫には、そのことを話をするが、今一つ現実的ではない。

私は、施設看護師も経験して、できればデイケアセンターは利用しても、家で最期を迎えさせてあげたいと思っている。施設に入所させたくないと。

自分の家族と最後まで、一緒にいさせてあげたいと。義両親は、とても仲が良いから。夫婦が、別々に暮らすのは望んでいないだろうと思っているから。

と言っても色々問題はあるのだが。

最大の問題は、自分の息子が結婚していることを知らない事。

私たちが、結婚する時の状況が、14歳年上、子供が4人と条件が悪すぎることと旦那と親の関係がこの当時、悪かった。旦那は、自分が離婚するときの両親の対応に不信感を持ってしまっていて、絶縁状態だったから。

 

今は旦那にこんこんと親孝行は親が生きている間にするものだと、理解させて、旦那が離婚した時の義両親の気持ちや、親のありがたみを数年かけて、わかってもらい、良い関係の修繕できている。

 

本来、義両親のことはどうでもよいかもしれないのだけど、旦那は兄妹の長男。

義父は当然のことながら、実家は息子にと思っている節がある。義妹は、県外に嫁に行っているため、盆正月に帰ってくるだけだ。

近くに住んでいる旦那が見るようになるだろうと、私は思っている。

 

この歳老いた両親の問題は、どうしても避けられないだろう。

 

だから、快適な私の老後生活を送るためにも、何とかしたいと思っている。

 

昨年から色々と考えているのだが、若い頃なら、就職して頑張るのだけど、慢性腎不全と65歳の壁は大きい。

また、他人のための無理して体を壊すのは一度きりでよいとも思っている。

できることは家で自分のスキルを使うことだ。

そう、占いの仕事を、今までのように小遣い稼ぎではなく、やることだと。

5年後を目安に、頑張ろうと決心している。

 

 

 

 

自分に誇りを持て.人生において、かかわった人たちに誠実に付き合ってきた人間は、ある程度の歳に人とかかわりたくない

インターネットで、検索をして、ある人のコメントを見て、感じた事。

自分に誇りを持てと。

ずるいことをしてはいけない、誰も見ていないとごまかしたりしてはいけない。

おてんとうさまが見ている、一番見ているのは自分だというよなお話の記事を見た。

私も「自分に誇りを持つ」と言うことは大切にしている。

それは、自分に正直であること、自信を持つことだとも思っている。

幼少期の環境で、嘘をつくことは、人としての信頼を裏切ることだと思っている。

この「誇りを持つこと」「自信を持つこと」もしくは今風に言えば、「かっこよく生きること」だ。

案外この「かっこよく生きること」は疲れる。

誇りをもって、自信をもって、生きると、依存されやすく、楽をしたい人や、利用しようとする人が集まる。

その中で、かっこよく生きるのはかなりしんどい。

自分に誇りを持つことは、社会のルールを守り、人間関係を大切にしと、他人への気遣いの多い事。

でも、人間関係において、誇りをもって、他人に接していると相手の思惑が見えたりする。

かっこよく生きようと思ったら、他人と関わるときは、ある程度の距離感を持つほうが、楽だと思う。

私の周囲の人たちは、特に、弱い人間(自分は弱いと思っている人)、仕事ができない人、何らかの劣等感を抱えている人が多い。

彼らは、自分達が弱いと言うことで、他人を傷つけ利用してもいいと勘違いしているのではと思うほどだ。

彼らは自分は努力せずに、「あなたはできる人だから」という。

「できる人」は、努力して、自分をそこまで成長させている人だ。

誇りとか自信は、やってみて、できない所を放って置かずに、自分で努力をしてできるようになった人が、身につけられる事だ。

自信を持つこと、誇りを持つことは、泣き言を言わない、弱音を吐かない、失敗しても、やり直す。

明るく言えばポジティブな人間である。

誇りを持つことはポジティブな人間になることだ。

誇りをもっている私なのだが、もう、いいんじゃないと思っていることがある。

何がと言えば、誇りと自信を持った人生を送ってくると、他人と距離を置きたくなる。

ようするにめんどくさくなるのである。

もう、自分のために、生きてもいいかなと。

「強い人」「できる人」「嘘がない人」「真面目な人」これらを私に言う人は、中には、なんていうのだろうか、被害者意識というのか弱いと言うことを武器に、攻撃をしてきている気がする。

人間強い人なんていない。最初からできる人なんていない。

自分が努力しても頑張っても、天才には追いつかないことだってある。

できる人の半分しかできない人だっている。

だけど、自分がさぼるわけでなく頑張ってやってみることで自信ができ誇りも持てる。

ずるい人は、やらずに、努力してできるようになった人を、攻撃する。

色々なことがある。人間なんだから、できないことはたくさんある。

その中で、自分に正直にやってみて、自分の限界を知り、頑張ったと自分を認めて褒めることができる人間が、人としての誇りと自信をもつことではないか?

なのに、何も努力くせずに、自分のプライドの感情だけで、開き直りともいえる言動をする人がいる。

世の中に弱いできないことを言い訳に、努力してる人に対して攻撃する人の多い事。

ある程度人生を送ってくれば、関わる人間も多くなる。

人生において、かかわった人たちに誠実に付き合ってきた人間は、人とかかわりたくないと思う気がする。

そして、誇りあり、自信のある人は、孤独でも何の問題もない。1人であることで孤独を感じることはない。生きてきたことへの誇りと自信があるから、おひとり様を楽しむことができるようだ。

 

 

 

 

愚痴は、ぐじぐじというから愚痴なんだ。グチグチと言っても、頑張る気があるから愚痴っているのだろうと思うことも大切だ。

愚痴、愚痴。愚痴は、ぐじぐじというから愚痴なんだ。

でも、愚痴って、いわないと、苦しくなると思う。

若い頃は愚痴っても仕方がない,自分の今の状況では。今を変えるには、時間もいるし頑張るしかないと思っていた。

だから、泣き言も言っていないし、弱音も吐かなかった。

だけど、最近私は、欲愚痴を言う。

それで、どうなるかというと、考えるのだ。

何が気に入らないから、愚痴や文句を言っているのだろうと自分を見つめる。

それで、ほとんどが、仕方がないとあきらめる。

だって、何度言っても理解しない人に行ったところで仕方がない、他人だから。

私は、旦那に対してのことで、愚痴を言うことが多い。

一番の原因は、旦那の記憶力のなさと、理解力のなさと、自分が気に入らないと怒るところ。

自分が失敗したり、できなかったことで、怒るのだから始末に悪い。

この人は、切れやすい。ただ、私を、怒らすといけないから、私が何を言っているのと言えば、しぶしぶ、我慢はする。

勤務先や、他人がいると、寡黙で真面目で、頼りになるように見える。

私といるときの旦那は、子供だ。

ちょっとしたことが気に入らないと怒る。

特に運転中は、もうと、私はいつも、他人んのことを考えたらという。

自分が、右折左折をしようとして、前の車が、いつまでもいかないと、イライラしだす。

最近は、問い合わせの案内も気に入らない。直ぐにオペレーションにつながらず、該当する番号を押してくださいとアナウンスに、表情が怒りモード。

そして、アナウンスを聞いていない、「4だよ」次のアナウンスも「4」だから「4」だよと言ったら「押した」という。もういちど「4」と言っているじゃない。

怒りモードでアナウンスを聞いていない。

そう、アクシデントがあったりしたときに説明をするのだけど、理解していない。

今回も、カードにおっくがかかったので、動連れ場良いかを話をしていたら、ちゃんと取引銀行でと話をしたのになぜか、取引のない銀行支店を言う。

「あのね、取引銀行と言ったでしょ。」

「東支店は、土日営業しているからと言ったのは、扱って言うのかなという話」

「今は、インターネットで調べてものの話をしていて、取引銀行と話をしたでしょ」

「何で、東支店に、行く話になるの?」

万事がこの調子で、話をちゃんとしているのに、わけの分からないことを言ってくる。

一番困るのは、これは忘れてはいけないというようなことや、これは大切だからと言っているのに全然、認識しなくって、「言ったでしょ、これは大事だから忘れないようにって」

そんなことが何度もあり、もう、私は嫌になってくる。

そして自分が悪いのに、偉そうな態度で、怒っているのだ。

話をしても返事をしない。

アクシデントを解決しようとしているのに、全然、わかっていなっくって。なぜこのようなことが起こったかを説明するのだけど、また、同じことをする。

50歳の大人なのに、大学を出ているのに、何のと思ってしまう。

今回のことも、クレジットで支払いをしているの事が理解できていなく、支払いを口座で落とせるから大丈夫と勘違いして、他のクレジット会社に支払いの変更になっていた。

旦那曰く「今までの口座で落ちますか」尋ねたら、カードが送られてきたら、「もう一度店舗に、来てください。その手続きをしましょう」と言われたと。

「あのね、その営業の人は、auカードとじぶん銀行の二枚のカードがくるっていったのでしょう?」

「銀行の暗証番号が違っていて、手続きができなかったから、auカードがきたら、銀行のカードの暗証番号がなくても手続きができると言った」

「それはクレジット会社の支払いを落とす銀行を、じぶん銀行ではなく、あなたが言う銀行で落としますよと言っているのよ」

「あなたは支払いを銀行のクレジット会社にしているのは、年会費が、無料になるからでしょ。クレジット会社を他のクレジットにしたら、年会費がかかってくるよ。」

「銀行のクレジットを作るときにその説明を聞いて、携帯の支払いを銀行のカードにしたのではなかったの?」

「それは困る、年会費を払うのは嫌だ。」

結果、暗礁番号を変える操作を、3回間違えて、ロックされてしまう。しっかりと、(通帳でしか入出金を通帳でしかしたことがない)しっかりとの暗証番号を忘れている。

15年間、一度も使ったことがない、作った時に、携帯電話の使用料金を払うようにしてから、カードを使わない現金主義者だから。

それで、銀行のクレジットカードの暗証番号を忘れた場合を調べたら、取引銀行で、できるようだったので、その話をしたら、私が、もうと思う展開になってしまった。

旦那に関しては、本当に、なんなんのこの人はと思うことが、多くなってきた。

これって、俗にいう老人化ののだろうか。

元々短気だったのだけど今ほどひどくなかった気がする。これほど、物事の理解が、ないなんてこともなかった気がする。

貧乏ゆすりはひどくなっている。イライラすると、貧乏ゆすりが始まる。

それを見ている私は、凄く嫌な気持ちになる。

一番いやなのは、暴力的になるのだ、ドアを乱暴に閉めたり、物を置くにしても投げたり。

ものに八つ当たりをするのだ。

自分の失敗で起きた子田なのに反省するどころか、当たり散らすから。

他人の前ではしないのだけど。

側にいる人を不愉快にして何が楽しいのかと思う。

謙虚さもない。いつも解決するのは私なのに。

ずっとこの調子何だろうか?

私のほうが14歳も年が上だというのに、あんたのほうが先にボケるのじゃないのと思っている。

この歳になるとイライラした生活はしたくない。

今年も、どうなることやら。

まぁ、それでもこうして文章にすれば落ち着くので、グチグチ言いながらでも、側にいてあげようと思う。

度を越したら、別れればいいのだから。

別れるのはいつでもできるから、だって、この旦那がいないと生活ができないと言うことはないから。

自分の思うように生きるには他人に依存しないことだ。

生きると言うことは、誰かに依存することではない。この考えが良いかどうかはわからない。というのもこの考えがあるので、二度も離婚している気がするから。

自分の人生だもの、後悔のない人生を送りたい。

グチグチと言っても、頑張る気があるから愚痴っているのだろうと思うことも大切だ。

同僚で、もう。辞めると愚痴ってい折るジトほど仕事をやめない、止めるのは愚痴も岩に出仕事のできる人。聞き理をつけて、止める人が多い。辞める、止めるという人は、自分が他に行っても、働けないのを自分が一番知っているのではと思う。

 

 

 

 

 

 

自分の人生の中で、心が落ち着くこと。

今年も早いもので、もう1月7日。

旦那の仕事の都合で、初詣もないと言っても、昨年から、初詣は、行かない。

信念はの神様のあいさつは、恵方詣りにすることにしている。

そのため、2月4日の恵方詣りが信念の初もうでの変わりのつもりなのだが。

私は、出雲大社に、行きたい。

昨年はなんとか行けたのだが、夫が、雪で向こうは危険だからと、2月はやめようと、提案。

そのため、今年は春分の3月に、行こうと。

実を言うと、年末にお礼参りの恵方詣りを計画していたのだが、昨年は雪が多く、息子も休みを合わせてとっていたが、中止。

はぁ~、お礼参り行けなかったなと。

気持ちの中で、3月の恵方詣りに昨年のお礼と今年のお願いをしようと思っているのだけど。

地元の750m離れた神社仏閣を探したほうがいいのかと思うのだけど、やっぱり、出雲大社に行きたい。

心の中で、「今年はありがとうございました」と。昨年は終わりました。

信仰心というのか、宗教には興味はないのだけど、神様に感謝することを忘れたくない。

神様はいると思っている。

子供の頃から、不思議と神様を信じていて、キリスト(子供にはキリストの話は、分かりやすい)に興味があり、協会に行ったりしていた。

だから、聖書や、お釈迦様の本などをたくさん読んでいた。

でも、大人になるにつれて、キリスト、お釈迦様等の宗教に、興味がなくなった。

でも、神さまはいるという気持ちは、強くなって、私の中で、日本人であることが神様が守ってくれるという気持ちが。

八百万(ヤオロズの神々)。自然の中での神。

貧乏神とか、ちょっとどうなのと思う神様もいっしゃるけれど、その神様も、自分がちゃんと生きていないという暗示だ。

ちゃんと、自分の生活を頑張りなさいと気付かせてくれる神様だと思っている。

トイレの神様は、奇麗にすることの恩恵をちゃんと、感じる人は多い気がする。

この歳になって、日本の神々のことを知りたいと思っている。

神々のことを知ることは、感謝することで、自分の人生が、なぜあるのかとか、自分とはが、見える気がする。

そして、心が落ち着く。

 

 

2022年を振り返る。今年は、凄く早く一年が過ぎた気がする。ウクライナとロシアの戦争が始まり。コロナ感染、ワクチン接種。安倍総理の襲撃事件。

2022年を振り返る。

今日は、27日。クリスマスの飾りを片づけて、正月の飾りを出した。

今年は早めに大掃除を済ませたから、年末は少しゆとりがある。

今年は、凄く早く一年が過ぎた気がする。

2月に、毎日のニュースで、大丈夫だろうか、何でロシアは、侵略をするのだろうとか考えた。

自国の防衛にも、興味がわいた。

コロナ感染、義兄が、コロナ感染にかかったり、ツイッターで、ワクチン接種をしないことを発信したり。

4月からは、友人がミルクボランティアをすることになり、その子たちの里親募集に関わり結局、息子が飼うことになり、お世話を、わたしがすることに。

8月には、体調を崩し、腎臓が一時的に悪化。10月まで、しんどい思いをした。正直体調が悪いときはこのまま死ぬのじゃないかと思った。もしくは、透析をするようになるのではと。

4月から6月までは、知人からの連絡で、透析になるかまも知れないと、色々な情報交換をして、関わりこれもきつかった。

台風のおかげで、隣の空き家の屋根が、うちの家に崩壊してきて、隣の人に連絡をつけるのに町内の人たちが協力してくれて、隣近所の方の(猫の脱走時にも)親切に感謝したり。

気づけば、今年は、猫で始まり猫で終わる一年だった。

春から、子猫二匹の世話で、やれワクチンだ、去勢、避妊手術だとバタバタし、その間に、旦那が、可愛がっている猫を脱走させ、保護するのに、9日間。

その間の心配をする旦那が、うっとうしかった。心で、あんたが二が明日からだろうと。

12月は、次男が飼っている14歳8か月の猫が、脱水と貧血で、点滴に動物病院に毎日通院。この子はかわいそうに、飼い主の息子が体調を崩してしまい、世話ができなかった。兄弟で、住んでいるのだが、長男は、三交代の仕事をしているために、あまりお互いの生活がわからない。

次男は、兄が声をかけてくるのを、めんどくさがるので、兄も、知らん顔。

そのため、次男がまさか体調が悪くて、家にいると思わなくて、猫に餌をちゃんとやっていると思っていた。

要するに、車があるから、家にいる。だから、猫に餌をやっていると。

急に、寒くなったこともあり、寒さのために、あまり動かずに水をのまず、餌がもらえないから、余計に弱る。

猫には、私がたまに行けば健康管理とまではいかないけれど、長男に、次男がいない時は餌をやるように言っていたから。排泄の世話も長男がやっていた。この子は糖尿病があるのであげすぎないように言っていたこともあだになり衰弱。

私が子猫(三男の家)の世話で、時間を取っていたため、次男の猫は兄弟に任せていた。

次男から、「ハルが調子が悪い」と言われて、行った時には、ハルはがりがり。体重が、2キロ弱。もうびっくり。

何でと事情を聴いて、あきれるしかなかった。

次男は、自分が起きれないから、兄が餌をやってくれていると。兄は弟がいるから、世話をしていると。

猫にとっては迷惑な話だ。

その猫のハルも、無事に体重が増えてきて、毎日の通院はなくなった。

しっかり食べれるようになり、一安心だ。

次男は、仕事が繁忙期になると、帰れない時もあるため今回、ハルのためにスマホで操作できる自動給餌器を購入した。

「これで帰れない時は餌をやれる」かなり気にしていたのだろう。

兄に、排泄の世話をお願いしていた。というのも、今ハルのゲージは、次男の部屋に移動しているから。

私からすれば、次男がしなさいよと思うのだが。

ハルは、次男が、生まれて間がない野良猫のハルをもらってきたので、必然的に次男の猫。でも、ハルの世話は基本しない、無責任な奴だ。

長男が、排せつ物の世話をずっとしている。

今回ハルが体調を悪くし、うちに連れて帰ろうかと思ったけれど、ふらふらしながら次男のベットに行き、腕の中に納まり寝ているのを見たら、この子はやっぱり次男の猫なんだなと思い止めた。

猫に始まり猫で終わった一年、猫たちそれぞれ色々あったけれど、今はみんな元気。

来年も頑張って、行こうと、今年を振り返って、思う私。世界情勢に大変興味を持った年でもあった。政治の世界も、安倍総理のことがあり、いつもの年以上に、興味を持った。ツイッターフェイスブックにも、たくさん投稿した。

自分の世界が、広がった気がする。

しかし、今年は、やろうと思ったことが全然できていない。

来年は今年やることができなかったことをやるぞ。

 

姉との会話で思うこと。記憶違いをする人達。

姉との会話で思うこと。

「弟の子供は、双子だよ。」

「えっ、姉ちゃん何言ってんの。弟の子供は、二人いるけど、双子じゃないよ。次男は、うちの子供と同い年だよ。」

「うそ~!双子だよ」

三回ほど、同じことを繰り返す。

決して、姉がぼけているわけではない。

本当にそう思っているのだ。

まあ、弟の最初の結婚の子供たちと、接点がないこともある。

「何言っとんよ。大阪の妹が2003年に、うちに来た時に、姉弟で、集まった時に、弟の嫁が、子供を連れてきていたでしょ。あんときに、二人、長男は、弟にそっくりで、次男は嫁にそっくりと話をしたじゃない。」

「あ~、そうだった}

弟の最初の嫁とは、接点がないから。

私たちは、親戚同士で、集まることもないし、姉弟の付き合いもないこともある。

結婚をすると、お互いの連れ合いと余り合わなければ、付き合いもない。

姉と話をしていると、なんだか、思い込みが多いのかなと思ってしまう。

私たちは、母親が違う姉妹がおり、合わせると6人姉妹なのだが、姉は、自分の上に、腹違いの姉がいることは忘れている。(父親が、籍を入れずに、女の子がいる)実際には、私もあったことはなく、母親から、聞いたことがあるだけだ。

それでも、姉がもう一人いるのかと思って大人になった。

写真でしか見たことがない。それも、子供の頃の写真だから、今の姿は知らない。

随分前に「ねえ、私たちって5人姉弟だよね」

「え、突然何?」

「占い師の人に、6人姉弟ですよねと言われたから。違いますと言ったのだけど。」

「忘れてる?うちらのお母さんと一緒になる前に、お父さんに、子供が一人いるって、お母さんが言っていたじゃない。」

「そうだった?」

何でだろうか。

姉は、自分とかかわらないことや、興味のないことは、覚えていないみたいだ。

私のことは最近「あんたは、体が、弱いから、子供の頃から。未熟児で生まれたから、虚弱体質なんよ」という。

私としては、自分が弱い子供だったという認識はない。

生存していた母と今は姉が言うから、ふ~ん、私は、虚弱体質なのかと最近思う。

何となく、子供の頃よく熱を出していた気がするが、食べるものも食べさせてもらっていないから、丈夫に育たなかっただけじゃないのかな。

子供の頃から弱い弱いというから、最近思うことは、そんなに弱い子供なら、本人にも自覚させればよかったのにと思う。

何でも我慢しての幼少期。

まあ、いいけど。おかげで非常に頑張り屋の私に育ったから。

それにしても、人は色々なことを、自分に都合よく改ざんして、記憶の中にしまうものなのかな。

私の三男坊もそうだ。

とあるレストランに行ったことがあるという。誰と行ったかは忘れている。

私は、そのレストラン、家族で行ったよと心で思う。それも、弟のフォット婚をした後に。

もう、息子が、思いこんでいるというか、私が一緒に行ったよと言っても違うと否定するのは見えているので、黙って聞いている。

三男坊は、記憶違いというようなことがよくある。

それ違うよなんて言ったら、非常に怒るし、めんどくさいから言わない。

姉、旦那、三男坊と、よく似たいるともうのは、自分が覚えていたくないことは改ざんか、忘れてしまっている。

旦那に至っては、最初の結婚式の時の元嫁が、着物を着た事を忘れていたり、元嫁との出会い以外は覚えていない。言いたくないと言うことではなく。本当に忘れているのか印象に残っていないのか。結婚式の時の着物に言った手は、自分紋付き袴を着なかったの?着た。だったら相手は着物を、着たよ。そうか。というような会話をした。

自分に関して、関わりがあっても、嫌なことは忘れる。

身近に、三人も、子いう人たちがいると、人って、案外いい加減だと思ってしまう。

姉と話をして思ったことは、だから、お金を貸してあげても返してくれないのは返し事に記憶が変わっているのだろうなと。

弟も、お金をかりたことをわすれてしまっているのだろうな。

それにしてもだ、自分にとっては、大切なことでも、相手が忘れてしまっていたらどうしようもないなと思った。

虐めによく似ている。嫌なことをされたり、自分がその時に仕方がないなと行動したこと(相手のために)を、忘れられるというのは、本人たちは、被害がないからだなと思う。

他人に迷惑をかけたとかは、覚えているのだろうか?

それとも、親だから、姉妹だからで、忘れているのだろうか。

私の場合、親、姉弟で、嫌なことというか、あきらめていることは、お金を貸してあげて誰も戻してくれない事。親に至ってはなくなっているのでどうしようもないが。

姉の話の中で、「できないことはできないといわないと」と言っていた。

姉とはしばらく疎遠だったけれど、交流が再開してすぐに引っ越し費用を貸してと言われて断ってからは借金の話は出てこない。

弟も、二度目の再婚で、出産費用を貸してと言われた時に断ってから、借金を言ってこなくなった。

子供の頃から、お駄賃(近所の子守したりお使いをしたり)を貯めていたので、私に良く貸してと言っていた姉弟。大人になっても、私に言えば貸してくれると癖になっていたのかもしれない。

大人になって額も多くなったが、貸す私は、働いて節約して、何かのためにと貯金している、もしくは額が多ければ、何とか調達して、貸していたのだけど、当の本人たちは、わからない。

なめられていたのか、利用されていたのか、簡単に金のなる木だとでも思われていたのかわからないけれど、さすがに、姉の「できないことはできない」というという、言葉をどや顔で説教じみて言われたことにはちょっとむかついた。

姉弟、親だから、他人ではないのだから、困っているのなら、少しくらい無理をしてでもと、思っていた私が、ちょっとかわいそうと情けないなと思ってしまった。

過去のこと自分に都合の良いように、解釈してしまう人たちには気をつけようと、この歳で納得した姉との会話だった。

と言っても、今は貸してあげようとも思わないし、助けようとも思わない自分がいる。

貸してあげたお金を戻してくれないのは、嫌だけども、姉弟、親にしてあげたら、貸してではなくちょうだいなのだと考えるようになったから。

親にも、姉弟にも、一度も戻してと言ったことはないのだけど。

それにしても、簡単に人にお金を貸してという人は言ってみる。貸してくれたら儲けなのかな。

自分の周りには、自己中心な人が多かった、私が結構お人好しなのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

今年も一年が終わろうとしている中、次男との会話。、子供たちがこの一年、生きてこれたことに感謝だ。一日を生きることで、新しい明日が来るから。

今年も、あっという間に12月半ばを過ぎ、残すところ13日。

あ~、昨年と同様に、しようと思ったことができていない。

2週間足らずでは、できない事ばかりなので、できなかったことの理由を考察して、来年はこそ、目標クリアと行こうではないか。

しかし、今年は色々とあったな。そんな中での一日の出来事。

ごく最近のの次男との会話。

「母さんさ、俺らのことを信用する。子供たちの幸せが自分の幸せというけど。それってさ、子供にとっては、親の愛情をを逆手にとって、搾取し放題と思わないか?」

「う~ン、其れでもいいんじゃない。だって、他人様に迷惑をかけないことだしね。母さんはね。自分が子供の頃に親にしてもらってない事を、あんたたちにして、自分の子供の頃の夢をかなえている所もあるの。」

「子供の頃に色々我慢して、いつもその日の食べるもののことを考えて生きていたから、貧乏で、親にわがままも言わなかったし、何もしてもらっていないから。子供の頃、夢やしたい事を考えるより、どうしたらお腹をすかさない、欲しいものが買える生活はどうしたらできるか、其れって、早く大人になって働くしかないと、思っての生活だったからね」

「だから、あなたたちがお母さんを必要として、それが利用されているだけとしても、いいのよ。お母さんだと思ってくれているからこそなのだからね。」

「それに親をだますことなんて、親はわかっているよ。もう、まったくと思ってってしているもの。実の子供だから、騙されているふりをしているだけだよ。さすがにこれはと思ったら、ちゃんと言うよ。言わないのはまだ、母さんが頑張れるからだよ。」

「頑張れなくなったらしてあげたくてもできないからね。」

「あなたたちがもっと年を取って、母さんが亡くなった時に親の気持ちがわかればいいのじゃないの}

「あなたたちは、私の子供なのだから、甘えることができるなら甘えればいいのじゃのじゃないの。できない時はできないのだからね。母さんだって」

長男、次男は、私が無理をすることが多い事や、下の弟達は、母親の苦労を知らなさすぎると思っている。

私にとっては、どの子も、長所もあるし短所もある子たち。どの子に対しても「もう、本当にもう!」と思うことはある。

だけど、それらを含めて、この子たちが、私を母親と思ってくれていることが嬉しいし、母親をしている自分が幸せだと思っている。

今年も一年が終わろうとしている中で、子供たちがこの一年、生きてこれたことに感謝だ。一日を生きることで、新しい明日が来るから。

 

歳をとると、やっぱり気になることは死後の世界でしょうか?死ぬということはどいうことだろうと。 この歳になってもわからない。

歳をとると、やっぱり気になることは死後の世界でしょうか?

天国、地獄、あの世と色々なことが、巷では、話に上がる。

霊はいない。科学的に証明されるという方も。

私もやっぱり色々と考える。

占いカウセラーなどという仕事をしているせいもあるが。

自分の親や親しい人、子供の頃に良く見ていた俳優、タレントの死。

やっぱり死んだらどこに行くのだろうと思う。

私は今は生きているけれど、明日の朝生きているとは限らない。

ついさっきまで、動画を見ていた私、一時間前には、息子の家から帰ってきた私。

時間の流れを、不思議な気持ちで感じる。

説明がつかないのだけど、こんな気持ちの時は、子供の頃の私、父や母がいたころの私の時間はどこに行ったのだろうと思う。

死ぬと言うことがいつか来るのだけど、自分の事なのにわからない。

人が死ぬ場面に、看護師という職業柄、遭遇してきたけれど、さっきまで、生きていた、さっきまで、息をしていたのにと何度思ったことか。

死ぬということはどいうことだろうと。

この歳になってもわからない。

死ぬと言うことが怖いという気持ちはない。何というか、不思議な未知の世界だ。

霊能者が、ひどい死に方をした人を、浄化して、今は大丈夫ですとか言うのを聞いたことがある。

死んだのがわからない人がいるとも。

心霊スポットとか。

幽霊とか、怨念とか。

生きていれば、意識と言うことなのだろうけれど、死ぬと、霊というみたいだけど。

この霊という物を否定する人もいる。

重体だと命に係わる状態で、ほぼ、意識がない状態だ。意識が戻らないと、危ないというようなことを医療の現場でいう。

この意識とは何かといつも考えていた。

霊は、存在しないと言う人は人の意識の説明をしてほしいと思うことがある。

植物人間で、意識がない状態、脳死と言うことで、意識が戻らないから死。

この違いは何と思うことも。

植物人間の方は、脳死ではないから生きている。

脳死の方は、なぜ死んでいるとなるのだろうか。

死とは人間の生命活動ができない事としたら、脳死でも、体は生きていると言うのに、それは死と言うことになるのか。

死後の世界はわからないから、怖がる人もいる。

私は生きているので、「死」は会たくても会えなくなることかなと思うようになった。

関わった時間があり私の中に残っている。でも、死んでしまったら、あえなくなること、話ができなくなること。

私の願いは、自分の子供たちが幸せな人生を送ってくれることだけど、これは死んだら、忘れるのかな、それとも、身体がなくなっても思いが残り、子供たちを見守ることができるのかな。

ウクライナの戦争で、痛い思いや怖い思いをして死んでしまう人がいる。

その人たちは、死んだらどうなるのだろうと思う。

悪いことをしたら、その報いを受けるというけれど、それって死後のことだろうか。

不思議な世界を見たりすることはないけれど、霊能者たちは、本当に死後の世界はある説明できる人がいるのだろうか。

ある霊能者は、亡くなった人が、今も側にいますよと言うことを言われる人がいる。その人たちは、どこに行くのだろうか。

最初の旦那が亡くなった時に、不思議なことに、心霊写真なるものが取れたことがあった。

不思議と、側についているんだと感じた。45日が過ぎてからは感じなくなったので、霊って、本当にいるのだなと思った。

だからと言って、いつもいつも、霊を感じるわけではない。

一緒にいたかったのだなと思った。

成仏というのだろうか、どこに行くのかわからないけれど、死んだら行くところがあるのだなとその時に思った。

そのせいかもあるのだけど、「死」という物は怖くはないけれど、自分の「死」が突然に、ならなければいいなと思っている。

不思議なものだけど、精神病院で勤務している頃に、患者が、「お迎えが来る」と言っていたことがあり、まだ元気なのに、なぜそんなことを言うのだろうと思っていたけれど、その患者は、一カ月しないうちに亡くなった。

医療に携わっていると、本当に自分の死期を悟る人がいる。

特に癌患者さんから、「ありがとうね、お世話になった」と言われるのが一番つらかった。

人は、自分の死期を感じる人もいれば、突然の事故などで亡くなる人もいる。

私はできれば自分の死期がわかるような人生の終わりを迎えられたらいいなと思っている。

できればちゃんと、「幸せな人生だった」と子供たちに伝えてなくなりたいと願っている。

 

 

 

 

老春時代を生きている私。 自分の生きてきた人生を、認めること。自分の今までの人生で頑張ってきたことの結果が、幸せにつながっていると実感。 だから今は、ゆっくりと何かを見つけて進みたい。 そして人生は自分で自分を認めてあげることだと思う。褒めてあげてもいいじゃないか。

老春時代を生きている私。

自分の生きてきた人生を、認めること。

最近、思うことは、慢性腎不全になって、で来ないことが多くなったことで、若い頃のこと、できていた頃のことを、考えると、「私ってよく頑張っていたなぁ」と思う。

貧乏で、十分な学用品も買ってもらえず、食べるものもなくてひもじい思いをした子供の頃。

その幼少時代の経験から、食べられる生活、ほしいものを人並みに買える生活を望んで頑張って生きた私。

根なし草の様な両親の元では、自分のことは自分で守らないといけないと。

他人の信頼は自分で作るしかないと。

あの親の子供だからと言われないように。

おかげで、他人には親切に優しく、いつも笑顔で元気よく後、身についた。

貧乏だからと卑屈になることなく、環境に負けることななく大人になった。

母親になり、自分と同じ思いだけは子供にさせたくないと、頑張った。

社会で生きることを頑張り、他人に迷惑をかけないことを念頭に、生きてきた・

誰も頼らず、泣き言を言わず、前だけを見ていた気がする。

そんな私が還暦を過ぎて、持病を抱えて、のんびり生きている。

今のこの時間は、神様からのご褒美だと思っている・

8月に体調を壊した時は、このまま腎臓が悪化して、透析になるのでは、寿命が短くなるのではと、あるいは死ぬのではないかとさえ思った。

まぁ、粘り強い私なので無事に復活した(良かった。)

ゆっくりしていると、自分の人生を振り返る。

頑張ったと自分で認める中で、何を頑張ったのか何を、達成できたのかと思う。

それは、食べられ生活をしていない事、普通に自分が欲しものを買える自由。

他人にさえ迷惑をかけないのであれば、他人に関わらなくてもよい鋳物環境。

社会というか仕事を開いていた頃は鎧をかぶっているようなもんだった。

他人を傷つけて生きたいる人も社会にはいた。

学校、会社、と集団が集まる場所は、善悪がはこびる場所だ。

被害者ぶって他人を傷つけるもの、権力をかざして他人を傷つけるもの。

そんな中で、子供を守る育てることが私の一番大切なことだった

子供時代、どうしようもないことで苦労させないように、親として守ってあげることは、幸せな親でいることだった。

私はいつも嘘をつかないと言うことを守っていた。親を信用できない子は他人を信用できないと思っていたから。

これは自分がそうだから。

親がいい加減で嘘つきで、自分のことしか考えない親だった。それが反面教師となって、正直な親であろうとした。嘘は子供を傷つけるとわかっているから。

離婚をする時もきちんと話をした。自分の人生を大切にしているからの選択だと。

両親がそろっているのは当たり前だけど、人間として向き合えない尊敬できないことは私にとっては、一緒にいる意味がない。

人として、自分を人生を大切にしていることも子供に教えると言うことを、大切にしてきた。

今の自分の立ち位置に、満足している。

子供の頃、学用品を買ってもらえなくて、「忘れました」と言わななければいけなかったみじめな私。だからといって決して、親にわがままを言ったことはなかった。

2歳年上の姉は、学用品もちゃんと買ったもらっていた、給食費もちゃんと持たせてもらっていた。私が、親に差別をされていたのではなくて、単にお金がなくて、だけど姉は、きかない人だったから、我慢する私にお鉢が回ってきていた。これは結構つらいものだった。

親にしてみれば、我慢をして何も言わない子は助かったのだろう。

そんな生活から、自分が働きだしたら、抜け出せた。

働いたら自分でほしいものが買えるから。

父や母は相変わらずな生活だけど、私は両親や姉弟とかかわらない生活をしていた。寮に入っていたから。

生きることは、自分が強くなることだ。

この歳になって、自分の人生は幸せだと思っている。

他人とかかわらなければトラブルもない。

私はは本来お節介な人間だ。だから困っている人を見たり相談されると力になろうとするし、何かできることはないかと考える。

だけど、経験上から、普通に生きていれば困ることはない。

困っている人は本当に困っているわけではないと思えるようになった。

そして、他人のことを思ってあげてもその人の意思にそぐわなければ、手ひどい思いをさせられる。

強い人だ」と言われるが強いわけではない、他人い依存せず、迷惑をかけないようにしているだけだ

迷惑をかけないと言うことは、不快な思いをさせないことも入っている。

だから、他人のことを詮索しない。

私が必要であれば、力を貸すが、私自身は、他人に力を借りることはない。

私は、なぜかわからないけれど、弱い人間や、利用しようとする人が集まってくようだ。多分、強い人というイメージがあるからかも知れない。

そう、ずるい人間が、偽善者を装って、なんども、おひとよしだから、力を貸そうとする。

だから他人とかかわるときは、自分がしたいからしていると思うことにしている。

人は喉元を過ぎればその時のことを忘れるだから、何も期待しない。望まない

人付き合いに関しては、親を信じられない環境下で育ったため、他人はもっと信じられないという感覚がある。特に子供の頃は大人を信じない子供だった、顔にも態度にも出さなかったけれど。

だから、周囲の大人は私を素直で家の手伝いをするいい子として見ていた。

ブログを書いたり、色々な人のツイッターを見たりすることで、日々を過ごす今の時間が貴重だ。

若いころと違って、ゆったりと流れていく時間。

必死になって、強い自分でいる必要がない、自分のことだけを考えて生きている時間。

家族の為、親の為、人の為、そんなもので縛られない自分がいることに、最近気づいた。

人とのかかわりがなくても平気な自分がいるし、下手に関わると、嫌な思いをするだけで何の得にもならない。

ただ寂しいくないのはそれなりの訳もある。

それは子供達。

自分の人生の中で、子供達がとても大切で、生きる糧だった。育てること、母親でいることに頑張れたこと。これが今の私の幸せをくれている。

子供たちが、私のことを母親として大切に思っていることが感じられるから。

頑張ってよかった。この子たちの母親に慣れてよかったと思える自分がいる。

自分の今までの人生で頑張ってきたことの結果が、幸せにつながっていると実感。

だから今は、ゆっくりと何かを見つけて進みたい。

そして人生は自分で自分を認めてあげることだと思う。褒めてあげてもいいじゃないか。

頑張って、生きてきたこと他人に迷惑をかけずに頑張ってきた人生を。

 

健康、「慢性腎不全の日常生活」食事制限はあるけど、結構好きなものを食べます。あ寿司も焼肉も食べに行くよ。

健康、「慢性腎不全の日常生活」

9月に、旦那が血圧が高いことを気にして、「アマニオイル、トマトジュース、納豆」を毎日食べる事を、実践して、感じている事。

血圧も、以前は、上が130台になること、下も80台を超えることがあったのだが、超えなくなった。これはいいのかもと私。

そして、もう一つ。

最近、朝晩が冷え込んできたのだけど、朝寒くない。

スッとベットから、降りて一階のキッチンに。

血液の循環が良くなったのだろうか?

先日の診察時に、「魚は好きなのだけど、腎臓が悪くなって、食べると上がってきてウェッとなるので、オメガ3が取れるアマニオイルを毎日食べている」。

先生は「DHA,DPE.オメガ3は、魚からだね。腎臓が悪くなると魚が食べれなくなる人が多いよ。だから、サプリメントを使う人もいる。」と。

実を言うと私も、腎臓を悪くしてから、食事制限があるし、魚が食べれないしでサプリを、飲んでいたことがある。

月に1万円は超えていた。ビタミン、鉄剤、亜鉛DHA,DPEと。でもあまり効果を感じられなかった。

定年退職をして収入が減ることもあり、止めた。

16時間ダイエットも、週に2日で継続中

こちらは、ダイエット目的というよりも、身体の中の余分な、蓄積物を出すつもりで。

もともと、食事療法をしているので、食べすぎると言うことはないのだけど、たまに、焼肉やお寿司(刺身は食べれる)が食べたくなるので、こいうときの調整も含めて。

「アニマオイル」は、朝のお通じも、良い。以前は一日おきに、便秘薬(2錠飲むのを1錠だけ)を飲まないと、排泄がうまくいかなかった。

それが、「アニマオイル」を飲むようになって(トマトジュースに、5ccを入れて飲む」毎日朝、排泄がある。

もうこれは私にとっては、嬉しい。

下剤は、夜飲んで朝、排泄があるわけでなく、いつ出るかわからない。そして、出るまでのお腹の張りとグルグル感。若干の腹痛はあるし。

その苦しみからの解放。最高ですよね。

排便は少しの油が必要と、何かの本で読んだけど、油飲む訳にはと思っていたから。

さてさて、ダイエットを頑張っていたのだけども、8月に体調を崩して、体力をつけるために、16時間ダイエットと食事療法を緩めたために、体重が、2キロ増えた。

それで、16時間ダイエットをしようと思ったけど、毎日できない、更に軽い運動もしていたのだけど、これも、しんどくてできない。

これはかなり、やばいなと。

無理をしないようにしないといけないと考え直し、体調を整えることを考える。

そして運動をしなくても体重を落とせる方法がないかなと。

リンゴ酢ダイエットなるものを発見。

元々、食事療法をしているから、この方法ならいいのではないかなと。

運動はできるときに、もっと、体が楽になった時にすればいい。

リンゴ酢ダイエットは、三男坊が、運動では体重がこれ以上は落ちない。内臓脂肪は、運動では落ちないと医者から言われたと。

私の心の声は(あんたは食生活が全然できていないから。マクドナルド、ピザの配達、菓子パン、インスタントラーメン、ペットボトルの砂糖の入ったジュース。生活省看病まっしぐらの食生活。それで痩せようと。もっと、自分の生活環境をかえないと。思ってはいるけど言わないけど)(三男坊は、こだわりが強いから下手に言うとしない)(炭水化物の食べすぎもある。)

そんなこともあり、リンゴダイエットなるものを三男坊に勧めた。と言っても用意して飲みなさいよと強制だけど。自分で買ってまでしないからこの人は。

さてさて、そんなこともあり私もお付き合いで、一緒に始める

私は純リンゴ酢15㏄+酢150ccかける2を。一日に100ccを食事中に飲む。

おちょこに入れて、ちょっと、お酒を飲むような気分で。

11月4日から飲んでいるのだけど、体重が1キロ落ちた。まだ飲み始めて6日目。

お腹周りがすっきりしてきた。

もう一キロ減れば、体調を崩す前の体重になる。

食事療法ができているから結果も早く出たのだろう。

運動は、できるときに、ラジオ体操、ストレッチ体操のみ。

そして、水分摂取は、ショウガ水。寒くなってきたので、体を冷やさないために

納豆を食べるときは、たれは使わない、代わりに胡麻を小さじいっぱいかけて食べている。

食べるものでよいというものをどのようにして取り入れるかが、私の課題。

胡麻は美容にも良いし、栄養も高いので、取りたいと思っていたのだけど、胡麻を、そのまま食べるのはちょっとできなかったので、納豆にいれたらどうかなと。

納豆はたれなしでずっと食べていたので、胡麻の風味で、とてもおいしい。

リンゴ酢は、炭酸で飲んでいるのだけど、飲むと、満腹感が出るみたいだ。

人それぞれだろうけど、飲めるなら、食事を食べる前か、少し食べてから飲むと胃に良いと思う。

まとめると。

朝 フルグラにバナナ半分+ヨーグルト。

トマトジュース100cc+アマニオイル5cc。

リンゴ酢10cc+炭酸水100cc。

昼 わりとしっかり食べる。特にこだわるのは野菜を食べる。

リンゴ酢10cc+炭酸水100cc

夜 納豆+胡麻小さじ一杯。炭水化物なし。おかずだけ。

一日に水分を、1.5ℓ(リンゴ酢の水分はカウントしない)

食事時間は、朝は旦那に合わせるが、夕は、早めに食べている。17時ごろまでに食べる。

旦那は仕事から帰ってきて腰椎体操をするので、、夕飯を食べるのが遅くなるので、一緒に食べない。

食事に関しては、朝は決まったものを食べる。昼は比較的に、しっかり食べて、夕は、少なめだ。

1か月に2~3度は、寿司や焼肉等を食べに行ったりする。

昼は旦那と、弁当を買ったりして食べる。

一日の食べる量を、考えて食べるので、今までに、食事療法で失敗がないようだ。

血液検査も、優等生。

我慢できるところは我慢して、食べたいときは食べる方式だ。

といっても、無茶食いをすることはない。

実際には、お寿司にしても、スシローやくら寿司で、5~6皿くらいしか食べない。

食事療法をしていると少食になる。

何かを食べたら、夜に調整するから。丁度良い。

先生からもメリハリをつけることで、食事療法は、成功すると言ってもらえている。

血圧管理、体重管理も、きちんとしないといけないと思うから、チェックは怠らない。

何といってもすべて自分のためだから。

美味しいものを食べて、体調管理をして、老春青春を楽しむべし。