老春時代の満足生活情報発信局(お金と暮らしと占いと人生物語)

還暦を迎え、人生を心地よく過ごし、もっと魅力的人間になる「楽しく楽しく生きる」ヒント探しブログです

私の癒し、自分を幸せにするために。

私の癒し。

 

私は、子供たちの写真や結婚写真などを、持ち歩いている

 

渋滞でイライラした時や、嫌なことがあった時、夫と喧嘩をしたときなど、ネガティブになった時に見るためと。

 

親バカなのですが、子供を見せびらかすために。子供自慢って、他人にはどうでもよいかもしれないけれど、そこはお構いなく、気にせず。

 

子供の写真って、成人すると一緒にとること非常にに少なくなる。

 

私の家では、次男が、末っ子に対して、非常に冷たいので、4人がそろうことは、ほぼ皆無。

 

最近そろったのは、私の還暦の時。次男坊が、私が喜ぶだろうと声をかけ、プレゼントと色紙を届けてくれた時。その時も、次男は「母さんが喜ぶと思って、だからといって、これからも仲良く一緒はないよ」と、くぎを刺された。

 

過去をやたらに振り返る必要はないけれど、「幸せな気持ち」を呼び起こすものは大切だと思う。

 

私が子供たちへの愛情が、強いのも写真から子供の愛情を感じることができるからかも知れない。子供たちの無邪気な笑顔を、見ていると、この子たちの母親になれてよかったと心から思うのである。

 

人は、辛いときに幸せだった時のことを思い出すと、辛いときも頑張ることができるのではないかと思う。

 

自分を幸せだと思うのは、幸せにできるものを持つことが必要ではないかと思う。

 

自己暗示ということがあるが、嫌なことやネガティブなことを、考えるよりも、自分が幸せになるものに囲まれているほうが、楽しいと自分は幸せだと、暗示に掛けることは大切な生きる力だと思う。

 

虐待されている子供が、耐えられるのは、時折みせてくれる親の笑顔だったり、やさしかった時の思い出だったりする。

 

幸せだったことの記憶は、人を強くすると思う。

 

私の母は、今でいう「毒親」だったが、母はきれいな人だったし、他人からは、とてもやさしい人に写っていたので、自慢でもあった。髪を振り乱し、怒鳴り散らし暴力をふるうような親ではなかった。ただ、母親らしいことはせず、自分の、楽しみにしか興味のない人だった。いつも「女」であることが優先の人だった。

 

それでも、子供の頃は優しくてきれいで自慢の母であった。これはいまでも、子供たちから「いつも母はきれい」と思ってもらえるようにと、努力を怠らないようにする私の目標である。

 

さて、話がそれたが、写真を持っているというと、子供たちの写真で、夫や妻の写真を持っていない人がいるが、それは違うと思う。

 

子供の写真を持つなら、家族写真のほうが良いと思う。子供を見て妻や夫の写真を見ると必然的に、感謝の気持ちがわくから。

 

これこそが写真を持っていることの、意味である。

 

幸せな気持ちは、感謝につながるから。

 

子供たちの写真を見るにつけて、思わず「神様に感謝」と思う。夫との結婚写真は、夫が、とても私を思っている気持ちを感じて幸せな気持ちになる。

 

私の家には、外国の人がデスクや棚などに写真コーナーを、置いているように、部屋すべてに、写真がある。

 

後輩の子供の写真やその両親の写真もあったりする。この、写真は、健やかにいつまでも幸せな家族でいてほしいという気持ちで眺めている。

 

昔の人は、写真に魂を取られると恐れたと言うことがあるらしいが、それはあながち嘘でもないかなと思うこともある。人の「念」は。強いとエネルギーに変わり、不思議な現象を起こすこともあるから。

 

だから、家族の写真は幸せな思いを、家族の幸せを願って、持ち歩こう。

自宅にもいっぱい飾ろう。

 

 

愛って、人生って何だろう?

子供の頃に、何で生まれてきたのだろうと、考えたことはありませんか?

 

ネガティブな感じではなく、結構早くから、考えていました。

 

幼少の頃より、色々と経験が多かったからかも、しれません。

 

「人は、なぜ生まれてくるのか」

 

今も、その答えは、見つからない気がします。

 

死ぬときに、わかるのかなと思ってみたりしています。

 

親に虐待されて、亡くなってしまう子供や、生れてもすぐに亡くなってしまう赤ちゃんや、ひどい目にあって亡くなってしまう人や、80歳90歳と生きてきたのに、かかわった人が悪かったために、餓死しなければいけない人や、交通事故で亡くなってしまう人。

 

ある日突然、人生がを終わる。

 

老衰で、穏やかな「死」を迎える人の少ないこと。

 

人生って、何だろうと考える。

 

自分の歩いてきた60年を振り返って、特に、素晴らしいことをしたわけでもなく、後世に名を遺すことなく、私の人生もいつか終わりを迎えるのだろう。

 

できれば、その時に、「幸せな人生だった」と思えればいいなと何気に思っている。

 

でも、そのためには、今をどう生きればよいのかを、この年になっても、模索中。

 

一つ、自分の中で「愛」ってなんだろうと思うことがある。

 

夫を愛しているかと言われたら「愛している」言えなくって「好き」。

 

子供たちはといえば「愛している」なのである。

 

なんとなくであるが、私の中での「愛」は変わらない心の様な気がする。

 

「好き」は変わるものなのだと思う。

 

友達や親友を愛していると思わないけれど「好き」とは思う。

 

60年の人生のなかで、私のなかで「愛」については、強い心だという気がする。

 

人類愛とか大きな意味の場合は、「愛」なのだが、友人愛とは、私の中にはないようだ。

 

友人は「好き」か「嫌い」かの二つしかない。

 

「愛」は自分の命をかけてもよいものと言うことなのかもしれない。

 

今のところ、自分の子供のためなら、命を懸けても、惜しくないと思うほど、四人の子供たちを大切に思っており、どんなことがあっても変わらない。

 

たぶん私の場合は、親、兄弟に裏切られていることがネックなのかもしれない。

 

信頼していた友人に、利用されたことがあり、「友人愛」はない。かわってしまうものだと、わかったから。

 

だけど、「人類愛」はある。もしも、目の前で、困っている人がいれば助けるし、私を必要としてくれるなら、力を貸す。

 

直接関係がなく、その場で終わりなら、苦も無く助ける。

 

自分でもこの行動はよくわからないが、人として当たり前のことだと思っているから。

 

でも、手を貸した人、助けた人を愛することはない。

 

見返りを求めない、何も期待しない「愛」なら、素直に行動できる。とても楽だから。

 

たぶん、見返りや期待を、願って、裏切られることが多かったからかも知れない。

 

子供たちに対して、何も求めていないので「愛」があるのかな。

 

夫に対しては、求めているのだと思うし、疑っている、信じてない部分があるのかもしれない。(ちょっと、トラブルがあったから)

 

さて、私の人生も、後半。

 

この年でも、人生ってと考える時間があるようだ。

 

後悔しないことを目標に、自分らしく、生きていこう。

 

そしたら、答えが見つかるだろう。

 

お釈迦様も「死」と「生」について、考えて、数々の苦業をし、答えが見つかったのだろう。

 

私は苦業をしたいと思わないが、人として、生きるにはと思ってみようと思う。

 

人生は「人として生きる」と書くしね。

 

結婚しても自由でいよう

三回の結婚生活で、変わったこと。

 

一番変わったことは、家計簿をしないこと。

 

再々婚にあったって、夫になる人に、子供が学校を卒業してから考えたいと言ったが、夫の精神状態(私以外の人に対して人間不信)が悪く、そばにいないと、ダメだと、思った。

 

それで、私は結婚というか籍を入れるのは、子供がたちが学校を卒業してからという条件と私の給料は、子供の生活費に充てるので、家にいれないと言うことで、同居を開始した。

 

子供たちのマンションから、目と鼻の先に、中古の家を買った。

 

私は二重生活をすることになった。

 

占いの仕事やパワーブレスの製作もあり、夫の家で、副業ができたのでよかったと思っている。

 

私は、夫の気がすむまで、一緒にいようと思っていたので、子供が学校を卒業するまでは5年はかかる。その間に、夫が年上の人間と、無理に結婚する必要はないと考えてくれればと思っていた。

 

そのため、私の中では別れることが前提だったので、自分の給料で、自分の生活をしようと思っていた

 

結局、夫は子供が学校を卒業しても、気持ちが変わらず、結婚を望んだので、籍を入れることになった。

 

生活費は、そのまま私は、一切お金を入れることはなかった。

 

母子家庭であるし、学校を卒業したといっても、マンションの管理費や税金などすべて自分持ちだったので、家に入れることはできなかった。(子供たちの生活にお金がかかっていたから)

 

わたしの治療費も自分達親子にかかる諸々は、すべて私の給料だった。

 

夫は、私の言う食材を買ってきてくれ、私はその食材で料理をする。

 

生活にかかる光熱費も夫の家のものはすべて夫が、管理する。

 

私は、自分の食べるものも自分で買っていたので、夫の負担はない。

 

時々、結婚をしているのかこれはと思うこともあったが、家計簿をしないと言うことは、とても楽だなと思っている。

 

共稼ぎの夫婦が多く、妻も仕事を持っており、家事をすべて妻がするのは、身体を壊すと思う。

 

私は、性格のせいで、以前の結婚していた時は、夫の給料で自分の物が、購入することができなかった。

自営業をしていた時も、同じで、自分のお金という感覚がなく、人のお金という感じだった。

 

いまは、自分のお金は自分管理、夫のお金は夫管理が、とても楽だと思っている。

 

結婚生活をするのに、家計を妻任せにするのは、どうかと思う。私は、家計簿をつけていたが、夫たちは、毎月の家計簿に対して、私がやっているのだからというスタンス。何がいって、何をどうするというようなことは、一切なく。毎月、家計を回すのが大変だった。

 

結婚生活をするのにあたって、すべてのことが、共同責任という気持ちがないと、ダメだと思う。

 

結婚生活で、お金に関することは、しっかりと計画を立てて、話し合うべきだと思う。

 

それと、私の経験から、お互いが働いているのであれば、生活費は、出しあい、自分の働いたお金は自分で管理するべきだと思う。

 

  • 結婚をして、絶対に別れないという保証はない。

 

女性も、社会進出が、言われているし現に、国も、女性も働くように、もっていっている。けれども、子供を持つシングルマザーにはまだ、まだ厳しい状態だと思う。

 

自分に何があっても対応できるように、働いたお金をすべて、家計にいれるべからず。

 

自分のために、自分が使えれる分は家計に入れない。

 

日本の男性は、養育費を払わない人が、ほとんどである

 

結婚を考えるときに、自分は何ができ、相手が何ができるかを話をするべき。

 

私の夫は、14歳も年下で、洗濯や洗い物も手伝ってくれるし掃除もしてくれる。

 

家事を手伝ってくれることには、本当にびっくり。

 

前の夫たちは、仕事から帰ってきたら、何もしない。

 

二番目の夫は、17歳年上だったこともあり、自営業で同じ時間帯一緒に仕事をしていたが、乳飲み子を抱えて、商売と家のことをするのは、本当に大変だった。睡眠時間が毎日、3時間。おかげで、腎臓を壊してしまった。

 

経験から思うのは、私のように、夫に尽くすタイプは、しんどいのでやめたほうが良い。(今でも、時々一人になりたいと思う私)

 

何が大変って、お金の算段をすべて、妻任せは言語道断。

 

お金があって、専業主婦で、左うちわならいいかもしれないが、現代の生活は、お金がかかる。

 

どちらかに、負担がかかるマネーライフは、絶対にするべきではないと思う。

 

世の女性たち、マネーライフを妻任せの男とは結婚するべからず。

 

自分のこともできない人とも、一緒になるべからず。

 

結婚しても、別れることはある。

 

世の男性たち、自分のできることは自分でやろう。妻は、母親ではない。

 

共稼ぎをさせるなら、五分と五分

 

女が家事をするのが当たり前ではない。

 

生活をするのは、どちらかに負担があってはいけない。

 

女性だからできること、男性だからできること、人としてできることを協力して、幸せになろう。

 

考え方としては、賛否両論があるだろうけど、結婚しても自由でいることは大切だと思う。

 

 

 

尿酸値を下げるために、すること

9月の検査で。尿酸値が上昇し、かつクレアチニン値も上昇する。

 

右膝に、痛みをを感じて、これまた、老化なんて思っていたが、これって痛風の前触れ?!

 

さて、診察では、ストレスが原因と、言われたが、仕事はやめたので、それもよくなると、先生は納得しているようだった。

 

私は、仕事のほうはこれ以上無理と思って、仕事はやめたが、不安である。

 

何か私にできることはないかと、考えてみる。

 

尿酸値が上がる原因

(尿酸値を上昇させる環境要因)

①食生活習慣

②肉、魚介類の多量摂取

③飲酒習慣

④精神的ストレス

⑤身体的ストレス

⑥他の病気からの影響

⑦服用している薬剤からの影響

 

①と②これは、食事療法が完璧と言われたので、除外。

③もお酒は飲まないので除外。

④は、職場のストレスはやめたので様子を見る

⑤は、ちょっと以前から気になっていた、体重増加。いくら頑張っても、減らない。

 

これが結構なストレスだったりして。肥満というわけではない

⑥は慢性腎不全これに関しては、食事療法で対応中。

⑦は、薬剤は変わらない

 

と言うことで、身体的ストレスを生活習慣病として考えることにした。

 

今の体重から、3キロから5キロ減量してみようと思う。

 

三か月後の定期検査までに、減量して見ようと思う。

 

食べることには、全然執着がないので、調整することは問題ない。

 

たんぱくが40g、カロリーが1600、塩分6グラム

 

この、範囲内で、体重減量となると。カロリーを落とすことになるかな。

 

あと、肉はあまり食べないので、今回三か月は肉、魚介類は取らない。

 尿酸に良い食べ物は、牛乳、乳製品。ビタミンCを多く含む食材。(キャベツ、ジャガイモ、果物)海藻、キノコ類。

 

意外なのが、コーヒーは尿酸値を下げる効果があるらしい。

 

水分摂取一日1.5ℓから2ℓ

 

プリンタいが多いもの食べ物は避ける。

 

尿酸値を下げるために。

 

1.睡眠不足(仕事をしている時夜寝れないことが多かった)をしないこと。

 

適度な運動(これがしんどくてできなかった、先生に800歩歩くように言われたが仕事で階段を上がり降りすると途中息切れがしていた)

 

起きたときに朝日を浴びる

 

寝床に入る時間を一定にする

 

寝る前に、アルコールは飲まない

 

眠りやすい環境つくり

 

夜間眠れないときは、昼寝を30分する

 

  • 肥満の解消

 

  • 栄養バランスの食事

 

9月の終わりから、減量しているが、検査時より体重は2キロ減。

 

運動は、ラジオ体操とスクワットを始めたが、家事で疲れてできないことがある。

 

食事は、卵、ヨーグルト、バナナ、ジャガイモ、キャベツ、納豆、コーヒーでたんぱく質とカロリー計算をして、摂取している。

 

簡単に言えば、卵ダイエットをしている。

 

あと、青汁酵素入りを毎日、空腹を感じたら飲んでいる

 

食べることは、薬の感覚なので、煮物が食べたいとか、あれが食べたいとかはないので楽である。

 

これは、食事療法を長年やってきたためだと思う。

 

後、子供の頃にひもじい思いをした時期があるので、空腹にはなれているのかもしれない。

 

さてさて、思い通りになるといいのだけれど、ただ、牛乳、乳製品は大好きだから苦にならない。ジャガイモは、ご飯の変わりなのだが、これも大好きなので、三食食べても今のところ飽きない。

 

良い結果が出るのが、12月16日。

 

頑張るぞ。

 

しかし、やりすぎないようにしないと先生から、やりすぎといわれるかも。初めて診察を受けたときに(総合病院から転院時)「食事療法は、きちんとやっています」といったら信じてもらえなかった。

 

「検査したらわかりますよ」検査結果語、「完璧、食事療法がこんなにきちんとできている人はめったにいない。どちらかというと、やりすぎかな。塩分が、4gの時がある」

 

いまは、12年以上変わらず完璧なので、いつも褒められるけれど。先生は、私は少しストイックと思われているかもしれない。

 

そんなことはなく、たまたま、看護師なので知識があるおかげなんだけどと思うのだけど。先生は、そうは思わなく、まじめすぎると診察に行くといわれる。

 

全然いい加減だと自分では思っているのだけど。

 

ただやらないといけないものはやるだけなんだけど。

 

絶対に、透析だけはしたくない。

 

自分らしい生き方ができるのかと言うこと

自分らしい生き方ができるのかと言うことを考える。

 

私は、自分のことは非常に気に入っているのだが、自分のことが知りたくて、占いをするようになったのだが、どうにもこうにも、困ったもんだと思うことがある。

 

それは、気が長いときは長いし我慢強いのだが、結果が見えるとあきらめが早いことと、時に感情的になると止まらない

 

恐ろしいくらい、激しい怒り方をする。誰に対してもである。間違ったことに我慢ができない。

 

最近、少しだけ、人のことだと思うようになったことと、離れることにしたので、「怒り」は収まっている。

 

ただ、自分で、こんなことって逃げているのかなと思うこともある。極端に言えば、見て見ぬふりである。

 

言ってもわからない人に自分の感情をぶつける情熱がなくなった

 

他人とかかわらないことの一つに、本当にめんどくさいから。

 

意見を交換して、成長すればいいけど、自分の意見のごり押しをしてくる人や、思い通りに他人を動かそうとする人とは、うまくやろうと思わない。

 

自分の欠点を、知ろうとしない人も嫌である。

 

欠点は長所でもあるわけだから、いっぱいある人のほうがすごい人だと思う。

 

私は南の方角の「数字」が、二個もあるため、普段は、やさしそうに見えるらしいが、いったん怒ると、まず他人はその変貌に、びっくりする。

 

私が、怒る時は、嘘をつかれたときや約束を破られたとき、筋の通らないことを言ってきたとき。

 

この怒る状態のときは、相手が校長、先生、警察、チンピラであろうが、上司であろうが、お構いなし。(過去に、やりあっている)

 

子供の頃から、正義感が強く、いじめっ子達や両親にたいしても、間違っていると思ったら抗議をするタイプだった。

 

最近は、やっと、腹がったても、相手にしないようになった。なぜかというと、馬鹿だわと思えるようになったことと、人生必ず、どこかで、そのような人たちは、頭を打つと思えるようになったから。

できた人間は、すべてを受け止めるのかな。許すことができるのかとなんとなく思えるようになったから。

 

自分は、相手を許すとかはないけれど、「ああ、この人は、こういう言う人なんだ。」と思えるようになったことと、他人が変えようと思っても自分自身が変わろうとと思わなくては、「馬に念仏」「糠に釘」だと考えるようになったから。

 

ただ、自分自身は、そんな人たちといるとストレスになるので、離れることにした。

 

一人が楽だと思う、といっても、人付き合いができないわけではない。

 

一人でも、寂しいと思わないということである。

 

感情って、結構エネルギーがいるので、疲れると言うことがある。怒りも泣くことも心拍数が上がるし、血圧も上昇する。

 

これは今の私には、非常にマイナス。

 

一人でいるとしたいことがいっぱいありすぎて、なかなか、思うようにいかないなぁなんて思いながら、日々を過ごしている。

 

それにしても、南の数字が、あると「火」である。前後見境がない状態になる。

 

正しいことというものは、何がそうなのかわからない。

 

悪であることも、見方を変えれば正義かもしれない

 

情熱の南の数字を持っている自分は、感情のコントロールは死ぬまで頑張らないといけない気がする。

 

若草物語」の母親が主人公が失敗をして、落ち込んだときに言った「欠点は治らないかもしれないけれど、治す努力をする人のほうが素敵だ。」このことは、欠点の多い私にとって、救いだった。

 

自分の嫌なところ、欠点を直す、意識することは、成長になるし、自分を好きになれる。

 

かましようだが、そのため私は自分が大好きだ。

 

喜怒哀楽がはっきりしており、嫌なものは嫌といえる勇気にもなる。

子供の頃は、人に後ろ指をさされないようにと思っていた。

 

今の私は、他人に迷惑をかけているわけではないので、他人が私をどう評価しようと気にしない。

 

子育てをしている時は、子供たちが嫌な思いをしないように、子供の足を引っ張ることのないようにと暮らしていたが、今はそんなことも思わず、自由である。

 

これは、年を取り一人の時間、自分だけのことを考えて楽しんでよい時間ができたからだと思う。

 

今は夫と二人だが、夫はいつも私のことを考えてくれている(時々、忘れるけど、悪い意味ではない)。

 

私の好きなことをさせてくれる。

 

好きなことをするにあったて、夫のことは、喜んでくれることをしっかりしてあげている。

 

夫は、自分のことは自分でするし私よりも若いので、買い物や掃除などすることを嫌がらない。自分から、気づいたらしている。

 

夫は、私といるときは何でも一緒に行動をしていたい人なので、彼のしたい事を優先にする。

 

自分の欠点を見つめ、今の生活スタイルの中で、自分らしく入れる状態を作ることが楽しい。

 

今、生きていることが大変だと思っている人や、今の生活に満足していない人、自分がしたい事が今できなくても、絶対に自分の思い描くことを忘れなければ、命という時間があるなら叶うと信じて、頑張ってほしいと思う

 

自分らしい生き方が、必ず、見つかる。

 

 

 

物事をする時に、私は自分がしたいから、しているのだと思うことにしている

物事をする時に、私は自分がしたいから、しているのだと思うことにしている

 

子供の育て方を間違えたのか、いいや、子供がずるいだけなのだろうと思う。

 

今日は、長男の家の草抜きに行った。先日、たまたま、裏を見たら、壁にツタが。

 

えー、何だこれと思ってみたら、隣のマンションから伸びている。

 

やばい、壁にツタ根を張っている。

 

長男は、三交代で、休みが取れないし、仕方がない。私がするしかないか。

 

駐車場が、三台止められないので、次男がいない時を狙って、一日目。

 

4袋のツタを抜く。腐った木に絡みついて、木のようになっている。そのツタをを切ったら、木が倒れてきて、怪我をするところだった。

 

さすがに、一人でするとしんどくて、反対側の庭は、今度にしようと、止めて帰った。

 

そして、今日残っていた、庭もした。こちらは、3袋。あまりツタはなかったので、早く済んだ。

 

除草剤を、散布して終了。

 

 

 

定期的に、除草剤を散布すればよいかなと思う。

 

長男が、一度目の時は、早出だったので、電話があり。

 

「お母さん、ありがとう。無理せんでね」と。

 

いやいや、ツタが絡まっているといってからも、全然、あんたやる様子がないから、あれ以上、上までツタが伸びたり深く根が張ったら、どうしようもなくなるからと心の声。

 

長男は吞気というか、構わないというか、余り物事を深く考えない。

 

私は、自分以外の家族、今は子供だけど、早めに手を打つことにしている、放っておくと、何らかの火の粉がこちらに飛んでくるから。

 

火の粉が飛んできても、知らん顔ができればいいのだけど、自分の子供であるし、私自身が、放っておけないこともある。

 

最近というか、とにかく、どうにもならない状態になる前に、自分がしたいからするというスタンスですることにしている。

 

特に長男には、他人にいい人でいるため、ストレスがかさみ、30代になった時に、自分の生活は自分でやりくりしなさいといったら、その当時、専門学校に通って働いていたのだが、なんと、国から借りた教育ローンを使いこんで、学校からの支払いが届いた。卒業させられないと。

 

おかげで、仕事を退職し、退職金で払った。

 

本当に、定年まで働きたかったが仕方がなかった。

 

それからは、長男には要注意。

 

うちの場合だと思うが、子供達は、成人して、働いていても、何かあれば、母親が何とかしてくれると思っているようだ。

 

最近は「知恵は貸すけどお金はないからね」というのだが。

 

弱苗を吐くことも持病のせいで、しんどくても、子供の前では気丈な母親である。

 

早く結婚してくれないかしら。一人前に仕事をしているから、大人だと考えているようだけど、あぶなかっしい子供ばかりだ。

 

子供のことは、どんなことがあっても無視ができないので、アンテナを張り、安心できるまで、油断ができない。

 

他人に対しては、切ってしまえばいいし、しょせん他人事である。

 

人は自分が思うほど、考えてはくれない。

 

長い人生の中で、たどり着いた答えだ。

 

だから、他人に対してもしたいからするしたくなければしない。

 

でも、元来お節介なので、困りごとの相談は多い。

 

「自分以外の人は自分ほど考えてはくれない」と心に思っているほうが、人間関係はスムーズ。

老後に交際費は必要かな。

先日、何かの本だったか雑誌だったかで、老後の生活資金の話を読んだのだが、その中に、交際費のことを書いてあった。飲み代、冠婚葬祭費等。

 

交際費を少なくする話だったのだが、確かにお付き合いのお金は結構かかる。この交際費を、減らすことは、友人との付き合い方を変えないといけない。

 

私は、占い師をしていることや、看護師時代はプライベートでは職場の人と付き合わないとしていたので、交際費はかからない。

 

冠婚葬祭も親が親戚と付き合いがあまりなかったので、必然と、付き合いがない。

ゆえに、自分の祖父母(特に父方)が亡くなっているだろうが、いつ亡くなったかも知らない。

 

姉弟とも、付き合いがあまりない。お金に関して迷惑をかけられるからだが。

 

夫も、他人との交流がない人で、時々私が死んだら大丈夫かと思ってしまう。

 

必然的に、交際費というものは、私の家にはない。事実、交際費がないのは、生活にとって大きい気がする。

 

次男は、友人が多く、社会人バスケ関係、高校時代の友人たちと付き合っている。やれ飲み会、やれ友人の子供の誕生会、結婚式と。

 

時々「付き合いのお金で今月は生活費がきつい」などといっている。

 

余談ではあるが、そんな時はよく昼のご飯のお誘いがある、もちろん支払いは、私持ち。

 

若いころは、人とのおつきあいは大切だと思うし、人脈も大切だと思う

 

でも、老後になると、余りいらない気がする。

 

老後に向けて、本当に必要人たちとの付き合いに限定するのもよいのではないかと思う。

 

私の大好きな著者「三津田冨佐子」師も言っている。広く浅くである。

 

 

 

彼女は、習い事は、習い事の時間だけで、特にその後に付き合う必要はないと。

 

彼女は、一人で行動する醍醐味を体得することが必要。何でも一人でやってみるとよいといっている。

 

確かにと思う。私も、人がいると気を使うタイプなので、ひとりがいい。

 

映画などの趣味が同じなら、一緒に行ってもよいが、終わればお茶くらいで、帰りたいし、一緒に買い物なんて、絶対にいや。夫とも買い物に行くのが嫌なのだが、夫は、私と行きたがる。

 

一人の時間は、シンプルに尽きる、何気兼ねせず、誰にも合わせることなく、いられるから。

でも、交際を急に、しなくなることが嫌な人もいるだろうな。

 

これは、今までの自分の評価を他人まかせ、他人目線で生きてきた人たちかもしれない。

 

老後を、一人で過ごすことが、寂しいとかかわいそうと思う人がいるけれど、それは大いなる誤解だと思う。

 

一人時間を楽しむことができている人にとって、老後はパラダイスだと思う。

 

人に迷惑をかけなければ、何をしていてもよいのだから。

 

自分の人生を楽しく生きるために、一人時間の楽しみを作ろうではないか。

 

これからの時代は、人生100年と言われる時代が来るらしいから、今から準備するべきだと思う。

 

昔は、結婚年齢が早かったが今は、30代の結婚が当たり前になってきている。しかしである、老後の時間は、あまり変わっていないと思う。

 

昔は、人生50年、60年だったのだから、結婚が早くて当たり前。

 

でも、子供たちが、成長し自分たち夫婦だけもしくは、一人になる老後の時間は、短い人で、20年、長い人なら40年だろうか。

 

ゆったりとした時間、自分だけの時間がやってくるのである。

 

有効に楽しく生きる方法を模索したいではないか。

 

楽しむのに、お金が必要とは思わない、食べるだけのお金があればいいのではないかと思う。

 

食べられれば、生活はやっていけているのだから。

 

お金は、あればよいがなくても良いと考えればいい。

 

年を取って、働いている人に「なぜ、はたらいているの?」

 

「孫に何か、買ってあげたいから」

 

そうか、おばあさんになったらそうなるのかと思ったが、私のように4人も子供がいたら、孫が2人ずつきれば、8人である、その8人に何かを買ってあげるために、仕事をするなら、一生働かなければいけない。

 

身体に鞭打って、孫のためなんて、考えるだけでぞっとする。

 

私も両親に、(毒親だった)何かをしてもらおうと思ったことがないので、子供のことは親がするべきと思っている。

 

それに、嫁さんは、息子たちの選んだ人である、私と仲が良ければいいけれど、そうではない事のほうが多いだろう。

 

嫁さんは、自分の好きなように家庭を作ればよいと思う。

 

何がめんどくさいかというと、嫁さん同士の気持ちを配慮しながら、何かをしてめんどくさがられたり、するほうがつかれる。

 

してほしいことがあれば、できる範囲でするが、私から、してあげることはない。

 

それよりは、子供たちに迷惑のかからない人生の終わりを迎えることこそが、いいのではないかと考える。

 

 

 

 

学校は、子供たちにとっての初めての集団の場であるが、それは特殊な環境であることを、親も先生も忘れてはいけない。

小学校の授業にあった「道徳」は、今の学校にはないのだろうか?

 

私は「道徳の時間」が大好きだった。

 

学年が上がり、新しい教科書をもらうと一番に読んだ。

 

私の子供たちの頃にも、道徳の教科書はなかった気がする。

 

ゆとり教育」というものや土曜日が休みになったりと、私の子供の頃よりも随分と変わった。

 

子殺しや親殺しのニュースを耳にすると、「道徳」と言うことを教えてもらっていない世代の人たちが事件を起こしているのかと思ってしまう。

 

個人主義になり、子育ても夫婦のみで、地域のつながりも薄くなり、当たり前のことを、教えることができなくなっているのかもしれない。

 

人とのかかわりが少なくなり、何か問題が起こると、簡単に罪を犯す。感情のままに、衝動的に。

 

虐めの問題も、親が子供に自分のどうしようもない欲望をぶつける。

 

昔のように、家に誰かがいるわけでなく「おかえりなさい」といってくれる人がなく「ただいま」といえる人のいない家。

 

学校では、虐めが横行し、虐めた側は、案外裕福で母親が過保護だったり、いじめられる側は、母子家庭だったり、両親とも働いていたり、我慢強い子が多かったりする。

 

今も昔も変わらないのは、子供の心。子供は、親にはいい子でいることを、見せる。親の期待に応えようとする。弱い自分や悪いことをするところを隠す。親に嫌われることは、ある意味、社会の大人すべてに、受け入れててもらえないことにつながるのだろう。

 

一概には言えないし、すべてのことの「悪」に、今の状況が当てはまるとは、思ってはいないが、人としての「心」を育てる道徳の授業は、必要ではないだろうか?

 

精神科に勤務していた時に、若くして入院をする人たちの何人かは、子供の頃とてもいい子で、親に褒められて成長し、社会にでて、挫折をする。

 

いい子の母親は「昔はいい子だったのに」と今の子供を受け入れることができない。

 

親にとってのいい子というのは、成績も優秀、(国立大学等の高学歴の子どもが多い)品行方正、先生からも、何も文句のない子供。いつも、褒められ、叱られることもなく、親の言うこと先生の言うことを聞いて、社会に出る。

 

社会に出て、上司に注意され、同僚にばかにされ、自分の能力なさに絶望し、心を壊す。

 

親、先生に言うとおりに頑張ってきたのに、いい子だといわれてきた今までの人生が180度、間違いだったのかと。

 

親に、感情をぶつけ、暴力を振り、医療保護入院

 

子供は、今までの人生はなんだったのか、親のためにいい子でいたのに、その親に、捨てられ、こんなところに入院させられと恨み、どんどん、壊れていく。

 

道徳の時間は、悪いことをしたらとか、こんな時はとか、心を強くし、人としての立ち振る舞い考えさせられ、みんなで、どうすればよかったかとかを勉強していたように思う。

 

昨今、しつけは家庭でというが、その親たちが躾の何たるやらを、わからず、自分達の都合の良いように、子供を、誘導し、操作しているのではと思ってしまうのは私だけだろうか。

 

人権と言うことを耳にするが、言葉だけが独り歩きしている気がする。

 

いつから、私たちは、言葉の真意を大切にしないようになったのだろうか。

 

看護学生の頃、ある程度経験をしたら、精神科の看護ができる看護師になりたい、夢はかなったが、心の病気は、周囲の人、その人が思う大切なかかわりを持った人があきらめては、治らない。

 

心を成長させる機会を学生の頃より、持たさなければ、自分で判断できず、依存症や本来持っている長所が短所になってしまう。

 

学校は、子供たちにとっての初めての集団の場であるが、それは特殊な環境であることを、親も先生も忘れてはいけない。

子育ては個性です、そして、自分育てだと思います。

子育てをしていた頃の話。

 

学校から、呼び出しの連絡があり、何かあったなと思い行きました。

 

次男が小学3年に、上がった4月。

 

学校に行くと、校長室に、担任と青い顔をした息子がいました。

 

「実は、近くのコンビニ店から、万引きをしたと連絡がありました。本人が、親に連絡しないでといったため、学校に連絡がありました。」

 

私の心の声。えっ、息子が親には連絡しないでと言ったのに、学校は、親を呼びつけたのか。

 

「申し訳ありませんでした」

 

後日の話。

 

この担任は、新学期からの転任教師で、3年になる息子の担任になった先生。

 

学校に行って、あいさつをした時の会話。

 

おかあさん、電話で何がありましたかと、お尋ねになりませんでしたが、どうしてでしょうか」

 

「どうしてですか?学校からの呼び出しなら、何かあったのですから、とりあえず、急いでいくのが当たり前だと思いましたが。」

 

「いえ、普通は、何があったかを聞かれるので。」

 

心の声。この先生は、うちの子が問題児で、しょっちゅ、呼び出されているからだと思っていると。

 

「うちは、商売をしていて、私の時間があまりないのと、今年から、下の二人が、幼稚園と新一年生になるので、最近その準備でばたばたしていて、少し、この子に構ってあげる時間が取れなくて、様子が変だと感じていたので、何かあったと思いましたから。」

 

私は、学校の、子供の願いを踏みにじった、先生を許すことができませんでした。

 

事情を聴いて、息子の前に私を呼び出さなくても、やり方があったはず。この先生は、子供の信頼を裏切ったことに、気づいていないと。

 

小さな子供が、万引きをするのには、訳がある。スリルや遊びでするわけじゃない。

 

息子は泣きながら、座っていましたが、学校の帰りに叱ることはしませんでした。

 

息子の気持ちの中には、恐怖しかないのがわかりましたから。

 

親に嫌われるという恐怖。

 

私は、息子に、「ごめんね、お母さんがもっと早く、〇〇のことに気づいてあげていたら、辛い思いをせずに済んだのにね。」

 

「だけど、悪いことをしたのだから、もう一度母さんと、お店に、誤りに行こうね。〇〇は、悪いことだとわかっているから、誤れるよね。母さんの子だものね。」

 

息子は、ポロポロ涙をこぼしていました。

 

私は、大いに反省。気にはなっていたのに、元気がないなぁと。何かするんじゃないかと。

 

この先生とのやり取りは続きがあります。

 

懇談だったように思いますが。

 

「お母さん、あの後、泣きましたか?」

 

「はっ。息子の前でですか。なぜですか。息子は悪いことをしたとわかっているのに、母親の私が泣いては、息子の心に深い傷になります。

 

男の子にとって、母親を悲しませたということは、大変苦しい重荷なります

 

下手をすれば、嫌われたと思って自信を無くし、親子の信頼関係が崩れます

 

息子が今回なぜ、あのような行動をしたのかは、私の責任でもあります。

 

私は4人の男の子の母親ですから、どんなことがあっても、(泣く)という暴力で子供を教育したいと思っていません。

 

それよりも、間違ったときに、考えて一緒にに成長したいと思っています。親として、男の子に(脅し)を教えたいと思っていません。」

 

私は、この担任では、次男は先生を嫌いになる、下手をすれば、学校に行かなくなると思いました。夫と話をして、二年連続の役員を引き受けることにしました。

 

息子にとって、母親が彼のことを忘れていない、変わらないと言うことを見せるために。どんな時も、お母さんがいるよと伝えるために。

 

三年生の最初の参観日の後、学級懇談会で役員選出。

 

立候補をして、学級代表に。

 

私は、代表になり、参加しているお母さん方に、声をかけると、○○さんが代表ならと、次々に立候補をしてくれ決まりました。

 

学校の役員を決めるのは、どこでも大変なのですが、30分で決まりました。

 

 

先生は、顔がビックリマーク。

 

「長い教員生活の中で、こんなにスムーズに役員が決まるのは初めてです。」

 

他のお母さんから「○○さんが代表なら、役員の仕事は楽しいので」

 

「決断も早いし、みんなでやろうとい言ってくれるので」

 

この時に、先生の表情から、他のお母さんたちから絶対の信頼のある人間だとわかったようでした。

 

3クラスあったのですが、学級代表があつまり、学年代表を決めなくてはいけないのに、他のクラスは、役員が決まらず、とりあえず、代表だけが集まり、学年代表も、決めました。学年代表も、10分。

 

担任の先生はなぜか得意顔。他の2クラスの先生は、ビックリマーク。

 

他のクラスは、くじ引きだったり、押し付けあったりと大変だったようです。

 

余談ですが、この後の学級懇談や個人懇談の時に、子供の話よりも、「そのバック、ヘルシーバッグですよね、いいですよね」とか。

 

 

 

 

「今日は同じ色の服ですね」とか。

ちゃっと、何だこの会話と思った一年間でした。次男は、問題のない子だったので、担任とは、息子の話をすることはなかったです。

 

初めての衝撃な出会いから、随分と印象が違ったのかもしれません。

 

 

当時、息子は学校の先生は自分を助けてくれないと思っていたと思います。大人は信用できないと

 

守ってくれる人がいないなんて、小さな子供にとって、どんなに不安だろうと思います。

 

子供にとって、学校生活は朝8時30分から15時まで、いいえ、登下校を入れれば、7時間から8時間。一日の活動時間の、半分以上を占めます。

 

その場所が嫌いになったら、子供は鬱になるのではないでしょうか。

 

拷問のような時間に、なるでしょう。

 

うまく表現できない、伝えることができない、そして親が忘れていけないことは、親に嫌われることをどんなに子供が恐れているかを。

 

子供にとって、親はルーツです。根っこです。根っこが腐れば、育ちません。

 

子育てとは、自分育てです。

 

親だって、間違うことはあるでしょう。始めから、できる親なんていません。

 

還暦過ぎた私でも、いまだに、子育てをちゃんとできたかなんてわかりません。

 

でも、悪いことをしないこと、自分に恥じないようにすること、胸を張って歩ける人生を、送ってくれればと思っています。

 

小学校を卒業するまでに、もう一度、役員をすることになります。

 

子供のために、役員をやってよかったと思っています。

 

子育てに正解も不正解もないと思います、人として、当たり前のことを教え、導き、愛してあげるだけ。

 

私は。子育て時代は自分との闘いだったかな。子供がかわいくてかわいくて、その心との闘い。常に冷静に、親バカでもいいけど、ちゃんと判断をできる親に、子供が信頼できる親でありたいと。

 

後、早く子離れもしないといけないかも。子に依存してはいけない。

 

子供は、神さまからの預かり物だから。

 

子育て中の、お母さん、子育ては、個性です。子供が一人で生きていけれる知恵と勇気を、見つけれるように応援することかもしれません。

自分の手の中の幸せ

自分の手の中の幸せ。

 

幸せは、どんなにたくさんあっても気づかなければ、意味がない。

 

したいことはいっぱいある。

 

この年のなっても、尽きることがない。

 

ただ、自分の感じる幸せは何か?

 

このことを考えると、一つは、子供たちの幸せかなと思う。

 

欠点も長所もいっぱいある子供たち。

 

長男は結婚をしておらず、この先縁があればという感じ。もう40歳。

 

次男は、隠れマザコン。仕事が終わったら、毎日連絡が入る。

 

三男、四男は、マイペース。よほどのことがない限り、連絡はない。

 

長男は、資格の勉強中。資格が取れれば、自信もつき、親離れができるかなと思っている。

 

とても人の良い子だけれど、いい人を外で演じすぎて、自分を出さないから、人間関係が、広く浅く、来るもの古馬わず去る者追わずである。

 

次男は、私が占い師であることもあり、会社のことの愚痴など、毎日かかってくる。しかし、この子は、結婚もしくは、彼女ができれば、私の関係は、今ほどでなくなるのは、わかっている。

 

私と話すことで、自分の頑張り屋、考え方を、納得させている。30歳になったというのに、毎日、母親と話をする息子は、ある意味、絶対の信頼を母親に置いているともいえる。

 

せんだって、四男坊が、会社を辞めて、大阪に行った。会社を辞めるのも、連絡なく。会社からの連絡で知った。

 

メールで、連絡はついたが、直接話すのが嫌なのか、携帯には出なかった。会社から、退職の書類に、私(身元保証人)にサインと印鑑を、してほしいといってきている。

 

書類をみると、会社の車、アパートの鍵、携帯、社会保険証、ガソリンカード

さすがに、返却しなければ、弁償する部分が、実印を捺印しろということだし。

 

いつ、大阪に行ったのか、会社に辞めるとメッセージをおくってそのまま、出社していない様子。

 

詳しいことは聞かなかったが、本人は前家賃でアパート代は払ってあるから、月末までには、帰って片付けるつもりだったようだ。

 

会社にすれば、止めるといった人間に、会社の寮として貸しているアパートは出ていってもらいたいよね。

 

次の日に帰ってきて、アパートに行けば、会社の車は放置していたので、バッテリーが、上がっている。

 

本人に、止めるに三日前に電話した時何も言っていなかったけれど、あの時何で言わなかったの?

 

別にいいかなと思って。

 

心の中で、ちょっとむかついた。いいかじゃない、結局、私に迷惑が掛かっているのに、26歳になって、仕事も嫌な様子もなく働いているかと思ったら。

 

四男坊は、会社を辞めるときが少しいい加減。直してほしいと思う。

 

長男と私の車を使って、マンションに荷物を運んだ。あとは、会社に返却するものを持っていき、事なきを得た。

 

その日に、すぐ、大阪に戻った。

 

しかしである、連絡先を言わず、彼女(最近できたらしい、仕事をやめるといったら、こっちに来ないかといわれ、一緒にいる)の待つ大阪に。

 

大阪に、いってから10日間たつが、四男坊とは、生きている間に何回会うだろうと思った。

 

三男坊は、着かず離れずの関係。今のところ何もない。一年前は、家を買うので、色々とあったけれど。

 

子供が四人いて、何かあった時は、かかわるけれど、それも彼らが、結婚をしたりすれば、私は関わらない。

 

今は、他人が入っていないので、なんだかんだと「母」を頼ってくれるけれど、彼らは、私を母として、大切に思ってはいるけれど、強い人だと思っているようだ。

 

人として強いということはどいうことかと考える。

 

子供からも、他人からも、言われるが、決して強いわけではなく、他人を頼りにしていないだけだ。

 

自分のことは自分でする、他人に迷惑をかけない。ただそれだけを心掛けてきた結果が、今の私である。

 

子供が自立したら、一人くらしをしたいと思っていたが、再婚して、夫がいるので無理だと思った。

 

再婚した当時、まだ子供が学校に行っていたので、マンションに通い母をしていた。

 

その当時事情があり、夫とは一緒に住んでいたが籍はいれずに、何とかして別れようと思っていた。

 

そんなこんなでもう、12年(入籍は6年前)。

 

今でも、離婚してもいいという気持ちはあるが、それは、夫が年下なので、気の毒という気持ちがある。何も、持病持ちの女といる必要はないのではと思うから。

 

自分のことを卑下しているわけではない。

 

私が先に亡くなるのは必然だから、この人が一人になった時のことを考えると、私じゃないほうがと思うのである。

 

実際の生活の中で、年下と言うことや年上であると言うことは、何の問題もない。

 

夫婦とは、パートナーなので、年は感じない。

 

夫は、昼休みには毎日、電話をかけてきてくれる。はたから見れば、ラブラブではないかと思う。

 

私は、空が青いと、幸せだなと思う。

 

今日、買い物の帰りに、(朝は雨が降った)空を見ながら、何気に、これからのことを考えた。

 

子供たちが、本当の意味の自立をしたら、男の子ばかりだから、母の役目も終わる。親子の関係は続くけれど、自分のことだけを考えて生きてもいい時間が来るなと。

 

そんな私のそばには、夫が、いてくれるんだと思ったら、自分の手の中の幸せの心地よいことに、気づいた。

 

二つ目の幸せなのだと思う。

 

夫と私は、自分たち二人だととても幸せなのだが、私が「母」であるときは、夫は「父」ではないので、子供たちに焼きもちを焼き、機嫌が悪い。

 

男の人は、自分が一番でないといけない人がいる

 

私の夫もそうである。

 

うまく言葉にできないが、この先の人生は、夫と穏やかな時間が来る気がする。

 

今の私の手の中の、幸せは、夫がいることかもしれない

 

神様に感謝。

 

四人の母親になれたこと。

 

残りの人生を、一緒にいてくれる人の出会いを。

 

 

心が穏やかに、やさしくなれる時間を感じて、自分の手の中の、幸せを大切にしたい。

 

 

自分のためにも、親バカをしよう。

子供たちも自立して、自分達で生活しているので、あまり、手を出さないようにしているが、、、、。

 

長男は、三交代の仕事をしていることと、収集癖があり何でも取っている。

 

分類してきちんとしているならいいのだが、その辺に突っ込んでいたりする。

 

飲んだペットボトルが、パソコンの机の周りに、転がっている。

 

長男は、私が片づけをすることは、嫌がらないので、本人がいるときに、片づけをする。

 

心から思うのだが、この子は一人になったら、ごみ屋敷を作りそう。

 

 最近、私が仕事をやめて、長男の資格試験の勉強を、手伝いに行っている。

何度も落ちているので、来年は、絶対に受かってほしいので。

 

 長男は、返事はいいのだが、言ったことをやろうとしない。昔は、自分の子供だったので信じていたのだが、欲がないというか、これは必死に頑張らないといけないという自覚がない。

 

子供の頃と性格が変わったと思うのは、嘘をつく。本人は、嘘をつくつもりはないのだろうが、「うん」「はい」と言われれば親だから信じる。

 

私が、嘘をつくのが嫌いなのと、言ったことは守るタイプなので、長男は、怖いのかもしれない。

 

子供の頃は、一生懸命だったのだが、今は、のらりくらりの人生。

 

その日が、無事に終わったらいいという感じの人である。

 

いい人を外で演じているようで、家に帰ると、何もしたくないようである。

 

けれど、資格試験の勉強だけは、信じて任せて、受験勉強はこうしたらいいよと言えば「わかった。」言うのだが、全然やっていないのである。

 

資格試験が済んで、見れば、全然合格ラインに程遠い。

 

一年に一度しかない国家試験なのに、言ったことを全然クリアしていない。

 

しようという気持ちはあるのだろうけれど、現実には、その日その日を流してしまうようである。

 

いつまでも、親が手を出す年でもないのだが、試験勉強だけは、今回おしりをたたくことにした。

 

じつは、第53回受験の時は、10月に仕事をやめて、受験勉強だけをしてもらったが、10点ほど良かっただけで、不合格。

 

次の年は、就職して、試験を受けたが、もう170点取れば、合格ラインなのに、120点ライン。いつも110点から140点。(生活費すべて面倒を見た、合格してほしかったのと、職場でパワハラにあって、精神状態も良くなかったから)

 

今回は、監視をしてでも、合格してもらわなければと思っている。

 

私も、還暦過ぎて、いつまでも子供に構いたくない。ただ長男は、専門学校を10年。(留年したり、再度入学したり。教育に、多大なお金がかかっている。弟たち三人が、大学や専門に行けるほど。学校を卒業して、6年。

 

6回、国家試験を落ちている。

 

無駄にはできないので何としても、合格してもらわないとと思う。

 

本当は、本人が受けたかったら、受ければいいやとも思ったこともあるのだが。

 

前職場でのパワハラで、自信喪失ぎみなので、ここで、国家試験を落ち続けているより、合格したら、本人も肩の荷が下りて、自信がつくのではと思っている。

 

勉強の仕方を変えて、過去問題をすると200点越え。

 

依存しているわけではないのだろうが、誰かに見てもらっているほうが、頑張れるのかもしれない。

 

私の人生もうまく生きれば20年。死ぬときに、気になることがないように、自分のためにも、親バカをしよう。

 

幸せな人生を送ってほしいと心から、願う。

人の振り見て我が振り直せ

かましいひと。

 

今日は、ちょっと、頭にきています。

 

私は、自宅とは別に、マンションを持っているのですが、借りてる駐車場に、無断駐車をしている人がいる。

 

その人は、誰かわかっている。

 

マンションの副理事。

 

前年度一緒に、役員をして今期残留した。

 

前期の時に、止めてもよいかと聞いてきたので、「いいですよ、午後から仕事なので」

 

それから、当たり前のように、止めている。

 

仕事をやめて、マンションの片付けをしたり、末の息子の荷物を、入れたりとしていると本当に、嫌になる。

 

マンションの駐車場に止めるときは、ノートに記入しないといけないし、空いていないときや、長時間の駐ができない。

 

性格上、ガタガタ言われるのが嫌いなので、個人で駐車場を借りている。子供たちも、荷物を取りに来たりするので、ちょっと困る。

 

止めるなら、一応連絡が欲しいと思うのだが。

 

今回は、荷物を少し出すだけで、短時間だったのだが、凄く腹が立つ。

 

ということで、次回は、退けてもらおう。

 

今回仕事をやめたことは、言っていないので(言う必要がない。)午後から使っているのかなと思うのだが。

 

私が、午後からのパートだったから。

 

しかしである、やっぱり止めるなら、連絡してほしい。そうしたら、今日は何時ころに、使うのでそれまでとか言えるのに。

 

自分から連絡するのも、面倒なので、ひも引っ張ろうかな。

人の好意を、当たり前に搾取してはいけないと思う。

 

これも老害の一つだな。

 

礼儀は、やっぱり守ろう。

 

人格を疑ってしまうわ。ちょっとしたことで、この人はこんな人間なんだと。

 

何気ないことで、自分の品性を下げる。

 

今日は、マンションの知人と、ばったり会ったので、その方が、

 

「駐車場返したのですか」

 

「いいえ、勝手に止められているのです。」

 

「よく止められていますよ。誰かわかっていますけど。」

 

「前期の役員を一緒にした人に、一度止めてもいいかといわれて、いいですよと許可したことはあるのですが、それから、当たり前のように止めていますね。」

 

「今日は、すぐに帰るので、いいのですが、今度止めていたら、退けてもらおうと思います。都度、連絡してくれればいいのですけどね。」

 

「感じ悪いですね、やっぱり、人としてどうなのでしょうね。」

 

「そうですね、まぁ、人は厚かましいですからね。お互いに気をつけましょう。」

 

以前から、話をする住人で、感じの良い親子。

 

人の振り見て我が振り直せといいますものね

 

年を取って、厚かましいのは、あるだろうけれど。他人がお金を払っているものを、勝手に使うのはいかがかと。

 

 

 

食事療法は完ぺきだったのに、血液検査が悪かった件

食事療法は完ぺきなのに、クレアチン値と尿酸値が悪かった件

 

三か月毎の定期受診。

 

診察前の問診で、息子が大阪から帰ってきたという話をしたら、本日は診察なしで、薬だけと、事務員さん。

 

二週間後に診察にといわれたので、「電話診察でもいいですけど、いつも変わりないし」

 

「そうですね、先生に聞いてきます」

 

直ぐに、戻って来て「先生が、電話診察の話の前に、(観る)といわれています。別のお部屋で、お待ちください」

 

ナースからの問診があり。血液検査が悪かったようで、先生が診察をするということだったみたい。

 

待っている間に、コロナ感染よりも、診察優先するほど悪かったのかなと。

 

自分なりに、最近の自分のことを考えてみる。

 

しんどいから、パートの仕事もやめたし、そういえば、左膝に痛みがある。息切れがするしなどと考えていた。

 

腎臓が悪いし、年も年だしなぁ、少々のしんどさなんて、仕方がないかな。

 

でも、昔のように頑張って、気づいたら腎臓病なんて嫌だから(この場合は、腎臓病悪化の可能性)と、仕事もやめたしね。

 

「診察です、診察室へどうぞ」

 

いつも明るく元気よくの私の診察。

 

「こんにちは、あっ、先生2メートル離れなましょうか。」

 

「いいですよ、マスクお互いにしてますから。」

 

「はい、では、先生にぐっと、お近づきで。」

 

「ははは、三か月ぶりですからね、占いの仕事はされていますか。」

 

「はい、もちろんですといっても、紹介者のみと、長いお付き合いのお客様だけですけど」

 

「最近、どんな感じですか?尿酸値が倍に上昇しています。そのために、クレアチニンも、危険値になっています。食事療法は変わらず、完璧なことは、数値があらわしてます。」

 

「う~ん、ストレスですかね。前回の診察の時に、一日8000歩は歩くように言われましたから、仕事中は、階段もエレベーターを使わずに上がっていたのですが、息切れがすごくって。

なぜか、たった4時間の仕事なのに、疲労感が半端じゃなくて、痛み止めとドリンク飲んで、仕事に行っていいました。

最近、左の膝に痛みが出現して、尿酸値が悪かったから、軽い痛風かな。

 

「今年の3月に、一度退職を考えたのですが、引き留められたので、ぼちぼちと思っていたのですが。

う~ん、私自身の看護師としての考え方というかスタンスのせいで、職場の他の看護師に合わせられなくて、ストレスが。」

 

「基本仕事をする時は、自分の時間を契約で、買ってもらっているので、その時間は、私の時間ではないので、めいいっぱい仕事をして、定時に上がると言うことが当たり前だと考えているので。

毎日の仕事を定時で終わらない、サービス残業当たり前なんて、長く勤められない、気持ちよく働けない。

病院じゃないのに、毎日正社員の看護師が定時で帰らない。

私が仕事をしている時間は、ほぼ、医務局から出てこず、介護スタッフたちもフロアにいる私に、連絡をしてくる。

遅出出勤の業務があるのに、(胃瘻注入)中断。介護スッタフがいないフロアの食事介助にも応援しないといけない。

時間に追われている中で、日中気になる利用者を見てくれと、言うことが多く、担当看護師からの指示がないのですがという。申し送りでは何も言っていなかったけれど、すぐに行きます。

仕事は嫌ではないし、介護スッタフが夜勤をしていれば不安だろうと思うので、看護師としての見解をつたえるけれども、これって、違うよねと、どんどん、看護師たちへの不信感から、ストレスになったかな。」

 

「資格持ちのプライドというか、きつい言い方をすれば、資格に見合った技量と技術のない人との仕事はできない性分なところもあり、時間を大切にせず、だらだらと残業して、残業代搾取はないでしょ。仕事のできない人ほど、残業して、いかにも仕事しています、私仕事できるでしょと勘違いしている気がする。」

 

「某病院の師長だったのに、胸水の看護を、わかっていない。

施設では健康管理が看護師の仕事なのに、実際のバイタルは、介護スッタフまかせ、スッタフが利用者の状態報告をしても、なかなかいかない。

食事介助はしない。

施設の看護師の仕事、高齢者の看護、看取りの指針も知らない。

もう、私のストレスが積み重なっていく状態だったですね。もっとあるのですが、口には言えないですけれど、色々あって、ここで頑張っても、身体が悲鳴を上げていると思い、先月やめたのですが。」

 「ストレスですね。完全に」

 笑いながらの先生との診察でしたが、一番の原因は、夏バテからくる不眠で、身体からの、疲れが取れなかったのも、大きな原因だったかなと先生と話をした。

自分なりに 尿酸値が高いのは、生活習慣病であると言うことだなと

規則正しい生活。三食食べて、決まった時間に睡眠をとる。6~8時間の睡眠を確保する。

この、睡眠サイクルが狂ったために、年齢の老化と慢性腎臓病が重なり、血液検査が悪くなったのだな。至極反省。

 

まずは、睡眠の改善。

 

季節もよくなり、夏バテも解消されるし、仕事もやめたので、三か月後の定期受診までに、改善できるように頑張ろうと思う。

 

慢性腎不全で、16年間食事療法で、横ばいでよかったのに、生活習慣病になるとは。

 

ちょっとだけ、食事療法が完璧で、どうするの?本当に、睡眠改善で、良くなるかなと不安はあるけれど、こればっかりは、三か月後の検査をしないとわからないかな。

 

ひどい倦怠感の改善、不眠、息切れが改善すれば、良くなっていると思うことにしよう。

 

先生から「いつも、若く見えるし、持病を持っているように見えないからね。診察に来られると、僕のほうが、元気をもらっている気がしますよ。」

 

「商売がらですかね、占い師や看護師ですから、今にも死にそうな看護師に看護されたのでは、治る病気も治らないし、覇気のない占い師では、お客様の悩みの相談依頼がこないでしょう。」

 

人はぞれぞれですから、持病があるといっても、癌患者のように、余命を宣告されているわけではないし、何が不幸か幸せかは、自分次第ですから。」

 

「本当にいつも、前向きですね」

 

「いえいえ、強がっている部分もありますし、生きている間は、自分の人生のことには、抗うものには、抗って、後悔のない生き方をしたいだけです。

先生、病気のことで不安になったら、診察の時に、お話を聞いていただけるだけで、楽になります。

今回のことも、不眠とストレスと先生も納得してくれたみたいですから、私も、原因がわかったので、頑張ろうと思えます。

先生が、何が原因かわからないなんて、思っていたら不安増強だったかもしれません。」

 

「僕が納得しているのがわかりましたか?」

 

「はい、表情が。」

先生、「僕は顔にでてる?」

 

といって事務員さん、看護師さんのほうに聞く。

 

「先生、ダメですよ。そんなこと答えられるわけないじゃないですか。皆さん、うん、うんといってても、言えませんよ。機嫌のよいときと悪いときはよくわかりますなんて、ねえ。先生、眼力で威圧したら答えられないでしょ」

 

「ですよね、皆さん」

 

皆さんにこにこと笑顔でした。

 

「先生は、医者をしながら、音楽もされていますから、感受性が強いのでどうしても、出ますもんね。気持ちの変動が。素直だと思いますよ。大人なのにピュアだから。気持ちが、まだまだ青年ですからね。とっても素晴らしいです。」

 

「せんせい、それじゃ、また次回まで。それまでに何かあったら、診察に来ます。今日は愚痴も聞いていただけたし、ありがとうございました」

 

「アハハ!いつも元気に終わりますね。じゃあ、調子は悪ければ早めに。」

 

「皆さん、いつも賑やかでごめんなさい」

 

さて、どこまで改善できるかな。

 

恋愛感情は、老いても忘れない。ワクワク、ドキドキ、キュンキュンは大切。

50年ほど前のホームドラマを見て思ったこと。

 

それは、恋愛感情は、老いても忘れない。ワクワク、ドキドキ、キュンキュンは大切。

 

私が子供の頃のドラマなんだけど、その頃って、19歳くらいで結婚するのが当たり前だったのかなと。

 

定年も55歳。今は65歳定年、ともすれば70歳定年が、迫っているのかなと思いながら、ドラマを見ていた。

 

「明日の恋」


あしたからの恋 / 01 / 抜粋 / 木下恵介アワー

「三人家族」


∞3人家族 / 01~09 / ハイライト・シーン / 木下恵介アワー

「二人の世界」


二人の世界15木下恵介アワー

 

子供の頃、20歳って言ったら、凄く大人って感じていたけれど、今の時世を見ると、昔の人たちは、凄く将来のことを、早く決める勇気があったのだろうか?

 

今の20歳過ぎた人たちは、虐待で子供を死なせたり、結婚そのものも、24歳過ぎてがほとんど。

 

定年が伸びると言うことは、結婚も伸びると言うことなのかな。

 

昔は、26歳っていったら、もう結婚が遅いみたいな感じ。

 

今は、30歳までにという感じかな?

 

人生100年時代といわれる時代になったけれど、定年を迎えてからの人生が、長い。

 

ならば、ゆっくりと人生を楽しまないといけないのだろうか。

 

私は、早く結婚して、老後をゆっくり過ごしたい、もしくは結婚せず、自分一人の人生を満喫したいと願ってきた。

 

早く結婚は、できたけれど、出産が最後が36歳だったので、まだ、所帯を持っていない子供たちばかり。

 

平均寿命が、長くなったことも影響しているのだろうな。

 

インドネシアの人たちから、話を聞いたことがあるけれど、平均寿命は50~60歳。日本のように、80歳や90歳以上の人は、そうそういないと、言っていた。

 

だから、やっぱり早く結婚をすると。

 

日本も戦後、15年くらいは、そんな感じだったのかな。

 

私の両親も、25歳と20歳だったから。

 

平均寿命が延びることはいいことだけど、世の中は、幸せなんだろうか?

 

ドラマの中だけだから、現実にはその当時子供だったから、よくわからないけれど、人の人情とか、町の中の幸せな感じが、今の私に伝わってくる。

 

ドラマの中で、女性が「にくい人ね」と気になっている人にかけるこの言葉が素敵だとおもってしまったり。

 

今は、このような言葉は使う人はいない。

 

恋愛も、今のように、「H」っぽっくなくて、それでもドキドキしたり、ちょっと、一人で初恋時代のことを思い出したりと、楽しい時間。

 

自分の子供の頃は、貧乏だったから、こんな恋愛はできなかったから、今も憧れるのかもですね。

 

懐かしいドラマを、今の人たちも見てくれればいいのにと思う。その当時の、様子もわかる。

 

恋愛は、今も昔も変わらない。

 

私の両親の時代の恋かな。

 

老いても、恋愛感情を、忘れないことは、人生を豊かにすると思う。

 

 

子供はいい子よりも、手のかかるほうが、世渡りがうまくなる。いい子に育てないほうがいいかもと思うこと。

子供は、いい子に、育ててはいけません。いい子よりも、手がかかるほうが大人になった時、自分で生きていける。

 

人から攻撃を受けていない子は、免疫ができていなくて、成人してからだと、人格否定になってしまうと、病気になる。

 

それは、今私が、悩んでいるからです。

 

長男のこと。

 

長男との会話。

 

「○○、自分の好きなところ、言ってみて」

 

「う~ん、、、、」

 

「じゃ、悪いところは?」

 

しばらく考えている。

 

「遅いところかな」

 

「それだけ?遅いって、それは、何事も丁寧ということでしょう。」

 

「いいところはないの?」

 

「優しいところ、、、、かな」

 

「それって、優柔不断ってことだよね。」

 

「最近の○○を、見ていると、なんというか、おどおどしているというか、苦手なことから逃げているというか。何だか、自分に自信がないように、思う」

 

長男は、本当に我慢強く、頼まれたら嫌といわない。言われたことは責任をもってする子だったのだが、前職場で、パワハラにあってから、鬱っぽくなって、体調を崩しかけていた時期がある。

 

悪いことをすることもなく、学校時代も何の問題も起こすことなく、周囲の人たちから、いい子、良い人として、見られてきた子だった。

 

それが、社会人になり、二度目の勤務先で、無能、仕事のできない人間として、扱われてしまい、(介護の世界)初めて、他人からの評価が下がってしまい、自分はだめな人間だと。

 

息子の異変に気付いた私は、息子の勤務先に就職する。パワハラの証拠をつかみ、制裁しようと思ったから。

 

私と息子は、姓がちがうし、全然似ていなく、親子だといっても信じる人はいない。本当の親子だと、わかると、びっくりされる。

 

同じところに、勤務して、ひどい職場であることがすぐ分かった。

 

勤務場所の人間関係がすこぶる悪い。介護の世界は、はっきり言って、ピンキリなら、キリの人間の集まり。

 

介護の人材は、高校の落ちこぼれだったり、ヤンキー上がりの人が多い。だって、資格がなくてもなれるし、学力もいらない、人としての能力がない人の集団。虐めをしていたような陰険な女子の集まり。ひどいもんだった。

 

特に、茶髪の若い子は最悪。高校を卒業し、就職するとこがなく仕方がないから、パターン。それが、仕事もせず口だけで偉そうにしている。こんなことを、言ってはいけないが、嫁にいらない、だって、彼の母親の悪口のひどいこと。とにかく、人としての資質も何もできていない、本当に、親の顔が見たいと思ってしまう。

 

こいう人たちは、自分のイライラをぶつける相手を作る。息子は、この人たちのグループに目をつけられた。

 

息子は争いごとが嫌いで、怒ることもしない、人に何か言われると、自分が悪いところがあると考える。反論しないのだから、虐めをする人たちには、格好の獲物である。

 

息子は、とにかく仕事に行かないとと考えていたようだが、なんというか、覇気がなく。家にいても、寝ているだけ。

国家資格の勉強をしないといけないのに、できていないのがわかる。

意欲がない、とにかく精神状態が、普通ではない。

 

息子は、辛いことや、嫌なことを、私に言うタイプではない。

 

私が勤めるようになって、少し状況は変わる。私は、看護師なので、介護の人達は、何も言えない。私が、以前から、○○を知っていることと、仕事ができる人間は、下手に攻撃をされることはない。

 

息子も、私が居てくれるというか、味方ができたというか、精神状態が、少し落ち着くようになった。

 

短期間で、新しい看護師は、できる人だという図式ができ、施設では、物申す立場になる。その看護師が、目をかけているのだから、今までのように、虐めをすることができない。

 

看護部長がやめるということで、新しく来た施設長兼看護部長とも、馬が合うというか、(系列の施設からの移動で来られた)遠慮なく私は物申すだった。この施設長は、厳しい人だったため、介護職員が、特にたちの悪い人たちは、何も言えずになったのもよかった。

 

施設長が、私の息子だと知らずに結構かわいがってくれて、職場の息子に対する状態を察して、入浴係のほうに回してくれた。入浴は、虐めグループは、やりたくない仕事なので、余り組むことがなかった。

 

それでも、ストレスで、蕁麻疹がででたり、結石ができて、入院したりと、拒否反応が出ていた。

 

結果、国家試験を受けるための勉強をさせるために、退職させることにした。

 

 

息子は以前は、私と同じ病院の看護ヘルパーをしながら、医療関係の資格を取るために、専門学校に通っていた。4年生になり、実習が始まり、勤務できなくなり、退職した。

 

病院は、息子の医療資格者は、取らないため、務めるときから、実習が始まったら、止めることになっていた。

 

無事学校を卒業したが、資格試験は落ちた。

 

介護福祉士の資格は持っていたので、介護施設に勤めることに。

 

私は以前の職場のように、25年施設で、人間関係が言い方が悪いが。くその様な所に行かせると。今度こそダメになると思っていた。

 

そのため、施設ではなく、病院の介護ヘルパーのほうがいいと思い、とある病院の介護要員に、応募させた。

 

そこの病院から、新しい福祉法人を設立し、特養施設を開設するほうに、言ってもらえないかと。

 

新しところなら、一からなので、スタートが同じなのでいいのではないかと思い賛成する。

 

6月開設だったので、最初からのスタートになる。実際には、4月から準備に入っていたので、2月遅れの入社だったのだが。

 

半年くらいたって、本人から、仕事が楽しいといっていたのでほっとした。

 

 

子育てをしている親に言いたいなのだけど、子供はいつだって、親に迷惑をかけることは言わないし、親に嫌われるとかダメな子と思われたくないと思っている。このことは、親は絶対に、忘れてはいけない。

 

だから、親は言うことに、責任を持たなければいけない。支配をするようなことを言ってはいけないし、叱ることは必要だが、怒ってはいけない。叱ることは躾だが怒ることは、感情をぶつけているだけだから。

 

息子は。2歳4ヵ月で、母子家庭になり、私が夜も昼も仕事をしたので、昼は、保育所、夜も、夜の保育所での生活を余儀なくされた。

 

彼は、3歳から一人でお留守番の練習をし、お留守番ができるようになると、夜は一人で、7時30分には、寝るようにしていた。私が仕事に出る前に、眠っていた。

 

息子が、小学一年に上がる年の3月に、私が交通事故で入院をしなければいけなくなり、彼は、一人で暮らさなければならなかった。

 

入学するまでは、病院で一日を過ごし、暗くなるまでに、自宅に一人で戻り、寝ていた。そして、朝、私の病院へ。

 

入学してからは、先生に言って、リハビリの散歩として、私は自宅に帰り、息子を送りだしていた。学校が終わったら、病院に帰ってきて夕方まで、一緒にいた。1ヵ月くらい続いた。

 

寂しいともいわず、嫌ともいわず、息子は頑張っていた。病院から帰る時に、野良犬に追いかけられた、泣いて帰ったことがあると、高校生になった時に、話をしてくれた。

 

息子は自分が、犬に追いかけられて怖かったことを、その当時は、私には話さなかった。

 

この話を聞いたときに、泣いてしまった、私は親とし、ひどい親だったと。

 

私が困ることや、辛いことを一切言わず頑張ってくれている息子。

私と息子は、信頼感が、強く、私も息子の前では泣くこともなく、昼夜仕事をしていたからといって、家事をおろそかにしたりすることはなかった。

 

子供から見れば、頑張っているお母さんに見えただろうと思う。

私自身が、母子家庭だからと、生活苦やいかにも母子家庭というようなそぶりは、なかった。

 

息子の勤めている職場は、母体の病院が、私が若いころ勤務していた、評判がよく、市では、有名な病院。

それもあって、息子に、応募させた。国家試験が受かれば、その資格でも、仕事ができるので。

 

さて、私は定年退職をして家にいたのだが、たまたま、求人募集を目にし。看護師を募集していることがわかり、息子が、楽しく仕事ができていること、人間関係がいいと喜んでいることで、少しでも、恩返しになるかなと、応募した。

 

気持ちよく採用された。例のごとく、親子であることは、内緒。

 

一緒に仕事をしてみると、息子は、人間関係にトラウマを持っていることに気づく。

 

自信を無くしているのである。他の人には、わからないかもしれない。

 

パニックると、仕事が回せない。相手は攻めているわけではないのに、「これはまだ?」「おわってないの?」といわれると、焦って返事ができない。

 

偉そうに(言い方や自分よりも下の人間にきつい言い方)言われたりすると、萎縮し、返事ができない。

 

そう、まるで蛇に睨まれた蛙状態。

 

頭ごなしに、注意をされると表情が変わる。

 

そして、カンファレンスの時に意見言わない。(以前の職場で、意見を言ったため、虐めがはじまったらしい。)

 

忘れっぽくなった。

 

施設長に、息子であることを話をしたときに、何か病気があるかといわれたので、子供の頃に、脳内出血を起こして、血腫が残っており、耳鳴りがすることと、右耳は小さな音が拾えない。鬱の後遺症なのか。忘れっぽくなっているのは、私も感じている。

 

後、忘れているというよりも、理解する前に覚える前に、「はい、はい。」と返事をしてしまって、理解できないから、頭に入っていない様子が見受けられる。

 

記憶をするという媒体が、年とともに悪くなっているのかもしれない。

若年層のアルツハイマー状態かもしれない。

 

幼少時から我慢強く、周囲からいい子、いい人で、通ってきた息子は、今大きな壁にぶつかり、乗り越えられずにいるのだろうか?

 

息子には、記憶には限界があるから、仕事をきちんとしようと思うなら、忘れたえも良い状態にしないといけないと話す。

 

介護の仕事は、継続と協力だから、自分がした排尿介助の状態は、あとで記入しようと思わず、すぐに書く、記入すれば、それで終わるから、もう、忘れてもいいし、記入していれば、「終わった」と聞かれない。

 

記録を、後でと思うと、書く時間を取らないといけないし、思いだすという時間もいる。これは、時間の無駄と、失敗の元。

 

看護記録のように、ソープを使ってという形式はないのだから、利用者に介助したことや気づいたことは、すぐに書いておけば、申し送りを忘れても、記入していれば他の人が確認できる。

 

記入して残さなければ、仕事をしたことも、していないと思われる。記入すれば、あと何が残っているかもわかる。

 

仕事をしながら、あれはしたかな、これはどうだったかと考えていては、時間の無駄。

 

記入して、確認をするようにすれば、済んだことは忘れれば、不安はなくなる。

 

したかどうかを考えていては、人に対するサービス事業なのだから、臨機応変対応しなければいけないのに、アクシデントがあると、したことや済んでいないことがわからなくなる。

 

そうすれば、時間通りに仕事も終わる。ここの看護師が、記録の時間を取るために午後から、全然介護、看護の仕事をしないのを見ればわかるでしょ。私は、処置や気づいた事や介護スタッフからの情報は、すぐに日報に記入するから、時間通りに仕事を終えるでしょ。

 どのようにしたら自信を取り戻してもらえるか、それとも、このままなのだろうか。

 

思いやりがあって、人の手助けも、していた子なのに、今は、自分のしている仕事がきちんとできず、忘れて注意を受けてばかりのため、前ほどではないけれど、自分はダメ人間と思っているようである。

 

人の評価など気にせず自分のよいところを、伸ばせばいいのに。

 

息子と話をして、ショックだったのは、自分のいやなところや悪いところ、良いところをが言えないこと。それは自分を、自分で評価できていないと言うこと。

 

人は、良いところを言ってといえば言えないけれど、自分のいなところや悪いところ、苦手なところは、持っているし、意識しているから言える。

 

言い換えれば、自分自身を確立していく過程にいるということだ。

 

息子は、40歳になったというのに、自分が何者かということがない。自分が今まで生きてきたというものが何もないということなのだろうか。

 

どうしたら、息子は、自分らしく生きることができるのだろうか。

 

生きていると実感してほしい。

 

息子は幸せなのだろうか。

 

私は、息子たちの母親に慣れて幸せだと感じているのだが。

 

息子に、

「怒らせて怖いのは、あなたにとっては母親である私ではないのか。

他の人間の何が怖い。

怒るからというなら、私の怒り方は、尋常ないと思う。

それを考えれば、リーダーなんて、自分に自信がないから、弱い人を攻撃しているだけのかわいそうな人と思えば、どうでもよくなるでしょう。」

 

「仕事をしているふりをしている人を、怖がることはない。よく見なさい。彼女は、仕事をしていないでしょ。

ここのリーダーたちは、本当に仕事をしない、しているのは一人だけだね。その人は、他人に対して優しいね。

仕事ができる人は、できない人を助けるし、伸ばしてあげようとするよ。」

 

人間関係なんて、何も怖がることはない。自分が作り出す苦手意識が問題になる、それが、人間関係がうまくいかなくなる一番の原因。

 

お母さんが強いのは、人に対して何の感情もないから

仕事をしない人に対しては助けない。

一生懸命しても、できない人は助ける。時間をかけて、教える。一回でダメなら、二回、三回。努力しようとする人は、一緒に頑張りたいと思う。

職場の人とは、その職場だけ、一生付き合う人ではないから、怖がることは、必要じゃない。

 

他人に自分を理解してもらう必要はない。

 

会社に自分の時間を買ってもらうのだから、その時間は自分のものじゃないのだから、きちんと丁寧に、仕事を終わらせることだけに、集中すればいい。

 

それこそ、いらないおしゃべりをせず、黙ってすればいいのではないかと思う。笑顔を絶やさずに。サービス業だからね。介護は。

 

私が、はなしをしても、息子はきっと、変わることはできないだろう。

 

次男坊に「兄貴は、母さんが死んだら、どうなるん?」

 

といわれた。

 

ショック!